楊氏漢語抄云。
も出たり。
は褌のなをちいさきものにて。
必しも褌の下に
子を着るにはあらじ今も其製種々あるがごとし。
されば毛とあるは広く袴のことをいふと聞ゆ。又。春湊浪話に。盛衰記に。難波六郎が布引の滝に入し時に紺の
をせしと有。
字した帯と訓せし。いといぶかしき。後代に付たる訓にや。尤古き歌に井手の下帯。
又下の帯の道はかたかたなどよみて。下帯といふこと其名なきにはあらねど。是はたゞ常の帯の事也。
清輔奥義抄。うへしたに帯をばすれば下帯とはいふ也とみえたり。今の俗にいへる下帯といふことはふるく聞えずといへり。
按るに。和名抄。衿帯。陸詞云。衿和名。比岐於比。小帯也。釈名云。衿禁也。禁不得開散也とみゆ。
これ古へにいへる下帯にや。又。今小児のつけ紐を彦帯といふも此ひきおびの転なり。古事記。八千矛の神の御歌に。
比古豆比とあり。ツラヒは即ツリを延たる也。今世に引つると云なり。源氏若な上に。猫のつな長く付たる云々。
逃むとひこしろう程に云々。夕霧に。惜みかほにもひこしろひ給はねば云々みゆ。然れば今引しろふといふももとこれ也。
小児の彦帯は引帯なり。俳諧温故集。一漁の句。彦帯を母がひかへて柳哉。屠竜工随筆には。下帯は束帯衣冠の時。
下襲の切を細くくけて内衣にしむる也。又云。紐といふは袍の入紐。文筥の紐。笠紐。短くて二つあるものゝやうに聞え。
緒は玉の緒。大刀の緒。甲の緒など長くして一筋の物のやうに聞ゆる也。さて下紐は下帯にもあらず。
又。たふさぎふみとをしにもあらず。万葉第十一。旋頭歌の下に。狛錦紐片叙床落邇祁留明夜志将来得云者取置待。
これ今の童のつけひものやうに内衣に二つ縫付たり。それが片々落居たるともよみ。又。落たる紐を我ぬひ付むとよめれば。
付紐のやうになしたる物に極りたりといへり。
云々。口大袴。志太乃波加万と有。褌は跨なくて一口に作りたるをいひ。
犢鼻は褌に跨ありて二口に分れたるをいふ。
りて結べり。
大よそ今の越中ふんどしに似て。それをうしろ前にしたらむやう也。古も相撲などに用るは。常の製と異なるべし。
次に云。今の越中ふんどしは古体なるを簡便に作りしものか。いづれの家より起りてさる名はあるにか。
みをつくし大坂の遊所細見。延宝年中木村や又次郎抱へ越中といへる大夫有。
ある時あげやにて我相方の客風呂へ入らむとせし時。下帯迄はづして入らむとせしかば。姿見苦とて俄に思ひ付。
湯具の緋ぢりめんの二布をときはなし。それに紐付て与へしより此風を越中ふんどしと云。越中国より始りしとは大なる俗説なりといへるも又俗説と聞ゆ。
むかし浴するにはふどしをかきたり。はづして入らむとする事有べからず。按るに。茶事指月集に。三斎翁。
亡羊に物語の内。脇ざしの鞘形を予が鞘は越中流とて人のゆるしつるに云々あり。又。貞徳が歌林雑話に。
彼殿は何事も幽斎翁を云古風に掟給ふとあれば。このふんどし恐らくは彼越中流ならむ歟。
されど紀長谷雄の絵巻物は。筆者はしれねど光信前後の画とはみゆ。雑人迄も皆総髪にてもとゞり丸くして頂にあり。
其中に小童たふさぎめくものかきたり。越中ふんどしの躰也。此さまの童子二人見えたれば其他もかく有を知べし。
おもふにこれ小児のむつきより因循して用ひしなるべし。されば古く其躰は有しなり。
云々いへり。| 勧進 関脇 江戸にて興行 相撲の手 大家の扶持 かたや 褌 力紙力水 さし櫛 仮粧 髪の結ぶり 四つ辻 前づけ われといふこと 興行日数 大漢 長人侏儒 大太ぼつち 大ぼや 座頭相撲 女ずまふ辻ずまふひとりずまふ |
力より後。皇極紀に。命健児相撲とあるを始にて。相撲の節会を行はるゝ事。毎歳七月に諸国の供御人を召て。
先内取あり右は右。左は左と取也。今いふ地取のごとし。さて召合ありて後。抜出あり昨日召合の内を。
抜出してとらしむる也。拾芥抄は日数相違せり。其式は内裏式江家次第雲図抄等に委しく見えたり。最手占手助手相撲長立合等の名目あり。
今の称にていはゞ。最手より助手迄は。関より小結の位なるべく。相撲長は頭取。立合は行司なり。玉勝間に。江家次第にすまひの事をいへる処に。
特鼻褌上着狩衣差紐と見え。古今著聞集には。烏帽子袴など着ながら。すそをくゝりてとりたりしやうも見えたり。然るを。栄花物語根合巻には。
はだかなるすがたどもの。なみたちたるぞうとましかりける。とあれば。むかしより裸にてとりしにこそといへり。今おもふに。狩衣など着るは。
いまだすまふとらぬ内の儀なるべし。又。常に人の家などにて。かりそめにとる事などあらむには。すそを括る迄にて。裸躰に及ばざることもあるべし著聞に見えたる。是也。
昔。相撲人は。其業のみなすものも有べけれど。大かたは力つよき武士のわざと見えたり。曾我物語に。さすがに。
野は相撲の大番つとめに都へ登り。
三とせの間。宮こにて相撲になれ。一度も不覚をとらぬもの也。其故に院内の御目にかゝり。日本一番の名を得たる相撲也。又おくのゝ酒もりの条。
海老名源八いにしへを思ふに。秀定が若ざかりには。鷹狩川狩の帰り足には。力わざすまふがけこそ面白けれ云々など有。
合せ。
大きなる輪を作り。この輪より外へ踏出したるもの負なりと定むれば。雷も旋風も目を驚し。はやわれわれ負にてさふらふ。我等諸国の大力をも見候へ共。かやうの力はいまだ見候はず。とて帰りけりと有。
林麓之間云々。女はよの常の如く。
且みな
好なるよしいへり。こは伝聞にて。信ずるに足らず。前説は目撃したるべし。
万国風俗通に。小人国。ホトリア国北海の浜にあり。人の高さ二尺計り。鬚眉なく。男女見分がたく。土地鹿多く。人みな鹿に乗る。又鶴の如き鳥有。其人を食ふ故に。人常に四。五人相伴て行。
東方曼倩が小人国。人長七寸。海鶴食之といひしも。拠処有に似たり。環海異聞。帰帆前。使節レサノツトが家に往けるに。日本尺にて二尺四。五寸程なる小人。酒宴の食盤の上に載せ。
戯弄して漂客を指して。彼等は日本人也。汝も共に彼国へ渡るべし。望みの物あたへらるべし。と云ければ。日本へ行ことはいや也。彼人は日本にては有まじ。
カメイカの人歟。といへり。此小人。何方より来りしと問ければ。カルラと人々答へたり。訳者按るに。此国北辺尽境に。サモヱデンと云国あり。近頃オロシヤ所領となる。其処の人なるべし。世に小人島といへども。こゝは島にはあらずと云り。
牛異獣奇禽といふことなども見えたり。こゝには続日本後紀。承和十一年三月甲申朔云々。戊戌。但馬国上帽子単衣腰帯草鞋刀子等一櫃。其体様卑小。不似此間之物。
疑侏儒国物流着者歟とあれど。侏儒国といふ国はなし。さる処もあらんと。おぼめきて書るなるべし。小人島といふことは。いひ伝ふれども。いづくとも定かならず神異経山海経等に。小人国をしるすといへども。
誕妄に似たり。又輟耕録巻十四。小人の乾したる。長六寸許なるを見たるよし記して。豈其人歟といへり。また長人小人の事。徐岳が見聞録巻二にも載たり。おもふに。外国の嬰児の調度など。流れ来しにもあらん金瓶梅に。李瓶児が生る子の名を。
道士に付さする時。道士より。道家の衣冠服玩を小く製りて。一櫃に入て贈れることあり。これら。もし他国に行こともあらむには。かならずいぶかしく思ひて。小人島の調度ならむなどいはむかし。俗に。矮人を一寸法師といふ。
尤草子。ひくきもの。なぎなたぼこ一寸法師。犬子集。すゞの子は竹の一寸法師かな 徳元。正章千句。ゑたゑたしたるなりはみたむな。いつしかも一寸法師年闌て。
洛陽集。蓮花菜や一寸法師座下の草 計也。今はほうしを略して。ぼうといふ。ぼう尽しの俗謡めけ共。梅ぼうし影ぼうしてりてりぼうし。猶多かるべし。略きてぼうといふは。
猪の子にうりぼう。豚をどろぼう。桜の実を桜むぼう。柚の類に九年ぼう。人のうへには吝むぼうべらぼう。此は挙るに遑あらず。
| こぶし打 腕おし 首引 臑おし 指はじき 枕引 扇引 扇切 綱引 力もち |
。和名古布之宇知。これは漢土の券法といふ類にて。両人打あひて勝負する事なるべし今。小児両人にて。一人手を開き。甲を上にして出せば。一人その上を撫る時。
手を翻して打。撫る者は。打れじと手を引戯あり。和名抄右の次の条に。相扠。和名多加閉之。楊氏漢語抄云拗腕とあり。これは手を捩る事とも聞ゆれど。
手がへしといふ名は。よく腕おしにかなへり。闘腕といへるも。是なるべし。斉爵林王何妃淫乱。与侍書馬澄闘腕較力。王以為笑といへり。腕おしは。義経記三。弁慶幼き頃。
比叡山の学頭。西塔の桜もと僧正が弟子になりたる条。師の仰にはしたがはず。ちごほうしばらをかたらひて。人も行ぬ御堂のうしろの。山のおくなどへともなひゆきて。
腕おし首引すまふなどぞこのみける云々。猿楽狂言れんちやく。商人。女商人とあらがひごとして。腕おし。又。すねおしをする事あり。又。為朝と鬼と。首引腕おしする狂言もあり。
異制庭訓に。目比頭引膝挟指引腕推指抓とあり。膝挟みも足おしにして。臑おしとは。いさゝか異なるべし。両人ひざをたて。挟みて押倒すにや。指はじきは。指しつぺいなり。
寛永発句帳。すねおしに風力そふ小萩かな。吾吟我集。露をいとひもすそくりあげ野をゆけばすねおしがまし萩の花ずり。世話やき草。暑ければ募る力も出かぬらし日は暮かたの夏の腕おし。
五元集。腕押のわれならなくに梅の花。丹前能といふ草子に。腕おし枕引足おしなど云々。足おしは一種あり。枕引は京羽二重。枕引みじか夜明て笑ひけり 珈妾。古き冠付。やすやすとかげきよになる枕引。
元禄九年若葉合。其角 首引のころぶ拍子に起上り。明和の初川柳点。首つ引まをのけざまにみそをあげ。又。手拭引あり。享保中の冠り付。みいりみり手拭引の関とせき。本朝文鑑支考が文に。
扇てんがう枕ずまふと有。枕ずまふは。両人にて互に握り拳のうへに枕を立て。あたり合せて落たるを負とするにや遊戯をかける画にみえたり。扇てんがう。
扇の曲か又は扇引をいふ。佐夜中山集。扇引や紙のちからのあらん程。類柑子。大空を天竺といふ月見して 仙鶴。又引負の扇一本 貞佐。又。扇ぎりといふ事あり。
甲陽軍鑑十六。武田信勝十一歳の時。小姓友野又一郎と日向伝次と扇切いたせと御意の時。又一郎は。腰にさしたる扇をぬく。伝次は。手に持たる扇を腰にさして。指をたてゝ向ふ時。
信勝。はや見えたるぞ。おけ。扇切に伝次は勝たりと。心の逸物なるをほめ給ふ云々。かくあるのみにて。其法しられねども。今。ゐあひ抜が扇を空に投て。地に落さず宙にて切ことをする。
是もそのたぐひとみゆれど。指たてゝ向ふとなれば。扇を投付などするを。指にて打落すにや。寛永発句帳に。宗富 骨折てかち負はなに扇切。埋木にも此句を載て。まけかちとあり。
之詞とあり。
彼是ともに誤にて嗚滸と書べし。後漢書南蛮伝に烏滸人とあり。是なるべし。源氏物語等のかな文には。散楽をさるがうといへり。故に。江家次第には散更とも書たり。
又。枕双紙に。つれづれなぐさむるもの。をとこのうち。さるがひものよくいふがきたる云々。さるがひ。さるがふ也。人を咲はす事するをさるがうといふ。
今昔物語に。俊平入道がもとにて。女房共庚申しける夜。俊平の弟入道君。かた角に居たりけるを。女房共寝ぶたがりて云やう。入道君。人々咲ぬべからむ物語し給へといふ所。
咲はむとだにあらば。咲はし奉らむかしと云ければ。女房は否不為。只咲はさむとあるは。猿楽をし給ふか。其は物語にも増る事にてこそあらめ。
又。同書に。世の人。上も下も由无からむ虚して。猿楽に然様ならむ悪き戯れ事は可止云々。又。宇治拾遺十訓抄にも出。
陪従家綱行綱兄弟が猿楽の物がたりをみるに。その時に臨みて何にても興あるわざするとみえたり今にていはゞ。にはか。茶ばんといふものゝ如し。
又。さばかりにもあらで古き曲もありし。散楽策に。所謂船太新靺鞨魚丸世羅国世称妙舞。また。新猿楽記。形勾当之面現。早職事之皮笛。目舞之翁体。巫遊之気装貌。京童之虚左礼。東人之初京上。
なほあまた載たり。源平盛衰記にも。猿楽と申はおかしき事をいひつゞけて人を咲はかし侍るぞかしといへり。春湊浪語に。文献通考に散楽雑戯多幻術。皆出西域と見えし。
然るに翰林胡蘆集明応の頃僧宜竹が撰也。猿楽。もと申楽と書て。其始推古天皇の御時。秦川勝。神楽によりて作り出せし故に。神字を分ちて申楽と名付と見えたり。
是は猿楽の家に伝へたることを聞て書るにや。古書に申楽と書しこと更に見えず按るに。本朝通紀にも。川勝奏神楽。当此時。以後代翁舞名神楽。爾後俗間可有祝事。
則致神楽。然鄙人恐神楽之名。更以神字換申字。業其芸者。遂称猿楽。根源いやしき業なる故に。順徳帝の御抄には。猿楽のごとき。庭上に参ることを止むべしと書せ給ひ。
明月記には。下衆猿楽を召るゝ。先々此事なし。仍只侍猿楽を可召といふ事見えたり。下衆猿楽とは其家をたてたる猿楽也。今も同例にて朝廷へ参ることなしとぞ。寛喜の頃より後。散楽衰へ。
北条執権の末。京都将軍の初までは。田楽のみ世に聞えて。猿楽のさたはなかりしが。貞和五年に。四条の橋を渡さんとて。新座本座の田楽能くらべをせし時に。始て。日吉山王の示現なりとて。
猿面を着せし猿楽を舞出せしと。大平記に見えし。是より又田楽は衰へ。猿楽盛に行はる。その後様々の事作り添て。謡といひ。能といふ事に成し。古雅なる事はなく。散楽といひし時の残ると見ゆること更になし。
是貞和以来作り出せし故なるべし。職人尽歌合に。猿楽又曲舞まひといふものゝ歌。また。判詞をみるに。今の狂言といふは。貞和已前の猿楽といふものなるが如し。昔の猿楽。今の狂言に転ぜし事ある歟
上内藤藤左衛門作。後に河内守と云。俊成忠度同作。木玉浮舟同作。吉備津宮善徳作。
源氏供養河上神主作。和州十二大夫先祖。朝比奈同作。文覚同作。小手巻同作とあり。
又。世ノ子六十已後猿楽談義といへるものにも謡曲作者のこと。あらあらみゆ。今の猿楽。もとは観世金春の両座なりしが。近世さかりに行はるゝから。観世より保生分れ。
金春より金剛分れて。是を四座の猿楽といふ暮松大夫がことは神田神事能の処にいふ。
おもしろの海道下りや。なにと語るも尽せじ。加茂川白河打わたり。おもふ人にはあはだ口とよ。しのみやがはらや。じうぜんじ。せき山さんりを打渡り。
人をまつもとにつくとの。
見渡せば瀬多のからはし。のぢのしのはらや。かすむらん。雨はふらねど。もり山をうち過て。をのゝ宿とよ。すりはり峠の細道を。こよひはこゝに草枕。かりねの夢はやがてさめが井。ばんばと吹ば袖さむき。
いぶきおろしに。ふはのせきもり。とざゝぬ御代ぞめで度。海道下りは。京よりいづくへも行ことをいへり。何処下りといふも。もと是也。俳諧埋木に。おもしろや花にかいだうくだり月。続五元集。乞食になれてやすき世をしる。町くだり二声うらぬ茶筅うり。
温故集。桃隣が案山子の句に。道くだり拾ひ集めてかゝし哉。西鶴が大鑑に。むかし右近左近が時は。面かげまぎらはしく。頭は置手拭にして。大かたに色作りしに。諸見物もそれなりけりに請取。仕組も今に見くらべて過にし事おかしかりき。
某下りといふ事。次でに今一つ。やゝ遠き処をいふに似たり。夜更るを夜降チと云意の如し。夫木集に。述懐。町くだりよろぼひ出て世をみれば物のことはりみなしられけり 慈円。また。唯その辺をもいへり。西翁。寛文中の句。おかし気に鑓をかまへて参りさう。をとがひくだりこぼす盃。
もと登り下りの義なるが。移りてはかくもなれり。右宇左衛門悴竹之丞。十歳の時。葺屋町にて。玉川主膳と云役者と相座にて。寛文四歳。初て二。三番つゞきの狂言を作り始む。外にてはいまだこれなきよし。或云。実は三代宇左衛門妻の弟明石勘三郎。弟子養子として見物贔負つよく。
金方余情にて。村山九郎右衛門名題を買取。竹之丞一名の太夫役となる故。明石勘三郎出て。諸見物へ竹之丞引合せ。口上を述。此時鶴の丸の紋を与へて櫓に付る。後延宝七年迄。十六ヶ年大夫役つとめ。此年廿五歳。西行法師の役を一世名残狂言とし。畢の日舞台より笈を負て修行に出。
比叡山にて学び。年経て江戸に帰。もとの師。本所五ツ目自性院病気看届け。終に爰に住持し。上野御門主様にも御懇命を請。此小庵を再建して一ヶ寺とす。此寺の開山となる新編江戸志にも委し。
滝井山三郎と相座元の事。此書上には見えず。是は初の宇左衛門が時なるにや。
小をいしなごと訓り。
は字書に摸也とありて。
義はかなへるやうなれども。其字面何に出たる歟。疑ふらく
字の誤にや。帝京景物略に。正月元旦是月也。女婦間手五丸且擲且承。曰
子児。
丸用象木録礫為之。競以軽捷とあり。これ手玉なるべし。いしなごは石投なり。物類称呼に。石投。江戸にて手玉といふ。東国にて石なんご。又なつことも云。
信州軽井沢辺にてはんねいなはといふ。出羽にてたま。越前にてなゝつご。伊勢にてをのせ。中国及薩摩にて石なごといふといへり。房総志料。上総附録の内に。長柄山辺二郡の海錦砂子を産す。
女児輩イシナゴといへるもの也。又ナンゴともいふ。其最小なるを市原望陀の海に産す。其名をキサゴといふ。土人採て稲田の糞とすなどみゆ大なるをいしなご。小きをきさごといふにや。
きさごは鶴岡職人歌合。蒔絵師。月かげにみぎはのきさごかきよせてこゝに蒔絵のはこ崎の松と有。きさごに大小二種あり。大和本草に。チシヤコ。小螺なり。殻薄し。赤白の紋あり云々。
小児其からをつらぬきあつめて玩とす殻薄しといへるは非也。堅厚にして小は斑文あり。大は灰色にて斑希なり。小野蘭山云。本草綱目。山草部。自
集解に根形似扁螺といへり。
白
根ほどきさごの似たる物なければ。此扁螺きさごなること明らか也。京師にてゼヽ介と云。小児これを貫き弄ぶといへり近江にてゼヽ介と云は。膳所貝にて蜆をいふ。是と異也。
ゼヽ介とは銭貝の意也。江戸にてはだんべいきさごといふ。だんべいはもと石を積舟をいふ。風俗文選李由が湖水賦。段平に大石を積。
は耕のたすけ也とあり。
段平といふ舟の。平たく堅厚に作れるをおもひよせて。貝の名に負せたるにこそ。此きさごの大なるを今は手玉にとれども。古しへは小石を用ひし也。此介をいしなご共いふは。この戯事よりうつれる也。又。童戯に舌尖にきさごを吸付る事あり。
屠竜工随筆に。シタヾミはキサゴのこと也。此介を舌のさきに吸つくれば。舌のだみて物いはれぬ故に名けたりといへる説わろし。神武天皇御歌に。大石に八重匍纒へる小螺子と読せ給へりしは石也。タヽミは重るをいふ。今又一種石たゝみといふ介あり。
これは紋理の石たゝみに似たる也。入子枕は正徳元年の梓行也。まゝごといしなごなどにむすめらしうといへることあり。此頃迄も手玉とるとはいはざりしとみゆ。又。手玉とるにテツといふことあり。相撲の条にいへり。
を広く構へ大格子を付。庭も広く取。
ギウ台とて暖簾の側に三尺四方ばかりの腰かけを付。ギウといふ者をつけ置て。客を引この家作り。今の女郎屋。皆これ也。
有来りし傾城とちがひ。意気もなくてふらぬといふ意にて。散茶といひけるが。いひやまずして。終に惣名と成たり。近年散茶みせの模様をかへて。
広き庭をもとらず。大格子の内を局座敷に拵へたるを。散茶に対し。うめ茶と戯れにいひけるが。是も又。この頃は本名のやうに成たり色三線三巻。
近き頃のしだし。うめ茶で咽のかはきをやめ。当座ばらひの気さんじ。それから五寸。三寸。新町がしのかきのうれんは。定めて百づゝ。ころりとねて。
かくはあれ共。散茶は何をいふにか。按るに。籠耳冊子五。その家の下女。そばに茶をふりてゐける云々。茶をたつるを。ふるといへり。
これは挽茶にはあらず。枝共に刈たる晩茶を濃く煮て。茶筅にて振たつる也。散茶とは今いふ煮ばなにて。好茶なり。ちらしともいへり。
文献通考。茗有片有散。片者即竜団。旧法散者。則不蒸而乾之。如今之茶。五元集拾遺。侘に絶て一炉の散茶気味ふかし。ちらしといひしは。
一代男一。風呂屋者をいふ処。ちらしを飲せ。浴衣の取さばき云々。一代女五。烟草盆かた手に。ちらしをくみて云々。諸艶大かゞみ四。役者まじりの人ごみ。
ざつと揚り場に散しなど呑。ゆかた畳む間云々あり。風呂あがりに是をもてなせし故。風呂やもの。吉原に
を出したる時。
その女郎を散茶といひし也。あながち。ふらぬといふ謎にはあらぬを。やがてその義に取。かたる也山東京伝。自笑が内証鑑に。
ちらしを汲といふことを引り。西鶴の画に多きを。後の自咲を引さへあるに。ちらしを風呂のかゝり湯のことなりといへるは。いたく誤れり。
又。うめ茶は水をうめて。ぬるくしたる心也是も北女閭起原に徒流が説あれど。甚わろし。
茶を挽といふ事は。道恕が説に。慶長頃迄は。歴々の御方も兼日の約束にて。明日は誰が家の何といふ大夫が手前にて茶をたべに参る抔と。
こゝろやすき同士は誘引あるきしと也。今に至る迄。隙がちなる傾城をお茶を挽といふも。此節よりの癖なりといへるは非也。唯徒然にてさびしきさまをいふ也。
元隣が発句に。花を見で留主して茶ひく座敷かな。続山井。住吉にて 松風の音や茶をひく神の留主。茶をば留主居に挽する事と見えたり。
寂しき躰おもふべし。女郎のもてなしを茶にたとたるは。散茶以来の事也。又道恕が説に。寛文年中散茶出きし時。江戸町二丁め名主源右衛門御願申上。
堺町伏見町両町の新屋を作る。堺町は角町と二町めの堺なれば堺まちといひ。伏見町と名付しことは。同町二丁めの年寄山田屋山三郎山口屋七郎右衛門東や次兵衛岡田屋吉左衛門。
此者共の先祖は。吉原開基の頃。伏見の夷町。同処豊後橋抔より引越たる者共なれば。先祖の古郷を慕ひて。伏見町と名付たる也云々按るに。
此時散茶みせを作りたるにて。町屋はもとより有し也。界町も伏見町も庄司が再興已来の名にあらず。元吉原慶長中に此町あり。首にいへるが如し。
徒流云。界町。明和の類焼後建塞りて。其跡なし。伏見町は今も繁昌す。価銀二朱。鐘四つ過より。孔方四百。うかれ人是を鉄炮といふといへり。
茶屋。遊女持共吉原へ入込しは。寛文八申年の頃也。一日の揚銭金百疋づゝ也。此節迄局女郎といふは。揚代弐拾目なりしが。散茶におされて是も金壱歩となる徒流が云。
元禄年中より。局といふことすたり。惣て吉原の古実取失ひたりと歎きて有。其頃よりみな散茶造りになりたるが。当時遊女屋の家作。どれどれも散茶作り也。
むめ茶作りさへ廃して。今知れる人稀なり。近き頃迄江戸町一丁め巴屋源右衛門。家作がむめ茶作りにて有しが。表惣格子にて。みせの壁の方と跡尻のかた二方に女郎並居て。
籬の方にギウ同座す。まがきと表の格子の間を三尺程明て。落間あり。ギウ。是より出入す。格子の並に露地あり。それより客を誘引す云々いへりといへり又寛文頃。端女郎をケンドンと異名せり。此事飲食の条にいへり。
ヤンシウスンイロマリヤンケンタニコタマサンチヱマサンナ。
ハラリトサケノカン。オナジコト梅ノ花。トウライキウゴ五ウリウスウ。これら訛りてさまざまにいひしとみゆ。吉原町などにも。享保中にも拳相撲といふ事はやりて。遊女玉菊是を上手にして。拳まはしといふものを用ひしが。今に伝はれりとて。その図説奇跡考に載せたれど。
其頃いまださばかりは行はれざりしと見えて。延享三年丙寅。吉原細見虎が文といへるものに。拳の図解委しく出たり。かゝれば彼拳まはし。後の物なるべし。明和七年辰巳園といふ草子に。拳相撲ありし事をいへり。
江戸名物鑑。拳相撲とありて。其句。米河岸や指で戦ふ秋の雲。唯拳を打つも拳相撲なれと。辰巳園などにいひしは。酒席の上に打とは異也。銭希言が獪園に。相与揖譲而坐。拳杯便云。好酒用拳作馬互角勝負。痛飲狂歌宵向分矣と有。清商。これを化拳といふは俗語也。
拇戦といふべし。秋坪新語に。偶赴友席四坐喧譁。飛觴拇戦。履
交錯。また虞初新志汪价三儂自序の内。拉客中之豪者。並
拇戦不已といへり。右の拳より後さまざまの拳出きぬれど。
行はるゝは狐拳なり。虫拳などは唯童部のなぐさみ也。蛙と蛇と蛞蝓。相制するをもて勝負をなす。鉄囲山叢談に。托胎虫制蜈蚣ことをいへり。托胎は土蝸の一名也。義残後覚に。原美濃守懼内の事を人に返答するに。蝮蛇は虫の分際にて人命を取程恐しき物なれども。
藪の中に居る土蝸といふものは。海蘿を解たる如くなる物を。毒蛇の伏て居る廻りを遠懸て輪をまはす。蝮蛇是を見て逃れんとすれども。輪のうへを越す事を痛みて。己が身をひたもの少く曲る程に。土蝸は混々と廻して後にはひかゝりぬ。時に蝮蛇へたへたと崩れ朽て死す上の托胎虫これと同じ物がたり也。
本草を按るに。蝸牛蛞蝓ともに。主治功用相似皆制蜈蠍と有山中には土蝸大さ一尺ばかりなるも有とぞ。五雑組六巻。後漢諸将相宴集為手勢令。其法以手掌為虎膺。指節為松根大指為蹲鴟。食指為鉤戟。中指為玉柱。無名指為潜
。小指為奇兵。腕為三洛。五指為奇峰。但不知其用法云何。
今里巷小児有中指之戯。得非其遺意乎。これによれば虫けん古雅の趣。狐けんなどの比ならず。中指といへるは。今の化拳にや。
者尤耿介。一闘而決。故詩言。鶉之奔々。言其健也。また花鏡に。凡鳥性畏人。惟鶉性喜近人。
諸禽闘則尾竦。独鶉竦其足而舒其翼。人多畜之使闘。有鶏之雄。頗足戯玩。また。小き布袋に納れ。身辺に近づけ放ちて養ふよし也。此戯はこゝにていまだせざる事也。唯放し飼にする事もなし。この外の鳥は放ちがひにする事。古くも有しなるべし。菟玖波集。よみ人しらず 軒の下にて夜を明すなり。
籠の内のねぐら尋ぬる放ち鳥。新撰六帖。人ぞうきすゞめのひなの手なれつゝしばしも身をばはなれざるらむ。よく馴て。その家をわすれぬものは鴿なり。和名いへばとゝいひ。俗にどばとゝいふ是なり。鴿に書を伝ふる事本草釈名に。張九齢が故事をいへり開元天宝遺事にもこの事出。
また。八
通志に。性甚馴。善認主人之居舶。人籠以泛海。有故則繋書放之還家。故又曰舶鴿とあり。鴿は鳩より形小なり。鳩はきじばと。又。つちくれはとといふ。太和本草に班鳩をつちくればとゝするは非なり。班鳩は数珠かけばと。又。としよりこいと呼もの也。
京師にて鳩をも。としよりこいと呼り。然れども鳴声に異なる処有。土くればとは声濁りて。末を重ねて鳴。九州にて。是を与惣次こいこいと聞て。与惣次ばとゝ呼。東国にて。とゝつほうほうと聞。班鳩は声高く清て。としよりこいとばかり鳴く。末をかさねず。東国にて。とゝつほうと聞。
油粕に。よぶかよばぬか心もとなさ。年よれば気にこそかゝれ鳩の声。契沖が余材抄に。としよりこと鳴て。やがてしか名付たる。鳩はげにも。しか聞ゆれば。むかしよりかくよめり。西行の歌。山はたのそばのたつきにゐる鳩の友よぶ声のすごき夕暮。近きころみつね集の古本を見侍りしに。
声きけば老のみまさる人にくゝ来つゝのみ鳴よぶこどりかなと侍り。此歌声きけば。老のみまさるといへるは。またく彼年よりことなく声をさしてよめると聞ゆと云り。続山井。鳩の峰みよや年よりこい紅葉 未翁。また。埋草。卜養千句。ふくろうののりすれと鳴月の夜に云々。
嘉多言に。うそ鳥のさへづるは。琴の音に似たればとて。琴ひくといひ。梟のから声をば。のりすれとなくといひ。やさしきとさもしきと各別なれど。生れ付たる声なれば。すべなし云々。これらも古くよりしかいへり。鴉鷺合戦物語。梟の云。えせげなれども。がいぶんの能をぐす。
明日の雨を知ては。糊すりをけとなく。老者に死を告るに。そのをと丈を呼。続五元集。八重玉椿壺の口張。おのが音の糊摺桶に雪解て。軽口咄に。宿老いはるゝは。此中こちのもみの木でふくろうが。ほゝしゆくらう。とりおけとりおけとなきましたと有。老者に死を告るといひしは。
是なるべし。雅筵酔狂集に梟の絵に。写し絵の墨はすみにき表具せむのりすりおけと鳴やふくろう。其磧が子息気質に。我内には狐が住て嫁入事するやら。梟が来て洗濯するやらといへるも。糊すり桶と云より戯れいへり。
除毒気。故有闘草之戯といへり。和名抄に雑芸部。また此記を引て。五月五日有闘百草之戯闘草。此間云久佐阿波世と出たり。
七種類稿に。風俗闘百草之戯。独盛於呉。故荊楚記有四民闘百草之言。未知其始也。昨読劉禹錫詩曰。若共呉王闘百草。不如応是欠西施。則知起呉王与西施也。おもふに禹錫が詩は。唯その国の風俗をもて作れる迄にて。必しも呉王西施が故事あるにはあらじ。
世諺問答に。五月五日をば薬日といひて。一切の薬をば此日取なり云々。闘草の戯も薬猟より起るにやとあるは荊楚歳時記の意なり。帝京景物略。水尽頭条。雑花水藻。山僧園叟。不能名之草至不可族客乃闘以花。采々百歩耳。互出半不同者云々。
かやうに草花多き処には。又おのづからこの戯あり。天禄識余に。唐人孩児詩。闘草当春径。争毬出晩田。児輩の草合するさま。やすらひ花の画巻物に見えたり。
醒睡咲。児の遊びに草合あり。一方より
とて出さるゝ。侍従僧なりわきから。せうしなる顔にて。いや是ははこくさとなほしたり。児のは聞にくからず。侍従どのゝはめづらし過たとあり。
かく一種づゝ名を云て出すことゝ見ゆ。琵琶記に。牛府の仕女院子等が園中に遊ぶ条に。老母云。闘草到好。院子云。不好。香径裏。攀残柳眼。雕闌畔。折損花容。又無巧芸云々。
小雅鹿鳴章朱注に。
草名。茎如釵股。葉如竹蔓生。郷名ヒジハ云々。此物野外間あり。ヲヒジワメヒジワ二種ありといへり。此説誤れり。朱伝は陸
が草木疏の文に随ひ。これは地しばりといふもの也。その根。
節ありて葉も竹に似て蔓延するもの也。さて其ヒシハといふもの雌雄あり。叢生するものにて。刈れども刈れども生ずる故。肥後にて小ぞうころしと云。漢名は馬唐なり。その穂四つ五つ叉になるをつみとりて。倒に席上に置。
二つよせて席を敲けば自ら跳りてすまふ取さまあり。組合せて席をうてば。一つは倒るゝなり。ヒジワの名義おぼつかなけれど。旱芝にや。乾地に生て枯れざれば也。
又。和漢三才図会に。角觝草。秋起茎頂作穂云々。小児取茎綰穂結如繦而用二箇。一挿其
。両人持茎相引。而切方為輸以戯。名力草。もとはかやうにしたる也。
又。稲草或は灯草など束ね括りて。三寸ばかりに截て立れば。下広ごりて立也。是も前の如く。二つ向へてすまひとらす事おなじ。又。松葉の又を互に引かけて。切れたるを負とするを。松葉きりと云。此等のわざ異なれども。闘草の類なり又松葉の兵。後に出。