近代百物語
《近代百物語巻二》

  二 貪慾心が菩提のはじまり
横死するもの皆慾より出でずといふ事なし。おのれが罪おのれを責む。世をも人をもうらむまじ。善悪ともに身よりつくり。 天これを賞罰す。其よくをつゝしむ時は。横難の災はまぬがるべし。今はむかし。伏見の里七瀬川のかたほとりに。 大津屋六兵衛とて。菜大こんなどうりありき。あるひは飛きやく又は煤はき。葬送のちやうちん持ち。あるとあらゆるかせぎなりしが。 女房はおまつとて。あたりとなりの買物づかひ。芝居の供にやとはれなどして。貧しくゝらす夫婦ありしが。 しだひに身上あつくなりて家屋しきなど買ひもとめ。金銀よほど取りさばき。家質などかし。商買手ひろく不自由なる事なき身となりしが。 六兵衛五十一歳なれども一子もなくて。これを歎けども。そのかひもなくすぎ行きける。そもそも此六兵衛夫婦が。貧窮の身の今のごとく繁栄せし事。 おまつが強慾無道より取りあつめたる金銀なり。まづ六兵衛妻まづしきとき。近所にやとひてよろづの物を買ひにやれば。 その代物の高に応じて。二三銭よりあるひは十銭。それそれにかすめ取り。縫物にやとはるれば中綿糸などぬすみ取り。 往来するにも気をつけて。しらぬ人の家へ立ちより。たゞ今道にて犬におどされ。これまでにげて参りました。 かへりにもまたかみ付きましよ。御無しんな事なれども割木一本下さりませ。おどしのためにいたしたいと。人の心のつかぬ盗み。 我が家よりは尻きれ草履。みちにて余所の中場ながめ。塩目のよき草履あれば。何くはぬ顔つきにて。此あたりへあとの月宿がへして参られました玉や五兵衛と申す人は。 此お長屋には御ざりませぬかといふうちに。そつとはきかへ。又はつかひにやとはれゆくにも。心やすき出入りの家へ五六けんも立よりて。 寺参りに出ましたが近所の子たちへ土産にせんとまんぢう買ひによりましたれば。わたくしとした事が。いつの間にやらはな紙おとし。 手に持ちてもかへられませず。其はな紙二三枚おくれなされと。手を出だせば。誰ともに気のつかぬ所へ付けこむ事なれば。それは御なんぎお心やすきことやとて。 四五枚やれば。これはこれはわりない御無しん申しまし。おかたじけなふござりますと。門ぐちへ出て。胸算用。五軒でたしかに十一二銭。 油をたのめば一升で一合ばかり我がものに。客ある家よりたのみにくれば。これはせんぎならぬときと。一升で二合もかすめ。その外醤油。茶にいたるまで無事じやとをさぬ大慾しん。 なかんづく誰にか習ひしおろし薬の方をおぼへ。くすりを合せて売りひろめ。高値に代銀うけとり。古今無双のどんよくよりつくりあげたり今の身上。 ある夜。六兵衛夫婦のものいつものごとく臥したりしに。牛頭馬頭の鬼来たり。六兵衛妻たしかに聞け。閻魔王の仰せあり。これへ出でよとよばゝれば。 何事やらんと出でけるに。鉄の盤をすへ。いそぎこれへあがれよと。手を取りて引きあぐれば。何心なく乗りうつれば。手とり足とり引きたをし。 上よりきびしく盤をのせ。なんぢが罪科いふにおよばず。おもひしれといふまゝに。くろがねの棒をもち。エイと。いふて締めければ。骨はみぢんにおしくだけ。 脂はながれて滝のごとく。あらくるし。たへがたやと。もだへさけぶありさまを六兵衛見るに。痛はしく何とぞこれを助けんと走りよれば。あしもとより俄に火焔もあがり。 只くるしみの声のみ聞へて。姿も見へねばせんかたなく。むねも張りさく其かなしさに。夢はやぶれて側にふしたるおまつを見れば。手あしをひろげてくるしき息ざし。 六兵衛急にだきおこし。夢はし見つるか気をつけよと。水など用ひて正気にかへれど。夫へ恥ぢてかたらねば。夫も遠慮したづねもせず。とやかくとする中に夜はほのぼのとあけわたり。 夫は家業に取りかゝれば。おまつも世事に取りまぎれ。夢もわすれて其日もくれ。いつものごとくふしけるに。また前の夜にかはらぬ夢。それよりはうちつゞき二十日ばかりも毎夜のせめに。 心身つかれおとろへしかば。医薬をつくせどしるしもなし。おまつは一ねん発起してなみだをながし。夫にむかひ。 今般のびやう気のしな医術祈祷のちからによつて。ほんふくすべき事にはあらず。みなこれ我が身の悪事のつもり。 死するいのちはおしからねど。ながく地獄におち入りて。苦患をうけんおそろしさよ。すぎしころよりうちつゞき。 かやうかやうの夢のせめ。身におぼへある事なれば。かなはぬ事とはおもへども。今よりこゝろをひるがへし仏道にこゝろざし。 諸こくの霊仏霊社をめぐり。罪をもたすかり申したし。今日よりわが身にいとまをたべと。ふししづみなげきければ。 六兵衛もなみだながら。これまでは其方がはぢなん事をおしはかり。しらぬがほして居たりしが。われもかはらぬゆめの告げ。 これもひとへに夫婦のもの仏所にみちびきたまはんとの。弥陀方便の慈悲なれば。われもともにと。もどゞりおしきり。 家財のこらず家僕につかはし。すぐに旅路におもむきて。四国西こく諸こくの霊場霊仏とだに聞きおよべば。 あるひは護摩堂をこんりうし永代灯明きしんして。その外貧寺の破そんを修造し。まづしきものには金銀をあたへ。 心のまゝに善事をなして。おまつは信州善光寺のふもとに死すれば。六兵衛もまたその所にいほりをもとめ。一生ねんぶつおこたりなく唱へてうき世をすごしけるとぞ。

挿図に小判の相撲を取れるあり。曰く「欲といふ化物こそ世におそろしき物なれ是か変じてさまさまのつくりこと変化をなすもすさましけれ」と。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp