仰景録
《仰景録上》

一。忠勝様御物語に。我等は昔衆に親み思はれ候。或時御城大広間にて。伊達政宗殿に行逢ひ候へば。 讃岐殿相撲を一番取り申すべしと之あるに付。御相手になるべしとて。立向ひ取組み。大腰にかけて。 政宗殿を投げ申し候。其節井伊直孝参合され。讃岐殿心強く存ぜられよ。若し負けられ候はゞ。関には我等出で申すべし。 旗本の名折れはさせまじきとの。挨拶にて候ひき。場所と云ひ。事柄と云ひ。珍しき興ある事に候とて。 毎度御吹聴候由。当時上下相雍ぎ。和して蕩けず。太平の気象。言語に絶し候御事なり。

《仰景録下》

一。忠直様相撲を御好き。立石藤左衛門唐崎志賀之助などいふ取手共召抱へられ候。其頃越前の伊予守様にも相撲御好み。 取手共召抱へ置かれ候。或時双方の取手共立分け。勝負御覧なさるべしと。御約束之あり。頓て牛込馬場にて。 左右に御桟敷懸り。御二方様御見物にて相撲始り候処。立石唐崎など初めとして。片端取損じ。越前家の相撲に取敷かれ候。 是は其頃異国より紋天鵞絨渡り始めにて。忠勝様御到来之あり候を。珍しき物とて下され。何れも下帯に仕り罷出で候。 相撲の下帯には締り悪しく。手ども掛かり能く。其故取負け候と。立石唐崎など相訴へ候に付。忠直様にも甚だ御急きなされ。 早く繻子を取り来れと仰せられ候故。御土蔵へ御近習の者馳せ参り。繻子を取出し。手々に切り候て。 相撲の者へあてがひ候由。扨て右下帯の故にて候や。中入より此方の相撲取勝ち。越前の相撲を取犇しぎ候に付。 伊予守様御急きなされ。しかじか御暇乞も之なき位にて。御帰りなされ候由。右の儀追つて忠勝様聞かせられ。 全体大名の左様の勝負を争ひ候事。如何の儀なり。別して伊予守殿は貴□格別の御人に候処。右の始末沙汰の限りに候とて。 甚だ御立腹御警めなされ候由。
記録・随筆・紀行に戻る

坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp