| 長吉は大坂大宝寺町筋南米屋町草分。河内屋彦十郎といふ豪富の町人。
米穀を商ひ家号米屋と称ふ米屋町の名も此家より起れり。ものゝ男子にて。
相撲取濡髪亀松と喧嘩せし事有り。長吉姉は東裏町関町といふ所某に縁づきたれば。お関といふ名を設け。
近辺に山崎町あれば。山崎与次兵衛の古浄瑠璃を附会したるにて。放駒と云ふも当時高名の相撲のよし。
其番附は所蔵せず。以上持主老人筆談をかきとりたるなり。 東西二枚にて。行司は幕内と中取との間にしるす。
京難波尾張なども。近年まではかくの如く二枚続なりしを。いつしか大江戸のごとく。一枚になして重ねかけり。 享保十三年より安政六年にいたり。百三十二年になると。さのみ古くはあらざれど。体裁のかはれるを見るべし。
この享保八年の番付。いまだ見ることを得ざるは。あかずくちをし。 此は西方の末なり。上を略す。 大関肥後錦戸楯右衛門 関脇備前熊山達右衛門 小結肥前有乳山 大八 前頭仙臺轟 音右衛門 等なり。 |