愚雑俎
《愚雑俎巻之一》
○野塩の名義
加茂川野塩といへりし名人の俳優が名は。京師の加茂川にはたへて潮の気なき潔水なり。元来野塩は世に絶てなき名人ゆへ。
加茂川のしほと人より名付しとなり。これ則観世太夫中興。黒雪斎と云に同日の談なり。誠に名は実の賓なり。
近世角力に浮船羽左衛門は。羽積沈船といへる語を浮と転じて号しが。果して頭取まで成登りたり。今の押尾川。
初竜門滝之助と云しが。画工桂雪典のいはく。滝は落るものなり。鯉之助とせば佳なるべしと云しを直に用ひしが。
果して関取と成。陣幕と改。また押尾川と経上りたり。思ふに竹の辻子於虎が舞妓の魁首たるも。所と名の応じたるもまたおかし。
《愚雑俎巻之三》
○惟高王
惟高親王御年二十才已上にならせ給ふまで。立太子の沙汰なし。御弟惟仁の皇子は二才にして立太子の宣下あり。
世俗にいふ。儲位をあらそひ玉ひて。競馬又は角力など行はれしとは。甚しき妄談なり。儲君の御沙汰は。
実に大事の上の大事なるに。いかんぞ競馬角力などにて。廃立の沙汰に及ばれんや。尤青史にも此事見へず。
後世童のたわむれのごとき説を伝へて。桜木にちりばむるは愚の甚しきとやいはん。かの皇子の在中将へ御返しの歌。
夢かとも何かおもはん浮世をば云々。とよませ玉へるにても察し奉るべし。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp