義経記
《義経記巻第三》

別当ふしぎにおもはれければ。産所に人をつかはして。いかやうなる物ぞととはせければ。生れおちたるけしきは。 よのつねの二三歳ばかりにて。かみはかたのかくるゝほどにおひて。おくばもむかばもことに大に。 一くちおひてぞむまれたる。別当にこのよし申ければ。さては鬼神ござんなれ。きやつををきては。仏法のあたとなりなんと。 水のそこにふしづけにもし。しんざんにはつつけにもせよとぞの給ひける。母これを聞て。それはさることなれども。 おやとなり子となること。この世ひとつならぬことぞうけたまはる。たちまちにいかゞうしなはんとなげき入てぞおはしける所に。 山の井の三位といひける人の北のかたは。別当のいもうとなりければ。ばうにおはして。おさない人の御ふしんのていをとひ給ひければ。 人のにんぜらるゝと申は。九月十月をもつてこそきはめて候へ。きやつは十八月に生れて候へば。 たすけをきてもおやのあたともなるべく候へば。たすけをくことかなひ候まじとぞの給ひける。おば御ぜん是を聞給ひて。 腹の中にひさしくてむまれたるもの。おやのためにあしからんには。西天ぢくの黄石が子は。はらまれて二百年。 たけうちの大臣は腹の中にて八十ねんのよはひを送り。白糸おひて生れける。としは二百八十さい。たけひきく色くろくして。 よの人にはにざれども。八まん大ぼさつの御ししや。あら人神といはれ給ふ。りをまげてわらはに給り候へ。 京へぐしてのぼり。よくばおとこになして三位殿にたてまつるべし。わろくば法師になして。きやうの一巻をもよませたらば。 などかぼだひをもとぶらはざるべきとの給ひければ。そうとうの身として罪つくらんもさすがなれば。 おばの女房にとらせけり。産所にゆきてうぶゆあびせて。鬼若と名をつけて。五十一日すぎければ。ぐして宮古へのぼり。 めのとをつけてもてなしかしづき給ひけり。おに若五にては。うちまかせてのものゝ十二三のほどにぞ見えける。 六さいと申けるとき。もがさといふものをして。いとゞ色もくろく。かみは生れつきのまゝにてあれば。 かたより下へはおひざりけり。かみの風情もおとこになしてはかなふまじ。法師になさんとて。ひえの山のがくとう。 さいとうさくらもとの僧正のもとに申されけるは。三位どのゝためにはやうじにて候が。がくもんのためにたてまつらん。 みめかたちはまいらするにつけて。はぢ入候へども。心はさかさかしげに候へば。ふみの一巻をもよませて給候へ。 心のふでうなるをばなをし給候て。いかやうにも御はからひ候へとてのぼせけり。さくらもとにてがくもんするほどに。 せいも月日にしたがひて人にすぐれて。がくもんも世にこえてきりやうあり。さればしゆとも。かたちはいかにもわろかれ。 がくもんこそたいせつなれ。かくてだにがくもんに心入なば。さんわう大しの御たからとて。十八のとしまではがくもんにはよかりけり。 ちかたもつよくほねぶとなり。ちうどうじ。こぼうしばらをかたらひて。人もおこなはぬ深山のうしろ。 山のおくなどにこもりゐて。うでとり。うでをし。すまふなどをぞこのみける。しゆとこのことを聞て。 わがみこそいたづらものにならばなれ。人のもとにがくもんするものをさへにすかし出してふでうになすことふしぎなりとて。 僧正のもとにそせうのたえやむひまもなし。かくうたへける物をば時のかたきのやうにおもひて。その人ばうへはしり入て。 しとみつまどをさんざんに打やぶりけれども。悪事もぶやうもしづむべきやうぞなき。そのゆへは。父はくまのゝ別当なり。 養父は山の井殿。おうぢは二位の大納言。しの御坊は三十坊のがくとうのちごにてあるあひだ。手をさしてはよきことあるまじきあひだ。 たゞ打まかせてぞくるはせける。さればあひてはかはれども。おに若はかはらず。いさかひたえやむ時もなし。 こぼしをにぎり人をゑめければ。人道をもすぐにゆきあはず。たまたまあふものも。みちをよけなどしければ。 そのときは相違なくとをして。のちにあひたるときとつておさへて。さもあれ過候しころ。行あひまいらせて候に。 道をよけられ候しは。なにのいこんにて候けるぞととひければ。おそろしきに。ひざふるひなどする物をば。 かひなねぢそんじ。こぼしをもてこはむねをしそんじなどするあひだ。僧正のちごなりとも。山の大事にてあるうへは。 ゐんぜんを申てさんじやうを追出し申せとて。大しゆ三百人。院の御所へさんじてうつたへ申ければ。 それほどのひがごとのものをば。いそぎをひ出せといふいんぜんなりければ。大しゆよろこびて。さんじやうにかへるところに。 くぎやうせんぎありて。ふるきにつきを見給へば。六十一ねんにさんじやうにかゝるふしぎのものいできつれば。てうかの御きたうになることあり。 いんぜんなりともこれをしづめつれば。一月がうちに天下ぶさうの御ぐはん五十四所ほろぶべしといふことあり。 今年六十一ねんにあひあたり候に。たゞすてをけとぞ仰くだされける。しゆといきどをり申けるは。 おに若一人に三千のしゆとをおぼしめしかへられ候こそいこんなれ。さらばさんわうのみこしをふりたてまつらんと申ければ。 しんには御りやうをまいらせられければ。しゆとこのうへはとてしづまりけり。このこときかすなとて。かくしをきたりしことを。 いかなるおこのものかしらせけん。これをおに若きゝて。さてはわがふるまひは。天下の御いのりとなるござんなれとて。 いとゞさんざんにぞふるまひける。僧正ももてあつかひて。あらばあると見よ。なくばなしとみよとて。めも見せられず。
史書・歴史物語に戻る

坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp