月を生んだ巨大衝突


宇宙理学専攻 惑星物理学研究室 倉本 圭

45億年前のある日,厚い大気に覆われ海洋もでき始めた原始の地球に, 火星を超える大きさの原始惑星が接近してきた. あれほど頻繁に起こっていた微惑星の衝突も散発的になり, 太陽系が現在の姿に落ち着こうとしていた頃の出来事である. 原始惑星は地球をかすめて通り過ぎそうにも見えたが, 地球の引力に引かれてぐんぐん近づいてきた. そしてついに秒速15キロという猛スピードで地球に側面衝突した. 原始惑星と地球の片半球はこなごなに砕け,大量の破片が放出された. 破片の大半は地球に落下し,地球の新たな構成物質となった. 残りは地球を取り巻くリング状の円盤を形作った. 円盤内の無数の破片は,煮えたぎるマグマの海に覆われた 原始地球を周回しながら互いに衝突合体し, 少数の大きな天体に成長していった. そして,最終的に一つの月になった. これが,現在もっとも広く受け入れられている 「巨大衝突説」による月形成のシナリオである. 月は「神の一撃」によって誕生したのである.

夜空に最も明るく輝き,周期的に満ち欠けをくり返す月は, 太陽と並んでわれわれに最も身近な天体である. その存在の不思議さに人類が思いを巡らしはじめたのは, はるかな遠い過去のことに違いない. 月の起源について科学的に論じた最初の人物は, 天文学者かつ数学者のジョージ ダーウィンである. 進化論で有名なチャールズ ダーウィンの息子である彼は, 1879年の論文で,過去の地球が高速度で自転していたために, 遠心力によって地球の一部がちぎれて月ができたとする「分裂説」を提唱した. この仮説は,最近まで一定の支持を集めてきた. その後,1960年前後に「兄弟説」と「捕獲説」が登場した. 兄弟説は,月はまだ小さなうちから原始地球の周りを公転しており, 地球と供に成長したとする説である. 一方の捕獲説は,他人説とも呼ばれ, 月は地球と無関係な場所で誕生し,その後, たまたま地球の重力に捕まったとする説である. しかしこれらの説を検証できるほど十分な材料は,当時存在していなかった.

1969年,アポロ11号は人類初の月有人着陸に成功し, 約 20 kg の月の砂や岩石を地球に持ち帰った. その後アポロ17号まで,合計 400 kgの月試料が地球に届けられた. これらの月試料は,月の誕生と進化を解読すべく, 世界中の科学者によって分析された. こうして,誕生直後の月は高温状態にあり, 表層から少なくとも数百キロの深さまでどろどろに溶けていたことが明らかにされた. また宇宙飛行士が月に設置した地震計のデータなどから, 月には金属核がないか,あっても小さいことが明らかにされた.

月が誕生時に大規模に溶けていたことや, 発達した金属核を持たないことを,兄弟説や捕獲説で説明することは難しい. 加熱や物質の選り分けを起こすことが難しいからである. 分裂説では,高温の原始地球の表層がちぎれたとすると, 月の特徴をかなり説明できる. だが難点は地球分裂の力学的条件である. 地球は4時間に1回転という猛スピードで自転しなければならない. そして分裂後には自転を緩める必要がある. それには曲芸的な不自然な過程を新たに仮定しなくてはならない.

1980年代後半,惑星の形成理論が進んでくると,惑星形成の最終段階では 原始惑星同士の巨大衝突が生じた可能性が極めて高いことが分かってきた. これを受けて, 原始地球に原始惑星を衝突させる計算機シミュレーションが行われた. スーパーコンピュータは,原始惑星が適当な角度で衝突すると, 砕けた原始惑星の岩石質の部分から原始地球を取り巻く円盤が作られ, 残りの部分は原始地球に落下し取りこまれるという結果をはじき出した. 秒速15キロという猛烈な衝突運動のエネルギーが熱化することにより, 円盤を作る破片は1万度以上の熱を持つ. 最新のシミュレーション結果によれば, 円盤中の破片が衝突合体をくり返して月に成長するまでに, 一ヶ月程度の時間しかかからない. できたての月は完全に溶けた状態であり,金属核はあっても小さい. こうして巨大衝突説は月の性質をうまく説明し, 月の起源説の標準理論として定着したのである.

巨大衝突は地球の大気や海洋の起源にも重大な影響を及ぼしたと考えら れる. しかし,その詳しいことはよくわかっていない. また,同じメニューでもシェフによって調理法や味が違うように, 巨大衝突説も,その詳しい内容については研究者によって見解が異なっている. 今後も,月の起源論は地球の起源論と共に磨かれて行くであろう. シナリオが大きく書き換えられる可能性も残されている. 日本では近く本格的な月探査機が打 ち上げられる予定になっている. これからの展開が楽しみである.



宇宙理学専攻
惑星物理学研究室
執筆者HP
2002.6.16
2006.4.28