極域イオン散逸経験モデル〜大気進化への影響はあるのか?〜 Empirical polar ion loss model -Does it have the influence on air evolution?- ○山田 学,渡部 重十(北大・理) Manabu YAMADA and Shigeto Watanabe (Hokkaido Univ.) ○はじめに 近年の衛星観測から, 極域電離圏からの非熱的イオン散逸フラックスがジーンズエスケープによるフラックスと同程度であることがわかってきた. 極域に特有なイオン散逸には, 分極電場による古典的ポーラウィンド理論で説明される成分の他, プラズマ波動に起因する成分が含まれている. 前者では, 水素, ヘリウムといった軽いイオンしか散逸できないが, 後者では酸素をはじめとするより重いイオンをも散逸することが可能である. このイオン散逸過程は磁力線が惑星間空間に開いた領域に限られるため, 全球から散逸するジーンズエスケープと比較すると, 水素に関して総量は小さなものとなる. しかし, これまで全く考慮されてこなかった散逸過程であり, 特に酸素の散逸に関して, どのような役割を果たしているのか全く調べられていないのが現状である. 非熱的イオン散逸は様々な素過程によって起きているため, 現時点で物理モデルを考えることは困難である. そこで我々は, 極域に特有な大気散逸現象を大気進化という観点で考える基礎として, 衛星観測データを基に, あるパラメータ(月日, 場所, 太陽活動度等)でのイオン散逸量を推定する経験式の導出を試みた. この式は, 考え得るパラメータの関数を仮定し, あけぼの(EXOS-D)衛星に搭載された低エネルギーイオン質量分析器(SMS)による約11年に渡る観測データを代入し, 最小二乗法で係数を決める方法で求めたものである. ○経験モデルの作成 あけぼの衛星に搭載されたイオン質量分析器(SMS)によって得られたデータセットをモデル式を作成する際に用いた. モデル式は以下の方法で作成. 1) H+,He+, O+ イオンの物理量(イオン速度,密度)を適当なパラメータ(Kp 指数, 太陽活動度, 季節変化, 日変化, 緯度,高度)についての関数の積として表す. <<式1>> 2) 観測値(データ数40万弱)を代入し, 係数を求める正規方程式を解く. <<式2>> ○モデルと観測地の比較 上記方法で計算した係数を用いたモデル式に, 衛星観測時の条件を代入して得られたイオン速度・密度と実測値は同様な分布を示すことが確認できた(Fig.1). 太陽黒点数, Kp指数等の値を決め, モデル式で極域電離圏のイオンの状態を計算すると, 約11年間の観測結果得られた統計値と似た描像を簡単に得ることができる(Fig.2,3). Fig.1 SMSの観測値と経験モデルで予測される値の出現頻度ヒストグラムの比較. 左側3パネルは密度, 右側3パネルは速度について,各イオン毎に示す. Fig.2 上段: SMS観測によるイオン速度実測値の平均値ポーラーマップ. 下段:モデルを用い計算した値を上段と同じフォーマットで描いた図(高度6000km, Sunspot=100, Kp=2, Td=182). 流失速度の大きなリング状の領域などの構造をうまく表現できている. Fig.3 上段: SMS観測によるイオン密度実測値の平均値ポーラーマップ. 下段:モデルを用い計算した値を上段と同じフォーマットで描いた図(高度6000km, Sunspot=100, Kp=2, Td=182). 昼夜の密度構造の違いを表現できている. ○散逸量の見積もり 経験モデルを用い1990年から現在までの期間のイオンフラックスを計算した(Fig.4). 大抵開いた磁場となっている不変磁気緯度70度以上の領域でのフラックスを積分し, 単位時間あたりに惑星間空間へ散逸する量とした. 太陽極小期(1994〜1998年)付近で, 南北両極の流失量が1年周期で振動し交差している. 一方, 太陽極大期ではフラックスが増加するが, この交差は不明瞭となる. このことは, イオン散逸量が, 季節変化よりも太陽活動の変化による影響をより強く受けること,を明らかにしている. Fig.4 1990年から現在までの南北各半球での単位時間あたりイオン流出数の見積もり. 赤/青線は北/南半球を示す. 最下部のパネルはモデルに代入した実際のF10.7, Kpの値. ○考察 モデル式のパラメータに使用している太陽黒点数の観測は, 1600年代から行われている. Fig.5 は1750年からの月毎の太陽黒点数を用いて H+, O+ のイオン流出量を見積もり,“水”に相当する質量フラックスを示したものである. これから見積もった過去250年での“水”散逸量の平均値は9.57×108g/年である. なお, この値は磁気活動度を静穏としてモデルを計算したこと, SMSの観測データからの密度推定は下限を与えることなどを考慮すると, 散逸量の下限を与えているといえる. Table 1 に示すように地球から酸素の熱的拡散(ジーンズエスケープ)は全く起きないと考えられてきた. しかし, 実際にはO+イオンの形で極域から散逸している. 特に酸素は地球においては他に散逸メカニズムが知られておらず, 現在/未来の酸素循環系を考える上で考慮する必要があるかもしれない(Fig.6). H+, He+ イオンと比較して重たいO+イオンの散逸が起きるには, 1)開いた磁場中で 2)電離圏で起きる様々なプラズマ波動からエネルギーを受け取れる環境にあること, が必要である. 7.5億年前には現在と同レベルの大気組成, 固有磁場が存在した(熊澤等,2002)と考えると少なくともこのころには現在と同程度のO+散逸があったのではないだろうか. Table 1 ジーンズエスケープと極域イオン散逸の比較. Fig. 5: 作成した経験モデルで見積もった過去250年間のH+, O+散逸量. H+, O+の個数比はおよそ2対1となり,“水”の散逸に等しい. 太陽黒点数はNGDCより取得. Fig. 6 酸素循環の模式図. 大気,海洋, 生物圏, 堆積岩中の酸素貯蔵量と年間のやり取り量を示す. イオン流出量以外の値は Goody and Walker (1972) による. ○まとめ - 地球の極域電離圏上部から流れ出るイオンを見積もる新しいモデルを作成した. - モデルにより, 極域イオン散逸量の太陽活動依存性, 季節依存性が明確となった. - 現在の地球大気では年平均約1000tの水に相当するイオンが流失している. - 過去においてイオン散逸がどの程度の役割を果たしていたかはわからないが, 現在の酸素の物質循環を考える際は無視できないと考えられる. ○参考文献 - Eddy, 1976, The Maunder Minimum, Science, 192, pp.1189-1201. - http://www.ngdc.noaa.gov/stp/SOLAR/SSN/ssn.html - 熊澤等, 2002, 全地球史解読, 東京大学出版会. - Goody and Walker, 1972, Atmosperes, Prentice-Hall.