異説まちまち
《異説まちまち巻之二》

藤兵衛咄けるは。むかし関東与一と云相撲の大力有しに。さる大名衆の御前にて。其家の相撲羽衣といふ者にいどみぬ。 羽衣は手取にて有しが。与一負たり。与一泪を流してくやしがりて。又願ひて取結けるに。此度は羽衣がむねへ与一頭を差込て。暫く取あひけるが。 羽衣色青く身振ひをしければ。与一もろき男哉と云て投たるを見れば。羽衣息とまりて死たり。その主人怒りて。 唐犬をかけゝれば。引さきて其場を逐電せりとなり。

《異説まちまち巻之二》

本多吉十郎殿姫路領治の比。辻風五六兵衛といふ相撲有りしが。日下といふに成て。くさかべ五六兵衛とぞ云ける。 大力の妙手成しとぞ。五六兵衛が人をなげるには。兎角いか様の大男にても。足を上にさする也。きれいなる勝やう也との咄なり。 又江戸にての事ならん。五六兵衛より久しき事にや。閂卒右衛門といへる。大力にて相撲の名高かりしとなり。

《異説まちまち巻之二》

忠輝公。諏訪に謫居の時は。南丸といふに居玉ふ。 諏訪の御家来の子なども。彼方へ料理人などに勤る様成程にて。厳密成事もなし。古因幡守殿の時は。鷹野の時連参らせて。 鷹あわす事をも見せ参らせられ。其後。憲廟の比。出雲守殿の時分には。厳密に守護し参らせらる。忠輝公の仰にも。 因幡守時代には斯はなかりしにと。仰せられしとなり。毎度の仰に。政宗にだまされて口惜と。の給ひけるとなり。 謫居の内も。一伯公などの様に手荒成事もなく。御神妙なる御事なり。諏訪殿の末子五郎左衛門殿へ。角力取の目貫を遣はされて。 今に有。是は五郎左衛門そなたはねぢおふがすきゆへ。是は遣わさんとてのことなり。附来れる人は。柾木左京。千本隼人といふ人也。 左京死去の時。御使番検使に来る。それゆへ後に忠輝公御死去の時。検使に定て重き人にて有んと。諏訪にてもその用意をしたりしに。 存の外かろき検使とやらんにて済たる也。忠輝公を葬りしは。信州諏訪の貞松院なり。盆などには葵の御紋の挑灯を門へも立る也。 貞松院といふは。元祖諏訪頼忠の奥方なり。この寺に葬奉しなり。大道寺融山取持にて。鳥井伊賀守寺社奉行の時。憲廟御治世の時。 寺領三十石被下。忠輝公死去の時。色々払物出て。家中其外にても買たり。笹作の鑓なども出たり。三井氏談。

《異説まちまち巻之四》

室町日記也
関白秀次公相撲御覧の事。西岡の住人に突舂といふ相撲あり。白布を三重に廻して強くしめたり。 岩根之助は防なるが。茜の下帯二重に廻して引しめたり。正路按ずるに。豊臣氏擅世の比。花奢まことにたとふべき物なし。 然共相撲取共の犢鼻褌に。純子の類を用たるとは見へず。当世の裸形に純子類を用ゆるは。いかにしたる事にや。

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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp