玄同放言
《玄同放言巻之三上》
第廿九人事 姓名称謂
(中略)
○事に錯誤しつゝ。よろづ誇貌なるを。ヲコノモノとし。自他の不然を。ヲコガマシといふは。常語なれど。
その誼をいふもの罕なり。今昔物語第十二第六条。古今著聞集巻之八管絃部。及下学集能芸門には。
嗚呼者と書たり。書言字考人倫部には。西京賦を引て。径廷者と書たり。和訓類林遠部にも。
径廷文選。遠己我末志。此訓始見于此。といへり。按ずるに。文選賦類張衡西京賦曰。望
以径廷。
眇不知其所反。といふ是なり。径廷に嗚呼の義なし。古人和訓を推当たるならん。されども是は猶可なり。呂氏春秋。安死篇なる。径廷安死篇曰。
魯季孫有喪。孔子往弔之。入門而左。従客也。主人以
収。孔子径廷而趨。歴級而上。
曰以宝玉収。譬之猶暴骸中原也。径庭歴級非礼也。雖然以救過也。を。ヲコガマシとはよみがたかるべし。曩に偶好古日録を閲せしに。引老学菴筆記云。
蜀人見人物之可誇者。則曰嗚呼。可鄙者。則曰噫
。嗚呼ノ者。此間ノ書ニ。古来ヨリ散見ス。俗言に。イキスギ者ト云ハ。
噫
過ナラムカ。見下之巻。といへり。いきすぎは。不及の義なれば。往過なるべし。嗚呼も亦是としがたし。
按ずるに。三代実録陽成紀曰。元慶四年。秋七月廿九日辛酉。御仁寿殿覧相撲。左右近衛府云云。右近衛内蔵富継。長尾米継。
善散楽。令人大咲。所謂
許人近之矣。ヲコノモノ。はやくこゝに見えて。
許と書たり。烏滸は。地の名なり。後漢書。列伝第七十六南蛮伝曰。
交阯之西。有
人国。生首子。輙解而食之。謂之宜弟。味旨則以遺其君。君喜而賞其父。取妻美。則譲其兄。今烏滸人是也。といへり。
便是ヲコノモノの本文なり。この土にいふヲコノモノは。蛮夷の愚悪に譬喩せしのみ。蜀人の嗚呼とおなじからず。その嗚呼と書たるは仮借なり。
有
人国…「
人国。墨子節葬下。作
沐国。魯問編。作啖人之国」頭書あり。
記録・随筆・紀行に戻る
坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp