氏名 |
倉本 能行 |
論文題目 |
日高山脈北部パンケヌシ斑れい岩体の同位体年代学的検討 |
論文要旨 |
北海道中央部の日高帯には,白亜紀から古第三紀にかけての付加体が分布す
る.その中には多数の苦鉄質−珪長質の火成岩類が貫入しており,日高火成活
動帯と呼ばれている (前田ほか, 1986).日高火成活動帯南部の日高山脈地域
は,日高変成帯と呼ばれ,大陸性地殻 (島弧地殻) の断面が露出した地域
(Komatau et al., 1983)と考えられている.日高変成帯は,付加体構成物と
それらを原岩とする変成岩類・変成岩類の部分溶融によってできた花崗岩類に
加え,各種の斑れい岩類から構成され,変成岩類の高温型変成作用や部分溶融
の直接の熱源は,多量のマントル由来の斑れい岩類の迸入であったと考えられ
ている.従って,日高変成帯に広く分布する斑れい岩類の活動年代を決定する
ことは日高変成帯形成のテクトニクス・造構環境を決定する上で極めて重要で
ある.
日高山脈北部地域に分布するパンケヌシ斑れい岩体は,岩相変化においても
分布規模においても日高火成活動帯で最も典型的かつ最大の斑れい岩体であ
る.パンケヌシ斑れい岩体に産する鉄はんれい岩の黒雲母・角閃石のK-Ar年代
およびRb-Sr全岩-黒雲母アイソクロン年代は,全て約17Maの年代を示している
(銭谷, 1995MS).それぞれの年代測定法の閉鎖温度 (黒雲母のK-Ar年代および
Rb-Sr黒雲母−全岩アイソクロン年代で約300℃,角閃石のK-Ar年代で約500℃
, Dodson and McClelland-Brown, 1985)を考慮すると,この17Maという年代値
は上昇・冷却年代を示していると考えられる.パンケヌシ斑れい岩体の火成活
動の年代を決めるためには,閉鎖温度の高い年代測定法を用いることが必要で
あると考えられる.
一般にRb-Sr系・Sm-Nd系の全岩アイソクロン法の閉鎖温度は高く,マグマの
分化の年代など,火成年代を示すものと見なされることが多い.従って,パン
ケヌシ斑れい岩体にもRb-Sr系・Sm-Nd系の全岩アイソクロン法の適用が可能か
もしれない.しかし,Maeda and Kagami (1996) はパンケヌシ岩体が同位体的
に均質なマグマが閉鎖系として固結したものではなく,母岩である砂泥質変成
岩類・花こう岩類・苦鉄質変成岩類との間に様々な程度に同化作用 (AFC,
DePaolo, 1981) を受けていることを示した.従って,全岩アイソクロン法の
適用も不可能である.確かにMaeda and Kagami (1996) が示したように,岩体
全体が同位体的に均質なマグマから出発し,閉鎖系としてふるまわなかったと
しても,岩体の極く狭い範囲においてはこのようなことが近似的に成立した可
能性が考えられる.そこで本研究では詳細な岩石学的検討から元々 “均質”
で あったマグマに由来しそうな場所を選定し,実際に同位体比を求め,その
可能 性を検討することにした.
森 (2000MS) はパンケヌシ斑れい岩体千呂露川セクションにおいて詳細な野
外調査と構成鉱物の分析を行った.彼は構成鉱物の変化,cryptic
variation,を検討し,シル状の複数のマグマ塊の断続的側方貫入を提案し
た.彼が区分したそれぞれ75m程度の層厚をもつ2つのユニットについて,
Sm-Nd系を用い,その可能性を検討した.その結果それぞれのユニットで有意
な年代が得られなかった.その原因には,分析精度などの問題に加えて,ユニ
ット内で同位体比が初生的に均質であったという仮定が,年代決定のために十
分な程度には成立していなかった可能性が指摘できる.
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