風俗遊仙窟
《風俗遊仙窟巻二》

    仙人の娘謁文生事
仙人蕎麦の記を読畢て。文生が才恐らくは買誼。屈平といふともいかでか恥ん。博和漢の文に達し。 又その筆蹟のうるはしさ佐理行成にも劣まじと。甚賞美のあまり我に一人の娘あり。年十有七。深窓に養はれて我家にあり。 文を好み糸竹に耽れり文生に引合すべしとて呼之。声に応じてゆるぎ出るかたちを見れば。芙蓉の眸珊瑚の唇形容窈窕と。 みやびやかにして。あたかも腸持の弁財天ともいふべし。前出て文生を揖す文生不覚心地死ぬべくなりて。 公義相も不出来しぬ。いまだ炭火をのまざれども胸中如焼。唐辛子を喰されとも腸割がごとし。そのとき姫琵琶を弾じ。 また琴をしらぶ。其声々として急雨のごとく又切々として私語がごとし。 塵飛で梁に舞行雲も忽遏かとあやしむ杜佑通典ニ曰漢ノ虞公善ク歌フ能ク令梁上ノ塵起白居易が潯陽江上にて。 なぐれものゝ年増の夜琵琶を弾ずるに出会。五せちの舞に乙女の降臨けんよそほひも。是には過じと覚へける。 文生も感に堪へ。日比嗜む横笛をぬき出して。楊柳落梅をさも面白くぞ吹ける楊柳落梅ハ笛ノ曲ナリ仙人は此道不堪也と見へしかば。 よき折ふしと頓て想夫憐をぞ吹ける。姫は其譜をしりければ。面はゆげなる風情なれども。仙人其心をさとらずひたほめにぞ。 褒めける。かの卓王孫が司馬相如が。琴に聴入て。月夜に釜をぬかれけんもかくやと。いとあぶなし卓王孫ガ女文君好音楽相如以琴心引之文君夜奔相如家一曲吹終りければ。 仙人余念なく。文生は文章に工なるのみにあらず音律にまで勝れたりと甚感じ。むかし今のものがたりし。 さて頃日太平につれて文道さかんに起り。我朝に才学優長の人多く詩を賦し歌をよむ。和歌の一体に連歌あり。 連歌を頽して。また俳諧の発句とやらんあるよし老後の思ひ出にうけ給りたし。貴客の人品おそらくは数寄人たるべしと。 仙人頻に所望あるかゝる所へ吸物と覚しきものを持出ぬ。文生箸を取あげいまだ蓋をとらで
  三嗅で蓋をはぢけるはな柚哉
と仕りければ。仙人団扇をあげてあふぎたてさてさて秀逸面白しと。しばらく吟し。今一両句と望めば下官東都に侍りし時此道に鳴る人々の口ずさみ。耳の底にのこりし分とて

    題仙家
  薪樵りいさ新米の水加減
  仙家かな担桶に緋桃の影清き
  鯉に乗自由も花そ御大名
    其二
  列子
  節季候や心を付ける汝も風
  張果郎
  ひやうたんの駒の出栄や衣かへ
  琴高
  乗り得ての遊ひ花なり哥仙鱗
  張伯房
  角乗りや川辺涼しき夕そよき
    其引
  橘や初夜より碁屋の咳はらひ
  空や香に四季は目の前衣配り
  惜め花強ひ呑手に蜀の雨
  向路へ海をむしろの涼みなり
  鶴の脊を夜駕籠にかへよ花や月
  舞台には七百歳を菊若衆
  丹を練る竈に河豚沙汰粕の沙汰
  雪踏んて鶴賀出しに行れけり
  鉄拐か息の繁さや納豆汁
  珊瑚珠や紅葉に生らは仙の食
  斧の柄の尻も朽され花の暮
  仙人もいかひはまりや薺蒿
  仙人も何所へ落ん潮干かな
  洗濯の投出すあしへ落葉哉
  冷水の駒の出ぬ場を粒胡桝
  仙境のシチヤウにかゝる小春哉
  石室の香はいまもあり菊の花
  仙人も色にはそまる紅葉哉
  鬼百合や簫々然と深山陰
  髪置や角は持所せんたら女
  伏羲から御召賜はる落葉かな
  仙人も留守とは言はし今朝の雪
  川並の釼おかしき夕すゝみ
  花は今仙家もさそな鯉に鞍
  仙人の嘯するの也呼子鳥
  仙も不知かゝる浮木の烏さへ
  風拍子木のは衣や玉あられ
  仙人の題そ落葉に叶たり
    其余波
  摺足のけもないや皿に桃

仙人句毎に沈吟し。大に感し。太平の代に生れあいし人の幸かな。何芸にても。年若の内勉み給へ。野仙も先祖を申さば大難波の命の裔。 むかし吉野の竜門寺に籠り。法を行ひ仙術を得たれ共若き時は血気にはやり。勧進相撲の関を潰し。腕押俵持力業のみ好み。大和国。 高市郡に宮造りのありし時は。日雇に交り。四五十人してもあがらぬ大材木を一人して飛ばせ。肝を消させしも思へば。血気の勇にして。 老騏の千里いま思ひあたれり。吉野川にてあの子が母の洗濯するに見とれ。忽空をふみはづし。足もとへ落しより仙といふも名ばかりにて。 一生文盲いまは天窓をかくのみなり。それゆへ娘は手跡学文に心を入させ。責て老の楽とす。かく病身になりてよりひさひさあづまの方へも飛行せず。 繁花の有様珍説共もうけ給たし。又文生は東都のみに住給へば。京師の事はくはしく知るまじ我にかはりて物がたりし。 心をなぐさめよとありしかば。娘即席に。京都の風景を。七言絶句三首に作れり

    西京吟       久米姫
  祇園豆腐葛粉滑   遁敵色靡焼餅娘
  吸筒毛氈茶弁当   見花覗幕鼻毛長
    其二
  八坂兀穿八軒客   形随医者口如鴉
  女郎腹痛不知脈   誥所輾金泣釈迦
    其三
  木綿合羽女中着   桔梗五明男子持
  西島夜廛今又始   百盃豁捌鼓鉦時

そのとき文生おしいたゞき。扨々驚入たる御才智。女状元。蔡文姫は。見ぬもろこしの取沙汰紫式部が源氏をあらはし。 清少納言が枕双紙も語意ふるめかし。是はわづかの句中に当世の諺をつくせり。ことに手蹟のうつくしさ山崎氏の女もいかでか是には及はん。 まことに仙女のしるし生知安行といふべし。われらこときの愚舌を以て。云尽すへきにはあらねど聊御作にならひ。 東都の佳景。四季折々の詠。のこさんもまた無下に本意なかるへしと。硯をならして東都行を賦す

    東都行       張文生
  磊落東都勢     花大江戸桜
  君不見上野花    賑給勝西京
  五盃十盃滅多飲   二里三里無性行
  堺町傲游野郎心   揚屋退屈大夫情
  土手雖急困狗吠   大門欲開恨鶏鳴
  亀戸藤花如蛸魚   染井躑躅似猩々
  夷九夏泛両国夕   深更夜食不搆迹
  雖到聖天不留船   多是夜前口舌客
  下戸佇立幾世餅   丈夫潜水三又汐
  煙花西瓜相映紅   跳躍三弦金不惜
  巫女飜袖十二灯   奴隷扣底二八麦
  大好庵薬入風香   松井屋刀向雲長
  堅甲揉抜三郎兵   金釧細工長太郎
  開帳毎度回向院   八百八丁皆土蔵
  天下太平不及言   乞食非人願人房
  残切貴様我等迄   悠々寛々如入湯

仙人是を熟覧し。巻返しくり返し。左太仲が三都の賦。班孟賢が両京の賦も。此数十字に縮。和漢事蹟はかはれども。 意味の深長。同じかるべし。此後この両吟どもを。見る人毎に写しとらば。紙の価貴くなり。存よらざる紙問屋の仕合なるへしと。 感歎かぎりなく。猶文生に酒徳を挙て頌作らん事を請。文生固く辞すれども。責再三に及べは即筆を執て

    酒徳頌
夫酒は儀狄に濫觴り。酒醪の名ありといへ共神農の御時まて。火食なし。食物をたも焼石の上に置て。 やうやう是を病人の食物としけるとなん。しかあれば酒ありといへとも冷酒なるべし。杜康に至りて。 酒を造り黄帝釜甑の次而に。間鍋の工夫を仕出し給ひて。皆人間酒を飲事になんなりけらし。夫よりしもつかた祭祠には必用之。 鬱鬯を洒て神を来格せしむ。しかし下戸はいかゞおはすらん不審。我が日の本の神々も三寸にはめでさせ給ふ。 蒼生の備ふる三寸は。天の岩戸の木のもとに滴るとかや。貴となく。賤となく。老となく。少となく。和漢共徳を愛し。 其味を嗜事いふにや及ぶ此ゆへに劉伯倫は。酒徳の頌を顕し。樽次は水鳥記に名をのこしぬ。禹の旨酒を悪給ふも。 もと辛口を数寄。上戸甘口を好まば。後世に至て。必餅くわしを愛せんことを恐れ給ふゆへとぞ。劉伶歩行所鋤を持せしは。 小間物の蹟を隠さんとの用意李白が公用を欠しは。高が暇の出る合点なれば也。阮感は酔て馬に騎。茶船を漕と人に笑はれ。 王祥なま酔となつて肩にかゝり。井戸に落たる様の風聞にあひし。あまりの好人麹屋の門を過ても口涎を流し。 平楽の会にはづれしを歎酒泉郷に店替せんことをねがひぬ。焦遂が訥も一盃に巻舌の出来口。却て弁者をしつけしとなん。 我朝の酒呑童子酒田の金平も酒を以て鳴るもの也。司馬相如が車馬を売て。酒株にしかへ。卓文君に田楽を焼せて。居酒のおもひつき。 いづれ一中あてたるも尤ぞかし。仏の飲酒といましめたるは。羅漢に熟酔多時の法度ならん。 君臣。父子。夫婦。朋友の交りいつれか酒なくて親和なるべきや。されども大盞をわきはさんで。北海の酒をのみつくし。 蛇の中間へ這入て。滝のみのはては。猿丸大夫の手つきに。下戸に見をとさるゝも罪は。 その人に有て。かれにあらず。酒は量なし乱に不及とは。流石の聖謨。たゞ其程に随ひて。下戸ならぬこそおのこはよけれ

頌なつて仙人の前にさしをけば。熟々と披覧しまことに面白文章。句毎に金玉の声あり。斯に餅あり。歌なくんば有べからすと姫に命じてもちの歌をつくらしむ

    餅歌
凡糯は米穀の最上也。芸耕実収迄。粒々辛苦して餅となす。一名粉ともかけり。春のあした向ふかゝみのもちゐより。 歯がためによはひの長からんことをことぶき赳々武夫は。具足の餅の干城とひとしくかたからん事を欲す。餅花かきもちも春雨の徒然を慰め。 涅槃会に釈迦の鼻とよばるゝは口惜けれど。仏餉となるもふかき因縁にやあらん。桃花の節句に蓬餅の青やかなるも。 春の色のふかきをあらはし。菱餅となつてやんことなき玉たれの内にかしづかれ。ひいなの饗応となりぬ。 菖蒲の節句に。粽柏もちとよばれ。屈原が茅に巻て。泪羅の竜に喰せじとの工夫は。律儀なるおもひ付。今は魚の口さへ免かたかるべし。 又粉団を射てあたりたる人の喰ふも。からくり的の模様ならん。水無月の氷の貢いまに絶せず。氷もちあられなんどそ賤のを。 しつのめも。是を喰ふことになりぬふみ月は踊催すさつさ餅とも成。重陽に赤飯にてすましぬるも。あかき袋に茱萸をいれ。 桓景が山にとりしためしを追ふなるべし。神無月はいの子のもちゐ。諸侯といへ共かならず袖にし給ふは此夜に限るべし。 若もちといはれしも。いつしかはや。寒餅と成て。舂音に陽気をふくみ。嫁娶の規式にも子の子のもちの五百八十七曲りと。 いはゝれ夏は牡丹餅とよばれて。下卑たるやうなれど秋は萩の花と花車の名をとりぬ。醒井もち。 大仏餅は。多の人にしられ。粟餅胡麻餅より。日本一の黍団子と。ほめられし事あり猶夫よりも椿餅のさかり。君が八千代のいく世もちと。いはゝれつきせぬためしに。永楽餅ぞめてたき

又文生豆腐の賦をあらはす

    豆腐賦
張文生
豆腐。々々。爾が形。至て柔弱なりといへども。為其徳也。太山といへども能これを倒す事あたはず。玄冬素雪のあした。湯豆腐となつて。 寒風の烈しきを凌。冷豆腐は俗ニ奴豆腐ト云ニ同シ九夏の天に炎熱をわする。すべて風味四時の宜きに随ひ。客の心に応ず。 紋所の心ゆかしきは誰が遣りけるぞ。色白に膚の細やかなる兜羅らしく見せて。其節操仁義を具足す。調味するに和々として章魚に無念を起す老人。 未歯の揃はぬ小児の能望を達す豆腐強に賞味せられん事を欲ざれども彼より志をむかふ。是愛の理にして則仁にはづれず。 又外を方にして縦令賽の目となつて納豆汁へ入るといへども裁断の角をつぶさず。是又義ならずや王候貴人も必是を食し給ひ。 又匹夫匹婦もこれを嗜む。仁義あれば礼智信は其中にこもれり。されば其糟を餔てそのを不とは漁夫が屈平への異見。 貧賤に素しては。此糟をも用ひよとの世理賦を用ひず。賢者ぶりて身を投しは。悪力身なるべし。むかし六弥太忠澄愛して今に岡部の名あり。 相模入道田楽を翫ひしことは太平記に譲りて爰に贅せず。庚申の夜田楽をかならずとするも。申の字の象なる事しるべし。 其外八盃豆腐。祇園南禅寺の体あり。或は甲州。温飩。寄豆腐の品あり。又は巾着。釣豆腐と現し。頽豆腐は鶏卵の相役を務む。 色紙豆腐は雲の上人の召にもしたがひ。油揚は法中に入て。向詰の手代に用ひらる。世人多く豆腐蒟蒻鳶烏を以て陰陽のことく対すれども蒟蒻は。 日を同して語るべきものにあらず蒟蒻の為用也。鍋山。佐倉。柳。鹿島等の名ありといへども纔に両三色の外に出ず実に権兵衛蒟蒻なるべし。 夫豆腐の威徳。いづれのものか肩をならべん。彼一休。東風をと覚りしか。を豆腐とさとりしか。味をも香をも知る人ぞしらん

誥…詰。
阮感…阮咸。
王候…王侯。

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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp