の如く。列楼流に臨で倶に曲れり。
故に後朝の客。遥に顧て眷々として去り心磁石のやうに北を指て不
。そも。顧眄の橋と呼ぶは。東西の半に渡る樋の橋。
昼夜駒下駄の音高く。往来は櫛の刃をひく髪結床。招幔を戦ぐ春風の融々なる空に。河佐楼の三階にひく三線。唱歌の声彩霞に散じ。笑語雲外に喚ふ。
三丸館の玄関閉る日なく。丸新の裏座敷。菜花芬々として。密坐野遊の眺望あり一町目の播源。南涯の住治といへば送迎の道の遠きに回漢は謚く。
伊丹屋の長家にひろがる華善。狭路の出入に犬糞をこまるよりは浜側の棟高の危をおそる。大吉の二階。薬師堂を眼下に見。河久の大座敷。
裏街の人声を聞く。大半の粧閣。格子の簾は桜橋の行人を睨し藤伍伊丹八十は西妓館の並
を遯れず。二軒の河庄。東のいれ河利たるより丸伊忽鯛喜と変ず。
岸本屋の十一丸。河忠の生蝋燭。豊与に柴崎といふ雅名あり。豊太に板行文七の古名あり。東西の太壺店にむかしより連名の招灯を出さず。
これや廓崎陽にまさりたる高情。げにも北のたいこと古歌にうたひしぞゆかし住辰に若虎。山助に業平。男をたてがねして亭主に持て居る妓館あれば青楼に世話やかれといふ客あり泉平の八重太夫。
京半の梅太夫黄泉に逝て。津ノ嘉の岡太夫東都に名を成す弥太夫の紙屋いつ吉の三線。戎此が浄瑠理は五百篠の色事に名高く壁弥篤実になれどニハカの社中を漏ず壱町目にぽへん店出て。
二町目に香嚢の風薫る堂島橋の灯籠。曾根崎橋の蛍。若村屋の秋の夕は虫店のちんちんの声三弦に接り薬利の冬の日は顔見世の桟敷割に店をふさぐ。
お六すき櫛。いろは紅粉。川合の茶巾。阿波善の鰻。高麗蕎麦代八分春日野は四十八文。綿富に手取の料理すれは。蒸湯には人間の風呂吹をなす。
温六の休日。温飩は箸よりふとうして白く。因幡の餡餅は粧閤の買ぐひにはやる。肥前屋のはなれ座敷。紅葉菴の亭坐敷。大任の麦飯て恋つれば。
本庄に鳥なきさとの螯汁あり。中山の無縁経野崎参りの船催十六日の妙見さんも。実はといへば信心にあらず。かの高い舟借て。やすひ小魚釣に行か如し。
春夏の陽気うは気よりいつしか。秋来ぬと目にはねつから見へねとも一声の躍太鼓に音づれ浜の寺の高灯籠はものほしの宴を照し。梅田の回向鉦は新地三町恋無情を告る。
源氏香尽しの揃の挑灯。三丁目の貝尽し。こよひの躍は中街にありて。仲居はかこつけて八兵衛に出会。小婢は客にせがんで緋緬の手拭でしやれる夜すからの
音頭。
飯焚胸にこたへて目もあはずやうやう三番の萩散て。住佐の菊も霜凋て。桜橋に蠣船係ぐころ。一丁目に手打の挑灯風に寒し。幾竹屋の岸岐ににほふ茶目利のすつぽんならねとも恋の甘味も。
色の嘗も。冬こそしみじみと身にしみて。夏のうは気でちよつと出来た色事も。露結んで霜となる。こほるふすまの長の夜の。逢ぬつらさに思ひのいや増るそいのちなれ。
されば朝迎ひの遅ひのと。花のきまりのゆるかせなるとは遊客のかすり歌。居続けの朝込に昼仕舞をかきる。広島屋に酒樽洗ふころ。反吐ならぬ菜肆の荷ゆきちかひ。
粂長さかいなんどの肴荷競て走る。花帖あつめる回漢。指紙配るかり子。花つめにありくたいこ店。芥塵捨る番太郎。灰吹あらふ乞食。燭台の紙くずは口紅粉ついて赤く。
角箸楊枝は笊籬に入て日南にあり。河伊津の利の呉服荷おもそふに。大丸の童僕木長あたりに休む。のりイと呼ぶ女の商人。
あわヱイの岩おこし神の棚卸に自作のはらひ給へは六斎に廻り。編笠のなアもヲは懐手をしにせけり。
ヲヽこわの六兵衛は狐の子。仏の慈悲は八百屋坊主。染組登仙すれど筑州の清吉いまだ徘徊す。背の低い友入道。物真似する恵林法師。
鍼医といふ周雅は浄瑠理に耽り。尺八で名高き吸管は医道に凝る。大万か噺。柳巴が躍樋の上紅屋新平香。勧学屋錦袋円。岩永晩景。大芝が乗駕。
奴のやうな桶屋の賃安。外科めいた稽古屋のおきんさん。おそのさんおやすさんてふ髪結は弟子つれてのゝめき。要助が破れた腰嚢には入口の鍵をかくす。
天満屋福田屋の町使おとなひて。丸安徳島屋の香具荷溝側にならび。大黒湯に芸妓のいりつどふころ相撲取の巽上りは児童のほたへるが如く平善の長風呂に浄湯がおほひとて奴僕は私罵。
紅粉買に行黒歯貰。巻紙かふて来た洗楾婢。約束の妓婦の宿屋入蓮歩徐々として観者腸を索ひ回漢がかたげた包には。あの佩環の解んことを思ふ日もはや西山に遠近の客の。
衣紋整て趨にゆけば両側の格子には常衣の妓婦。粧凝て外面をのぞく。泉理の鮓。大吉に荷を預け。ゑらの蒲鉾黄昏をたかへす既に軒灯粲々として煥けは。
紙正の達筆かけあんだうにあかるく。東西の温薬。杉田のさんせんさんごは法花の十三塔の如く松田の目印は口上書叮嚀なり津の嘉三梅の女筆。
鍵仲の陶斎流は大半が手跡なるべく。灘住の千倉やうは鮓による酒屋ならん。若徳に可亭の骨肉をゆすれば播さとは玉淵が風かいだのを見しらす喜見城門夜色闌にして二階に騒ぐ高調糸。
牽頭子の戯劇はむかひの軒に群聚をさせ。長岡雛都の手事には往来の足を駐む送られてゆくおやま。花から戻るげいこ。圧売にまはるたゐこもち。指込にありくまはしおとこ。
河平にかなくそといへるかり子あれば。あきよどんと呼れる古婢もあり。倉邸の新五左。箱提灯に先を払せ。
行ほうかふりして飯焚をねらふ。
大三かぎやの夜叫温飩。ふり売の茶碗むし。善哉正月やなら茶めし。西田屋の京飛脚喚で。髭の長い按摩玉笛を発す。蛸あがれの新菓子。六町目の醴酒或はそれ梅花心易墨色の考。
総て街上に鬻ぐものゝ声厳冬に逼る。今夜は何所も贍なと回漢のあきなひはなし。呼ものかと問へば。イヽヱ駕籠いひに行と小婢は答ふ。
客を送る仲居はモシおありがたふ。愛郎を往す芸子はそんならヱとぬれたり。青楼時をしらずといへども大黒湯の招灯はむかひかはの四ツを限り。
風呂流す音川水にさへ橋渡る人影のやゝ更行けしきは。色と情の真昼にて。揚先しまふたおやまの貸にゆくなどしれた手管も先にくからぬものなれ。すてに三更の拍子木チヨンチヨンチヨンのひやうし幕。
西のかたあんだうまばらにしてくらく。舞台一面にげい子の戻り足。鼻歌の声は客の耳に残し下駄の響には恋まつ人の腸を断。あるは溝またげて犬悦する客。かたへには送りの男鼻をつまんで立り。
祇園めいたちいさい提灯の素婦めいた本新妓を送れば。樽さげた小婢酒屋の戸を
く誰や手をひいたふたり連なにか囁て横町へひそむ。ゆきちがふて来る駕籠の提灯ギイギイの音に今まではなやかなりし家々の火かげもなくなり。
いつでもおそふひく西店のあんだうも。夜叫の焚火もみなきへきへて。会所のありあけ自身番に残り。駕籠所のともしび風にちらめく。
そこの二階に空積を起すおやまあり。かしこの座敷にそら涙をこぼす芸妓あり。口舌にさはき。契話にしづまる閨中のさまも。青灯耿として宵の燭台に似ず床の間の花生一輪の椿ころりと落。弦捨三線。
いとひとりでに断る。屏風に画る西王母もほつしりと淋しそふなるに。釣鐘町の時鐘かすかに聞へて翌の雨気を思ひ。沖の鳴音には風の烈しきをおそる。
夢結ぶまくら。みだれ髪顔にあたりてつめたくかけ香の薫は隣座敷の鼾よりも高し。起番の仲居眠かちにして。厨台に鼠皿を落し。井戸に釣瓶の水漏て索輪おのづからぐはらぐはらと鳴る。
小便にたつ客廊下をとゝろけは水筧にあらぬ竹筒の音。ちりゝんひゞく鈴の音。割竹の音。鳴子の音。犬の吼声。猫の声。溝石からりと。息杖に。
かごまいりましたと戸たゝくは。八ツか。七ツか。別れこそ城の外告寒山寺。ゴヲンとひゞくまくらのうへに。
残る塩茶のあき茶碗。いつ来てじやヱとちよつとちぎつたきぬきぬを。あちらに聞て寐てゐる客も。どふで別れは東雲の。可愛がらすに阿房烏。
二日酔の客は揚り口の楾の手まへはづかしく。肝積起した客は鉢のわれたに胸を抱く。夜どをしの青醒顔口舌した寐ほれ顔。世理賦の出来た嬉し顔。
むしんいはれたくつたく顔。かほのさまざま心の別も。おなじ流の水遊び。はまれは深き蜆川。手ふりはふりの姿を写す。月雪花ののへ鏡。その紅粉筆に粧水をもて。
芸妓がくれた礼状のうらに。こんなてんがうを書捨るてふ
| 寛政六ツきのへとらのとし後の霜月十日の夜 | ||
| 香宮散人井関楼上にして。つきあひに呼んだいれ込の新造のそひぶし。寐られぬまゝにこれを書す | ||
が辻の辺り。
子供名前の表札のある露路のおく。会所の判取場みるやうなゆすつた住居は。喜多市といへるすれがらし。
小文才もあるかして若干の書庫つみならべ。しつぽく台に孔雀の尾たて。綴りかけたる草稿は新歌。
カ。
手うちのもんく。或は筋のたゝぬ歌舞妓の趣向。炬燵がてらに切た炉にさしむかふてはなししてゐるは相庭屋のひとり息子やぼくきせるひねくりまはし時に其事できやつがみそをあげるのがけしからぬ。
しかしなんぼ
ふるふておどして見ても川立は川とらいふて。とふでしまひはこつちのかぶりになるせりふじやぜ。
あつちのしかけがまるで色といふ場で来てゐる芸じやによつて。まんざら肩ずかしくわさるゝほどのことはあるまいけれども。
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めいた事はとんとなし。
中にも丸新のおやぢなどは畸人伝にある大雅堂といふ風でごさり升きんいかさまなア。しかしこつちは此だうじまといふひとふうある所のそばしやから。よそよりはなをはなやかになければならんがナアほくいやコウ金さん。あまりだうしまのふうもみそをあげまい。なるほどおとこはさつはりとはをりでもきてコウゆすつた所はとふやらあかぬけがしてあるやうなけれども。かの盆正月に上下でもきてからといふものは。にわかにかしらのいとびんが目にたつてどふも見てゐられぬゼ。
そこらでは金さんおまへのかみのふうかよふうつるきたイヤこれはきつい高論じや。時にこの北でおかしいといふのは。浜のきやくをおもにするからげい子が歌うたふにもめうな気のつけ所がござります。カノふむのつくのといふ事が禁句じやによつて。
とりべ山にぞ入にけり。はやすみの江にいりにけりと。これだけソノきみあひをつけてうたふたものじや。せんだいかふいへばおかしいけれども。はまのものほど皆ごまのごとやらいふて。なんでもない事でも気にかけるものはなひ。茶屋のあいさつもサアおあがりなされじやのモウおりなさつたはのと。カノ高下にかゝわることばをうつかりといふたら。客によつて大のはたきになる事がある。それにおやまの状に存をかなでかけば損するといふにかよふゆへ存と字でかき升。申あげもやうすによつて申入とかく。カノ七月をふみづきなどゝかいたら。
イヤモそれこそホンニおゝさわぎじやきんいかさまそふいへばだいぶよそでしらぬ事があるのほくそれにアノ十五日の妙見のごゑんにちが十六日の浜のやすみの日になつたも。
なんとおかしいじやないかきんホンニそのめうけんのついでに。いつやら久々智へまいつた時アノかんざきのやつこ茶屋に。きの万のまんよがゐたぜ。
あれはどふいふもんじやのきたイヤそんなこつてもあろ。ぜんたいきの万のうちがアノやつこぢや屋サきんはてなほく喜多公いろいろの妙な事をしつてゐるのきたいやモウしつてゐる事においてはアノ玄里といふおとこほどよくおやまやげい子の出生をしつてゐるものはごさりません。
此あいだもちよつとはなしするのがいつこおかしい。マア此はるひいた島とくの色香が加賀のうまれでほんまのなはおかうといふ。ソシテひいてからの名はおのぶといふ。おなしみせの小花が本町せんだの木ばしのごふくやのむすめ。ソレニ豊与のやをが江戸のきんじよのかな川とやらなにとやらいふたけれどもわすれました。おなしみせに名歌といふちいさいおやまがある。それが播州ひめぢのうまれ。壁屋のにしきが和州ありはらのうまれ。
泉国のおのへが伊勢のうまれほくいかさまそふかしてチトなまるきたそれに大多のゆかゞ京の刀鍛冶。金秀の琴が京のごふくや。河忠の笑が天満ふたへもんこれは今南にゐるそふな。それに扇さとのみつが馬場さきの京いしといふ置屋のむすめ。八木屋のやぎが京の二条の新町。泉吉の三吾が南のつる井和八がむすめ。ヲヽそれにまだ扇さとのらいが京の西ぢん。カノ大多のあさが南の長左の嬶。コレハ誰でもしつてゐる。ヲヽそれにひゐたちどりが京のうまれで。
みづあげは丹波のさる大名じやげなぜモシほくハテいろいろの天狗があるものじやなアきんコウその大名でおもひ出した。アノ京半の小むらさきももとさいこくのだいめうにつとめてゐたじやなひかきたさればナア。
あれはぜんたい京で堂上かたの奉公をしてゐ升たそうなきんいかさまてきが状にも濃紫と本字でかいたり。ちよつこり朱印などでゆすつてゐれば。おゝかた季なし発句や。てにはのあはぬ本歌でもできるであらふきたイヤモもちろんときにあいつはなるほどへんぶつでごさります。マアけんをうち升。それにものまねをし升。まだおかしいのは京のおどり。
ソシテ鬼市の上るりをかたるのほく妙じやノきたそれにカノおしろいをせぬといふのもやつはりゆすりでこさり升きんそんなられしはとさけのむまねしてきびしかろきたイヤサそれがとんといかぬじや。かのうかれがほんきてするからイツコたまりませぬ。
それにまひとつおかしい事があるほくなにかきたすこしおかしいかほつきにてかの閨中で可也といふ事をいひ升げなきんハヽア可也。こいつアよいト三人わらふきたときに又アノ大多のゆかの妙な事をいひ升ぜ。これはカノ草庵集に浜の真砂をづつうにして。わからひでも源氏の湖月などをよんでゐるといふはらで。ちよといふ事もたれやらの相伝じやはの。
イヤしきしまのみちじやはのとめつたにソノ天狗つかひ升。つねのものいひもひつきやうづる。あるひはそふしてつかはされ。又は今夕薄情などゝいふ漢語もつかひ升きんそんならカノ状のおくにはいつても歌かいておこすであらふきたさやうサほく手跡はどふかきんイヤその手跡では泉国のおのへがおそれいつたものじやぜきたさやうさやう。
ぜんたいあれは唐様でござり升つねの文躰よりは漢文などは別して見事サほくそれにきやつは琴をよふひくテきんおなじみせのみしも手はたつしやなきたほんにアレモ大のゆすりかでごさり升。
まづみしを美石などゝおどして文躰も漢字がおゝひきんいかさま。ソシテてきが詞のひつはなしに舌のぼつれるやうにやうすつけるのもひとくせあるぜほくはいふきひとつとんとたゝいていやコレあれはつくり声じやのきたさやうサ。
それにてきがものいひいひ肩をコウいからしてゑりをトいらふが妙におかしふこさり升きんイヤ又あるきぶりもいつばわかつてあるきたなるほどくせといふものはめいめいにあるものて。河平のはんが豊太のらいが事ひとしきりなにをいふこと
のうちにも幕々といふ事をいひ升た。それに吹安のみやこがつくりわらひのやふでほんまにおかしがるの。山大かいつ見てもつまやうじくわへてゐるの。
それにおすみがほてほてもおかしいじやごさりませぬかきんイヤそのおかしいついでにひろとくのうとうとしい。おいでゝゐるもよくとをつたものじやノきたホンニさやうサ。それにまだ津の徳におゑんといふげい子がある。
これをみなが様々といひ升ほくなんの事じやきたこれはカノおすみヤおしゆんがつきあひに。おしゆん。おすみ。などゝ廓風でいひ升のをそれをおゑんが。河松。おせう。などゝそのまねをし升ゆへ。みなのげい子がおかしがつて。おゑんがお庄といふた跡でははたから様トつけていひ升。いつぞよんでいわしてごらふじ。
妙におかしいきんさまのつゐでに大半にさまといふおやまがある。かわつた名じやのきた名でもゆすつた名は玉きし。玉の井。柏木。ともぎく。里石ほくその里石はいま木長で元のあやはたサきん河庄の左近が小がうとかへたもよひきた時にモシあの小がうは大のきまり家でござり升ぜほくさか磯のぬいが跡の月の廿六日から出るが。
したぢからしつてゐねばひとせりふいて見たいけれどもきたさればサア。てきがおやまになつたのはふかひやうすのある事できんなるほどいまはげい子もしやみせんのよひのはとんとすきなひ。有幸は大栄の嬶になつてしぬるし。春野は河くめのむすめになる。おしゆんはきせるやへよめいりするほくそのしやみせんのついでにあとの月正念寺で和歌山のさらへ講のあつたとき。おすみがひら善とのきせうもんは。こいつは妙じやあらふとあんまりおもひすごしがした故かとつともいわなんだのきたなるほとあれはお住のひきものがそんでごさり升。
ソレニそのばんおかしかつたのは多田源のく野と長岡とのかけあひのおそめ。金さんしらずかきんイヽヤいかなんだきたなにかなしにうち町のむすめしたてサ。きるものがそらいろのそうもよふのおゝふりそでに。ちよつこりコウゑりかけといふしうちで。髪はふきわげにしてぎん水引にりやうざしといふおもひいれで出たときは。
いつかうゑらおちでござりましたいかさま八百ぞうとはよふいひましたぜやぼく様ンほくたれやら十八たゞげんといふておだてたがなるほどよひかうちうじやてきんそりやおかしかろきたときにまたあのばん存のほかよかつたのはさかもとやのむすめとひでが事也丸伊の力いまはたいきとのたかせぶね。
りやうくはんが竹もよふふきましたほくほんにそふサそして又あとの月廿五日のばんにすみたつでも有たそふなのきたイヤそれはまいりませなんだが。此十一日きゝやうとものけんぐはいがすみたつであるそふにござりますきんそのついてに三丁目にみやぞの花蝶とある稽古屋はしほ清の花蝶が事じやないかきたさやうさやう。せんど会もでき升たそふな。
その時幸八がきかいがしまをかたつたげにごさり升ほくいまは上るりげい子は扇さとの徳に。ふじ五の竹きたそれにまへかた若忠の三輪といふのがごさり升た。いまカノ住左のかゝになつてゐ升きんほんに先生。そのすみさの此あいだのつけはどふしたきたイヤこゝにごさり升トかみ入よりなにかかいたものをいたすほくコウ喜多公。
そのかみいれの滝縞もいまはあほうらしうてもてぬぜきんいかさまこの春ごろはそろへにした事さへあつたのにきたきしもとやのげい子のしやみせんばこのふろしきがこのそろへでごさり升たほく此なつげい子のかたびらのそろへは。小梅にかな秀。おすみに卯野とふじへとであつたノきたさよじや白地につり花生のもやうでごさり升たきんその中でふじ江はかの南のそろへの藤の棚のを着てゐたぜほくそれに河左の仲居のそろへは白地にあいでうろこがたの小もんであつたノウ喜多公きたあれはカノひといきはやつた住よしきれといふものでござり升きん三丸屋のそろへはつたのたてわき。
住治のそろへがたしか白がすりであつたきたさやうさやう。それに河久が白地に花色ではせをのもやうほくたいこもちもなにかそろへであつたぜきたたいこもちはにしみせばかりサ。かの白ざらしにコフなたねの花のやうななんでもきいろなもやうで。
おびはもんづくしのおびでこざり升たきんコフそのもんのつゐでにアノたかのはのもんの包はどこしやきたそれがどふし升たきんきのふ大時のかどあたりで。東の方から来るおやまがあつちからコフわらふてゆきおつたがたれやらとんとおぼへぬ。
そしてあとふりむいて見た所がつゝみの紋はたしかにたかのはであつたがアレハどこであらふのきたそれは大太でごさりませう。しかし大太のうちではてしよにゐたつるもごぞんじなり。コフツ。しあんして アヽなるほど。南から来た小巻であらふきんハヽアいかさま。そんなら南でちかづきかいな。ときのきのふはだいぶおやまにあふたぜ。まづ大吉のてるに扇さとの十七。いづ国の竹にきし本屋のぢう。しほ清の竜と寿とがいつしよにいくし。
ソシテしま利のいとにもあふほくコウやしほにはあやせなんだかきたわらひなからきん様おまへ二三度よんでむしんいわれて逃なさつたげなノきんあれはこつちのせりふがわるひテ。それにまだ大半の森にあふし。河忠のゆりにあふ。そして高政の此が富屋へはいる八木屋の国が大りきへはいつたほくはてな。ソレニ喜多公。貴公はアノつゝみのもんにまで見おぼへがあるのきたそのだんは大の天狗でごさり升。
マアつの徳の包が十六桐。八木屋が梶の葉。島徳が桐のと。豊与がかげとひなたのかさね桔梗。大安がきり。あふぎさとが梅ばち。大房が立花。豊太がかぢのは。吹安が五三の桐。ひしとみがから花河平が定紋は桔梗なれど包はきりのと。泉国も紋はきりのとなれどつゝみはしやうぶかは。それに木長がごえふぎく。鯛喜がかに立花きんハヽア小島がさきよりいつさんにきたわらひながらかべやがかたばみ。
しほ清が丸に三ツかしは。つの嘉がきゝやう。河忠がかさねきゝやう。岸本屋がかぶろぎく。京半がつるの丸。あり大が四ツ目。大吉がかましき。河庄がから花。河利がきりのと。大半がうらぎく。かなひでが梶のは。いたやそが十六きくにふじ五がふじの丸でごさり升。ヲヽ大ぶんくらうなつた。コレおよねさんモウ火をともしたりやきんなるほどよくおぼへたものじやのほくときのなんのかのといふてつい日をくらした。それはそふと金さんおまへのこん夜のやくそくはきんかめと小ひなとなると。
それにまださる与に小名八が出てゐるはづじやがきたやぼくさんは小梅とお此とでござりましたかほくまだおかうもある。それに十九と昆布屋くめ八かことなりとはこのほうのお抱ときてゐるきたおとついも元八がよろしうと申てゐ升た。それにまだ菊八と大半のたねとがアノせんどのことをなんたらかたらいふてゐましたぜほくハヽアこいつはしんざわりおよねかつてより モシおちやづけをどなたにもきたサアサアこれへ出したりトこれよりちやづけをめいめいにすへるさいはこんぶと梅ほしとの三ばいず也ほくコウきん様花ぜんのつき出しときてゐるおよねきのとくそふなかほつきにて モシきのふのたまごをどふぞいたしませうかきたヲヽほんに泉るいからもらふたのがあつたなきん寒見舞いかきたさやうサ。
あそこのおるいもめうなものでごさり升ほくあのおるいの事であとの月やしきの客が大吉でなにやらおかしいすもふのばんづけをこしらへたげなぜきんはてなきた大関はさしづめ出東と紙安であらふ論語にしよくするときはものいはすとさへあるに此三人はいろいろのわる口いひなからくひしまひはししたにおくといなやきんサアいかふじやあるまひかほくハテせわしないきたきるものきかへかみおちよいとなでつけおよねさん。
こんやはねまきかけいでもだんないぜトいふかのふくたやのおとこかもつてきた状は。泉平からといふはうそのかはにて。じつはわがいろごとしてゐるおやまからおこした状にて。こよひしばゐうらあたりで出あふといふやくそくがしてあるゆへなり。その所のやうすはのちのだんにてごらふじ。妙でごさりますきんおよねさんいつもながらおやかましいのおよねなんのマアあなたトあがり口へあんだうをいたしめいめいのはきものをなをすきたアノ机はあんなりでなをしておくれ。サアまいりませうト三人かどぐちを出る
| ○ | ちよつとおことわり申上升。これより此三人の客。げいこは小梅。かめ。かう。お此。小ひな。なか。たいこもちは十九。粂八。元八与八。小名八との大さはぎ。のちにやぼく金山がなしみのおやま。けいぢうのせりふ。喜多。市はしばゐうらのであひやどにて大くぜつまで。なかなかとくり升けれとも。それではあまりかみかずおゝく。はんもとめいわくいたし升ゆへ先はこれぎりにて。あとの所はかいへんといたし。近日のうち御めにかけませう |