春雨物語
《春雨物語下》
捨石丸 第七回
みちのく山にこかね花さくと云古ことは。まこと也けり。麓の里に。小田の長者と云人ある。あつまのはてには。
ならひなき富人なりけり。父は。宝も何も。子の小伝次と云にまかせて。明くれに酒のみて遊ふ。姉の常と云は。
をとこをさいたてゝ。行にゆるされて尼となり。豊苑比丘尼と改め。すきやうまめやかなり。母なけれは。
家の事つかさとりて。恵みふかゝりけれは。出入る人いとかたしなく。つかふまつりけり。捨いし丸と云は。
脊六尺にあまりて。肥ふとり。世にすくれ。酒よくのみてらふ。長者の心にかなひ。酒のむ時は必ず呼よせたり。
或時。長者酔のすゝみに。おのれは酒よくのめと。酔ては野山をわすれ臥故に。石捨たりと云あた名はよはるゝ也。
よく
入たらんには。態。狼にくらはるへし。此釼は。五代の祖の力量にほこりて。刃広にうせたまへる也。
野山の狩を好みてあら熊に出あひ。いかりにらまへ。歯むきて向来たるを。此釼ぬきて。腹をさし。首うちてかへられしより。
熊切丸と名よはせし也。おのれ必酔ふしてくらはれん。此釼常に帯よ。守り神ならんとて。たまへる。
推いたゝき。くま。狼は手とりにせん。鬼や出てくらひつらん。鬼去丸と申さんとて。左におき。よろこひの酒とてすゝむほとに。
酌にたつわらはめ。今は三ますにも過たらんとて。いらふいらふ。此心よきに。野風をあひんとて。
たつ足しとろにたち行。長者見て。得させしつるき失ふへし。かへるを見とゝめんとて立も。足よろほひたり。
小伝次。父あやうしとて。跡に付て行。はた。流ある所に打たをれ。足はひたして。つるきは枕のかたに捨たり。
かくそあらんとて。長者とりたるに。目さめ。たまひしを又うはひたまふやとて。主わすれあらそふ。父力にたへねは。
釼もちなから。あをむきになりて。捨石其上にまたかる。小伝次はるかに見て。丸を引たをし。父をたすけんとすれと。
力よわくて心ゆかす。丸。又小伝次を右手にとらへて。和子よ何をかすと。前に引まはし。父のうへにすえたり。
されと。主といふ心やつきけん。いたはるほとに。父をたすけて。丸をつよくつきたをす。父。おき上りて剱をとり。
おのれはまことに日本一の力量そ。武蔵坊と申せしは。西塔一の法師也と。うたひて行。捨いし。あとにつき。
衣河へと急るゝと。拍子とりてくる。父かつるきに手かけて。うははんやとするに。抜出て。おのれか腕につきたてしかと。
長者の面にそゝきて。血にまみれたり。小伝次。父をあやめしやとて。後よりつよくとらへたり。とらへたるを。
又引まはして。面をうつ。是もいさゝか血そゝきかけたり。父は子をあやまちしかとて。つるきの鞘もて。丸かつらをうつ。
抜たるにうけて。何やらんうたひつゝ。又父をとらふ。さすかに刀はあてされと。おのか血の流て。長者の衣にそみたり。
家の子ことも一二人追来て。こわや御二人を殺すよとて。前うしろにとりつく。さてはあやまりつと思て。
二人の男を左右の腋にかいはさみ。主ころしはせぬそとて逃行。二人のをとこら。とらはれなから。主ころしよとて。をらひ云。
さては父子ともに我あやまちしよとて。二人の男を深き流に打こみて逃ゆく。父はまた酒さめされは。血にまみれなから。
つるきの身さゝけて。おとり拍子にかへる。小伝次もあとつきてかへる。家の内こそりて。いかにいかにと立さうとく。
されと。小伝次かせいししつめて。父をふし所につれゆく。尼のこゝろえて。この血はいかにとゝふ。
捨石めか。たまへる剱に。おのか腕をつきさしたる血也。おのれもいさゝかそみたれと。事なしと云。姉。落ゐてよろこふ。
捨いしは主をころせしよと思ひて。家にもかへらす。いつちなく逃うせたり。二人のをとこ等こそ。水底にしつみて。
むなしく成ぬ。一ト里立さうとき。捨石。主をころして逃行しかとて。みな長者の家にあつまりて。
小伝次せいして。必すあらぬ事也。渠かかいなる血出て。父にそゝきし也と云。さらはとて。たゝ二人のをとこか屍もとめんとて。
立走り行。いかにしけん。父はあしたになれと起出す。おとゝひゆき見れは。口あき目とち。身はひえて死たり。
こはいかにとて。いそきくす師よひて。こゝろみさす。くすしこゝろみて云。是は頓にやみて死たまふ也。
今は薬まいらすともかいなしと云。おとゝいなきまとふ。家の内の者とも。又。立さうとき。まこと。主はころせし也。
御めくみふかくて。とみのやまひとはのたまふ也。御仁恵といふもあまり也と云。国の守に聞えて。目代いそき来たる。
かねて長者か富をうらやみしかは。此ついてになくしてんとて。屍見あらため。是は血はそゝきかけし也。
たゝしたゝかにうたれて死たる也。小伝二親をころされなから。え追とらへす。病に申事いふかしとて。よこさまにいふ。
薬師おりあひて。いさゝかもうたれし所なしと。目代目いからせ。おのれ賄賂とりていつはるよとて。からめさす。
小伝二はさすかにえからめす。守に参れとて。つれ行。参りて。始よりをつはらかに申す。守もねたくてありしかは。
いな。明らかならす。くすしめはひと屋にこめよ。小伝次は数百年こゝにすみて。民の数なから。刀ゆるし。
鑓。馬。乗輿ゆるされしは。ものゝ部の数也。目の前に親をうたせなから。いつはる事いかに。国の刑に行なはんものを。
見ゆるすへし。親のかたきの首提てかへらすは。領したる野山。家の財。のこりなく召上て追やらふへし。ゆけ。
とくとて入ぬ。打わひつゝかへりて。姉に申。病こそやまね。骨ほそく。刀こそさせ。人うつすへ知らす。
丸めは力量の者なり。あはゝ必さいなまれんと云。姉の尼泣々云。我しうと君。日高見の社司は。弓矢とりて。
みちのく常陸のあら夷らを。よくこなし給ふ。行て刀うつ業ならへ。必いとほしひて。まめやかにをしへ給ふへしとて。
こまこま文かきそへて出たゝす。小伝次。是に便を得て。いそき日高みの社に行。社司春永聞て。あはれ也。
力は限あり。業はほとこすに変化自在也。やすくうたせんとて。年をこえ習はす。心にいりて習へは。一とせ過て。
社司。よしと云て。出たゝす。助太刀といふ事。おほやけにゆるしたまへと。ますら男ならす。一人ゆけ。
あはゝ必首うちてかへらんものそとて。いさめてたゝしむ。はしめいかにせんと思し心は。いさゝかあらて。
身軽けに。先あつまの都にと心さしゆく。捨いしは。すゝろ神にさそはれて。夜昼なく逃て。江戸に。こゝかしこと。
わたらひわさしらねは。力量にやとはれ。角力に立交りたり。或国の守の。すまひこのみ。酒好みたまふにめされて。
御伽につかふまつりぬ。いかなる者そと。問はせしかは。愚なるまゝに。いつはらす申上る。さるは。
主の敵もちなり。其子弱くとも。たゝにてあらんや。富たりといへと。人数にをして捕ふへし。国にことしはまかれは。
我よく隠すへし。とくとて。御のり物そひにめされてくたる。小伝二は尋まとひて。江戸をちこちにも。
三とせはかりありて。其くにの守の御恵みにて。西にゆきしと聞あらはし。其日に立行。国は常くにの何かし殿にて。
心広き御人也。かく養ひたまふ中に。酒の毒にや。疔をやみて。ついに腰ぬけと成たり。申上るは。主をこそ殺さね。
其名たかきには罪大也。若君たわやかにて。我は得うつましく。仏の弟子にや。姉の尼きみと同し衣にやつさせたまはんものそ。
いきてうたれんと思へと。こし折たれは。四百余里いかてあゆまん。聞つるに。此御くにの何かしの山は。
岩ほ赤はたかにて。今の道を廻りて。八里はかりと聞。ある人の大願にて。此あか石一里はかりを道にきりとほさは。
往来の旅客。夏冬のしのきを得て。命損すへからす。今やうやう穴をつゝきて。一丁はかりと云。我主の長者の御為に。
是をぬきて。人のためにすへし。足立ねと力あり。よくよくつとむへしとて。御いとまたまはり。鉄槌の二十人してもさゝけかたきをふりたて。
先うつほとに。凡一日に十歩はうちぬきたり。国の守触なかして。民に力そへよとて。民は此石の屑をはらふ事を。
いく人かしてつとむ。一とせに過て。やかて打ぬくへき時に。小伝次たつね来たりぬ。捨石申。主をころさぬ事。
御子の君そしらせたまへる。されとかく事ひろこりては。申わくとも無やく也。我首うちて往たまへと云。
首とらんとて来しかと。此行路難を開きて。長き代にたよりする。御父の手むけとそ。いて。我も力そへん。
家はとふともいかにせん。始ある物。必よ終ある。時なるへし。姉は仏の弟子にておはせは。よく思しとりて。
心しつかに行ひたまはん。我力をそへて後に。あねの所にいきて。す行すへしとて。かいかいしく石はこひ。
民とゝもによく交はる。捨石。あなたふと。しかおほして此事に力そへ玉ふは。神よほとけよとて。よろこふよろこふ。
或日云。若きみ。我をうたんとて尋ね来たまへと。骨よわく力なけれは。こしぬけたる我をもえ打たまはしと云。
小伝次こたへなく。そこにある石の二十人はかりしてかゝくへきを。躍たちて蹴れは。石は鞠のことくにころひたり。
捨石おとろきて。いつのまにかゝる力量は得たまひけんと。いふかる。小伝二又。こしの弓つかひて。ひようと放つに。
雁二つ射ぬかれて。地に堕たり。汝力にほこれとも。かれは限あり。我業千変万化。汝かこしたちてむかふとも。
童をせいする斗たやすし。丸ふし拝みて。心奢りたるは愚也とて。小伝次に。かへりて事とひ学ふ。かくて月日をへ。
年をわたりて。凡一里かほとの赤岩を打ぬき。道たいらかに。所々石窓をぬきて。内くらからす。もとの道は八里に過て。
水うまやたになく。夏は照ころされ。冬はこゝゆるを。此岩穴にて。ゆきゝやすく成んたり。馬に乗て鎗たてゝ行とも。
さわりなし。太初の時。大穴むち。少名ひこの。国つくらせしと云も。かゝる奇工にはあらす。国の守大によろこひて。
みちのくの守に使遣はし。事よく執をさめたまへは。小伝次は御ゐやまひ申てかへりぬ。捨石はほとなく病て死たれは。
捨石明神とあかめて。岩穴の口に祠たてて。国中の民あをきまつる。小伝二は東にかへりて。国の守の罪かうむらす。
益家とみさかえたり。姉のよろこひ。いかはかりならん。日高見の神社。大破にて年わたりしを。此ゐやまひに。
こかね。玉をきさみて作りたりしかは。荘厳のきらきらしきによりて。となりの国まても。夜昼まうてゝちか言す。
はたうけひたまひて。此御ゐやまひに。たからやぬさやつとひみちて。あつまには二ツなき大神となん。いはひまつれりける。
云人ある…云人あり。
いとかたしなく…いとかたしけなく。
よくのみてらふ…よくのみくらふ。
…寐。
態…熊。
うせたまへる也…うたせたまへる也。
いらふいらふ…わらふわらふ。
かいなる…かいなに。
富たりといへと…富たりといへは。
常くに…豊くに。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp