談笈抜萃
《談笈抜萃中》

一 今年。道頓堀筑後の芝居。久しぶりにて新浄瑠璃を作して。前もつてかんばんを出しけれバ。其外題に伊奈川千田川とのわり外題にして。 関取千両幟といふ外題なるよし。惣じて近頃の浄瑠璃は。たへて新作といふはなく。たゞむかしよりいたしきたりし作を其まゝにて出し。 またはあれこれを取合し。或はいれかへなどして。実に新作といふはまれなり。むかしの作者中にも。近松門左衛門などハ。其身堂上に生たるて漢和のふるごとをはじめとして諸学に心ざし。 しかふして後おもひけるは。いづれの道におゐても其名を得るは。人がいの心ざすべき所なり。然れども。われふさいにしてよろづ未熟なれバ。 いかでなるべき。たとへいやしき業なりとも。其道の上手とならばやとて。其頃作者となりて有無転変を観じ。文章のみちをあきらめて書つゞりし事なれば。 神祇釈教恋無情。何によりてもあやまらざるゆへ。其うれいは至つて理にせまつて悲しくあわれに。恋によせてハ其情起つておもひやらせしなり。 今も世に有むかしの作の草紙を見るべし。また今時の作しや。或は祭り時分の俄をおもひつくに。折々人のいひはやすを一部のさくとこゝろへ。 終に芝居の作者となりて。殊に給金おびたゞ敷とりて。せんぐりにむかしの狂言たゝき直して。次第々々にわけもなく。義理もたゝず。うれゐの場に至りぬれば。 ゑしれぬ難義どもを其身壱人に引うけて。或は義理ある人を殺して方々をうろたへ廻るを。無理やりに忠義のよふにこしらへ。また至つて貧窮人として。 いふ所ミな貧苦のなさけなきをいひて。なげきかなしむをうれひなりとおぼへし作者多くして。其情をつくる作者なし。去によつて浄瑠りなども事すへになりて。 暦々の大夫ども今は堀江などに行きて。おひ出し芝居に名をながす事いとくちおしき次第なれども。ぜひなし。然るに。伊奈川千田川は近年の花ずもふにて。 むかしのいかづちとわかさやまのごとし。諸人ひいきつよき者也。ゆへに今度の割げだいに用ひたくおもひければ。畢竟すまふ取の事なれば。もしや咎められてはむつかしとおもひ。 芝居より千田川に尋ねしに。千田川が申けるは。此方ハ構はぬけれど。頭取に一度たづねよといふ。よつて頭取のかたへ行きて申けるは。千田川はかまはぬと申され候。 苦しからずやと尋ねければ。頭取ども申しけるは。さればどふとも申がたし。こんな事ハふじしまにとふたがよい。 ふじ島がだいじないといふたら其通りにせいと申ゆへ。それよりふじ島に右の段を尋ねしに。ふじしまが申けるは。なるほど千田川が構はぬといふなら大事も有まいけれど。 惣じてもの事無事なる時は何事もなきものなれど。もし今度そちの芝居にあいつらが事の名を出して。もしまたあいつらがことしの角力に。 どふした事で怪我でもするか。またどふした事ができまいものでもない。其時は芝居で名を出したゆへじやの。またハ芝居に仕た事じやのと人がいふものなり。 さすれバよしなき事から芝居のとがにいひなすものなれば。同じ事ならせぬ方がよかろふとおれハおもふといひたるよし。さすがふじ島はおやぢぶんなれバ。 また了簡もふかしと。皆人もほめしとなり。よつて名を替て外題を出しける。

生たるて…生たちて。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp