| 一 | 忠輝公。諏訪に謫居の時は。南ノ丸といふに居玉ふ。
諏訪の御家来の子なども。彼方へ料理人などに勤る様成程にて。厳密成事もなし。古因幡守殿の時は。鷹野の時連参らせて。
鷹あわす事をも見せ参らせられ。其後。憲廟の比。出雲守殿の時分には。厳密に守護し参らせらる。忠輝公の仰にも。
因幡守時代には斯はなかりしにと。仰せられしとなり。毎度の仰に。政宗にだまされて口惜と。の給ひけるとなり。
謫居の内も。一伯公などの様に手荒成事もなく。御神妙なる御事なり。諏訪殿の末子五郎左衛門殿へ。角力取の目貫を遣はされて。
今に有。是は五郎左衛門そなたはねぢおふがすきゆへ。是は遣わさんとてのことなり。附来れる人は。柾木左京。千本隼人といふ人也。
左京死去の時。御使番検使に来る。それゆへ後に忠輝公御死去の時。検使に定て重き人にて有んと。諏訪にてもその用意をしたりしに。
存の外かろき検使とやらんにて済たる也。忠輝公を葬りしは。信州諏訪の貞松院なり。盆などには葵の御紋の挑灯を門ドへも立る也。
貞松院といふは。元祖諏訪頼忠の奥方なり。この寺に葬奉しなり。大道寺融山取持にて。鳥井伊賀守寺社奉行の時。憲廟御治世の時。
寺領三十石被下。忠輝公死去の時。色々払物出て。家中其外にても買たり。笹作の鑓なども出たり。三井氏談。 |