氏名 |
雨宮 浩樹
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論文題目 |
西南北海道,赤井川地域における新第三紀の銅−鉛-亜鉛及び水銀鉱
化作用について
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論文要旨 |
西南北海道,赤井川地域には,多数の新第三紀銅‐鉛‐亜鉛鉱床が分布する.いずれ
の鉱床も
古くから“黒鉱型”鉱化作用との関連が指摘されてきた.しかし,早期に閉山になっ
た鉱山も多く,
また探鉱程度しか行われていない小規模な鉱床も多く,詳細な研究がほとんど行われ
ていない.
そこで,本地域のいくつかの関連鉱床を取り上げて相互の比較研究を行い,この地域
一帯の新
第三紀の銅‐鉛‐亜鉛の鉱化作用,および関連熱水活動について明らかにしていくこ
とを本研究
の目的としている.
併せて明治鉱山地域においては,明治鉱床上部にほぼ水平に広く分布する珪化岩帯に
伴われる
水銀鉱床について,明治鉱山の鉱化作用を考察する上で極めて重要であることから同
鉱床につい
ても研究を行った.
研究手法として,現地地質調査,サンプリングに加え,サンプルの肉眼および鏡下観
察,閃亜鉛鉱
のEPMA化学分析,XRD,流体包有物の均質化温度および塩濃度の測定,K-Ar年代測
定,鉱石品
位分析,安定硫黄同位体の測定等を行った.
重症石鉱床として知られる小樽松倉鉱床と,その周辺にある新第三紀の銅‐鉛‐亜鉛
鉱床の大和鉱
床および大栄鉱床は胚胎層準が同一で,八雲層に対比される大和層である.K-Ar年代
測定の結果
もほぼ同一年代(9.5Ma)を示し,母岩年代と極めて近い値を示す.また産出鉱物も
ほぼ同一であり,
鉱石品位分析結果も同じ特徴を示している.流体包有物均質化温度は,松倉鉱床が他
の2鉱床を
より高温を示すが塩濃度はほぼ同じ値を示す.また3鉱床における鉱物の晶出順序は
ほぼ同じであ
る.変質帯は一定の方向性を持って弧状に伸びており,小樽松倉鉱床を中心にほぼ対
称的に中心
から高硫化型→酸性→中性と推移する帯状の変質分帯も認められる.また,小樽松倉
鉱床の位置
する稜線付近には背斜構造の存在が推測され,この推定される背斜軸に沿って,東西
の延長を示
すプロピライト岩脈が貫入する.以上のことから,小樽松倉鉱床,大栄鉱床,大和鉱
床の3鉱床は変
質帯の分布に調和的なプロピライト岩脈の貫入に関連した熱水活動によって形成され
た黒鉱型鉱床
というより,むしろ裂カ(割れ目)充填型鉱床と推測される.プロピライト岩脈の貫入
に伴い,派生的に
生じた裂カに沿って鉱液が上昇し,石英→硫化物→重晶石の順に鉱物の沈殿が起こっ
たと思われ
る.また鉱床中心における高硫化型の変質,胚胎層準,K-Ar年代測定結果などは,近
在する高硫
化型金鉱床である小樽赤磐と酷似している.
一方,明治鉱床は新第三紀中新世の国縫層に対比される国富層中に胚胎する.セリサ
イトのK-Ar
年代測定の結果は12.5Ma前後である.鉱物組合せは一般的な黒鉱と共通し,また鉱石
品位は銅に
乏しく金に富む傾向が認められ北海道の黒鉱と共通する特徴を示す.閃亜鉛鉱のEPMA
化学分析
結果では,Feに乏しく,一般的な黒鉱と共通する.流体包有物マイクロサーモメト
リーでは,均質化
温度・NaCl相当塩濃度ともに一般的な黒鉱よりも若干高い値が得られた.周辺母岩の
変質作用は
珪化,セリサイト化,カオリナイト化で特徴づけられる.また,明治水銀鉱床に関し
ては東西性の走
向を有する石英脈が認められ,K-Ar年代測定値から形成年代は2.1Ma前後が得られ
た.周辺母岩
の変質は珪化,セリサイト化,カオリナイト化で特徴づけられる.これらは同鉱床南
部に近在する轟
鉱山の鉱脈の走向・形成年代・変質作用と一致する.これらの結果から明治鉱床は黒
鉱型鉱に分
類されると考えられるが,鉱床形成後にその鉱体上部(層状鉱)の大部分が陸上風化浸
食作用によ
り削剥され,下部の脈状〜網状鉱体部が現在露出している可能性が高い.一方,水銀
鉱床は轟鉱
山における金鉱化作用と関連した熱水活動によって形成された可能性が高い.
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