花鳥百談
《花鳥百談巻第一》

    北野の比丘尼相撲の事
すまふといふもの。いにしへは。つかさ位ある人といへども。折にふれ事によりては。此戯に興を催し。 力の程をも。ためしこゝろみけるにや。古き書にも。おほく記し置ける。されはこそ。誹諧の発句にも。むかしきけ。 秩父殿さへ相撲とりと。古人も申おかれけり往古は諸国より。ちからすぐれたるものを。召あつめられけるほどに。 名あるすまふあまた。都にのぼり居ける。その中に。いかにもすぐれたるものを。頭として。その名を最手とよびけるとぞ。 今下ざまのものゝ言葉に。腹袋の肥ふとりたるものをほてつぱらといふは。此最手のすまふの。腹に似たると。いふ心なるべし。 又此最手をして。国々の関を。まもらしめ給へるにより。今のすまふの上手を。関といふにや。年ごとに。七月十六七日のあいだに。 召抑あり。左右をわけて。国々へ使をくたして。相撲をめされける。是を万葉にも。ことり使と申也廿六日に内取といふ事有。 左右のすまふ。犢鼻の上に。からきぬ。はかまを着て。勝負をあらそふ。さまざまの義式ありときけど。 おほやけの事なれば。わが輩のしる所にあらず。そのかみ。神亀三年に。はじめて此節会あり。寛平七年には。 童相撲を御覧ありき。すべて相撲のおこりを申に。日本紀に。垂仁天皇七年七月。当麻のむらに。勇士あり。 名をは蹶速といふ。ちからつよき事。鹿の角を引さく天皇此由を聞召て。是につがふべき人やあると。たづね給ひしに。 出雲国に。たけきおのこあり。野見の宿祢といふ。則免して。たがひにちからをくらべ。あらそふを。御覧ぜられしが。 野見のすくね。蹶速がこしを。うちくじきて。たちどころにふみころし侍りき。是すまひの始ならんかし。 爰に文禄年中。都北野の辺にて。勧進相撲有けるに。諸国の名あるすまふども。我さきにと。はせのぼる。 中にも北国より立山くりから。あら礒長はま。筑紫に博多の黒船。文字が関。陸奥に松島白川。大木戸。 二所の関。出羽の国の念数が関。など云其比天下に。隠なきすまふども。東西に立わかれて。日かず七日に限て。 興行せしに。洛中はいふにおよはず。五幾内の上下。国ゆすりて見物す。すでに六日が間。ことゆへなく過て。 第七日になりぬ。今日は芝居のはてなれば。東西の関と。せきと勝負を決せんと。前日より沙汰せし程に。 未明より群集して野も山も。皆見物の人にて。をし合ける。約をたがへず。黒船おどり出て。仁王立に。 たつたる肉あひは。那羅延神あしゆら王ともいゝつべきが。大音あげて。いかにや東西のすまひども。今日は兼て約せし通。 左右の関。たがひの勝負を決すべし。さりなから。初より関と出合て。勝負あらんは。いと興なきわざなり。 見物の人々も。ほいなかるべし。まづたれにてもあれ。相手に嫌なし。出て我に取つきても見よかし。 しばしもさゝへたらむは。おこの者ならんずゆゝしき高名なるべしと。のゝしりけるほどに。芝居にある程の人。 あなにくの広言や。人もなげなる口のきゝやうかなと。にくまざるはなかりしかど。かれと立あはんずる者は。 奥州の大木戸か。勢州の鈴鹿山ならては。誰かかけあふべきとはがみして。見物の上下。声をそろへ。すまふはなきか。 勝負は時の運によるそかし。黒船が勢にのまれて。出ずんは。向後すまひはとられまじと。はげましけれは我も我もと入かはり立かはり。 一生の大事此時ぞと。百手を砕きはげめ共。日本無双と自賛する。不敵の大力なれば。皆々なげ出されぬ。 くろ船はいとゞ威をふるひて。今日のすまふは是迄か。東国の関はいかゞして出たまはぬ。いざとく勝負したまへといふ。 言葉の下より。鼠木戸の者ども。しばししばしと東西の鳴をしつめ。扨もふしきなる事こそ候へ。只今是へ壱人の尼ごせ来て。 黒船と相撲を取べし芝居へ入よと望給へと。いにしへより相撲の芝居へ。女性を入し事なし。まして日本ぶさうの大関の。 相手にならんとは。狂気し給ふならんと堅く制しとゞめ候へ共。をして入給ふなりと。よはゝりければ是を聞人其尼を見んとさはぎ立。 めづらしき事かなと笑ひどよむこと大方ならず。かくて尼は。芝居の群集をかきわけ土俵の内へをどり出たる姿を見るに。みめいとうるはしく。 手あしじんしやうにして。身のたけはなはだひきく。目の中人に勝れて。たゞものとは見へざりしが。白小袖にたすきかけて。 くゝりばかまを着たり。行司に一礼して。黒船に立むかひ。いかさまにも能肥ふくれたる男かなされども。 人の沙汰しつる程にも。あらざりけりと。打笑ければ。黒船大にいかり。扨々けしからぬ小尼かな抑すまふといふこと始りしより以来。 いまだ曾て女の相手に出し事。古今其例を聞ず。我なんぞ汝に手をふれんはや立出よと叱ければ。尼打て。 男は一度いひし言葉をひるかへさずとこそいふに。さのたまふこそ心得ね。など相手に嫌なしとは有けるぞといひければ。 見物の貴賤。興有事に思ひ。一同に尼の申こそ理なれ。是非一手所望所望とよばわる故。 黒船もせんかたなく。いでさらば。此うでさきになりとも。取つきてみよと。右の手を。尼が頭にさしつけたるを。 比丘尼。左の手にてとらへ引よとみへしが。さしもの大男。小児のごとく。土俵の中を。数十返くるりくるりとまはされて。 眼くるめき。足をふみとゞめんと。大汗を流し。さまさまにもがけれは。是をみて桟敷も下も。山の崩るゝごとく。笑のゝしることやまず。 黒船もめんごくなけに起上りしが。余に無念なる事かなとて。大手をひろげつかみかゝるを。尼は引はつして。 黒船が後へつと立まはり。あしを上て。腰のつがひをそと蹶たるに。土俵の外へ地ひゝきしてたおれふして。 しばしは起もせず。息もつぎあへざりしを。人々とかくして介抱し。いたはりけり。尼は東西を見廻し。につことうち笑て。 ちからじまんのおのこあらは。誰にても出給へといひけれど。相撲の者どもも。見物の上下も。只あきれはてゝ。 肝をけしたるばかりにて。誰一人出んといふものなかりしかば。尼は行司に会釈して。徐に芝居を立出ける。 見物の上下。一同に崩立て。此尼か行方をみんと。押合ける程に。終に其行処をしらず。されは其ころは。 世こぞつて。此尼の事をのみ。取々に沙汰しあへりし。まさしく天狗の類。くろ船が自慢をにくみて。かくははからひつらん。 さる程に黒船は。身体処々を傷破ぬ。今ははや相撲にも出がたしとて。故郷に帰り。道心者と成て一生を送けるとぞ。 万の道におゐて。上手ともてはやされん人は。能々心得べきことぞかし。をのれをたかぶり人をあなどる慢心起らは。 かならず高津鳥のわざはひ。のがれがたかるべし。恐れ慎むべしと知有人の申き

召抑…召仰。
神亀三年…神亀五年。
五幾内…五畿内。
挿図の土俵は円なり。

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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp