調布日記
《調布日記》文化6年正月10日
十日。朝。くもりたる空やうやうはれゆけば。亀齢館の側の道より田畑をこえて石観音にいたる。別当を恵日山明長寺と云。
大師河原村の中なり。享保十八年七月晦日。海中より上る所の石の手水鉢は。門の内の左にあり。霊亀の二字を鐫れり。
此石。海中にありし時。大なる亀つねに此石の辺にありしより。かくいふとぞ。惜むらくは。石にわれめいできて水をたゝへがたし。
又石の閻魔あり。若き男の力持すとて。貫目をゑり付たる石多し。念彼観音の力にたぐへば。いかゞならん。
その中に。享保二十年の頃八町堀より上し四十九貫目の石に。鶴林石とゑりつけしはいかなるゆへにやあらん。
堂のうしろに詠草塚みゆ。堂上に絵馬ありて。奥州丸山権太左衛門と九州阿曾森桐右衛門と角力とるかたかきたり。
延享二乙丑歳霜月。武州川崎大師河原入間川五左衛門といへるものゝ上たる絵馬にて。江戸画工青菖堂とあり。
行司木村庄之助軍配団扇もちてかたはらにある所をゑがけり。丸山権太左衛門が墓は長崎 にあり。
又江戸にて角力の絵馬のよきは。牛込弁天町の弁天に丸山権太左衛門。西国兵蔵。其外の角力の図あり。又雑司ヶ谷鬼子母神の中の稲荷の絵馬に。
角力松風瀬兵衛 の画あり。又。稲荷新田の百姓代石渡孫左衛門が門に。根は地にふして枝をたれたる松一本あり。
今の孫左衛門が先祖。此松を名づけて末広松といひしとぞ。こゝの年寄も同姓にして四郎兵衛といふ。
名主は小島六郎左衛門なり。六稲荷のわたしをこえ。羽田猟師町の名主弥五右衛門が家に昼餉して。猟師町をすぐ。右に龍王院といへる額みゆる寺あり。
左に朗羽山長照寺日蓮宗あり。太閤秀吉公守本尊妙見大菩薩を安置せり。雑色村の竹の中より八幡塚の門前をすぎて。八幡塚村の名主七蔵がやどりにつきぬ。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp