読老庵日札
《読老庵日札》
○業平角觝
今世都下の俗。遊冶郎をさして業平也と渾号する事あり。しかるに往昔角觝人の名に。業平と称するものあり。
余つねに是を訝る。近曾大鏡を閲するに証拠あり。古人の物に名づくる事。杜撰なる事毫厘もなし。
大鏡第一曰。五十九代宇多帝と申き。光孝の帝の第三の王子なり。御いみ名をさだみと云々。此みかど貞観八年丙戌五月五日生れ玉ふ。
元慶八年甲辰四月十三日からいしものになり玉ふ。御歳十九。王じじうときこへて殿上人にておはしましける時。
殿上のこいしのまへにて。業平の中将とすまひとらせ玉ひけるほどに。小いしにうちかけられて。ようらんおれにけり。
そのおれめ今に侍る。
目録には「角觝の名」とある。
《読老庵日札》
○角力絵馬
武州川崎石観音の堂の中に掲く。阿蘇嶽桐右衛門丸山権太左衛門角觝の図なり。絵も至て古雅なり。
又此境内に奇成手水鉢あり。霊亀石と名づく。大師河原平間より二町余あり。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp