高野薙髪刀
《高野薙髪刀巻之上》

 
第一
二虫の情剱に着て妖祟をなす
今は昔。文安の頃かとよ。相州山内の辺に。虚六平正秀と云へる鍛冶あり。旧は赤松家に仕へし武士なりしかど。 縁故ありて致仕。此鎌倉に母方の血属なる鍛冶ありつるを便さすらへて来て。暫くこゝにありけり。然るに此鍛冶男児なく。 一人の女児をもてりしが。年紀虚六平と似合しけるほどに。終にこれと娶。親子の義を結び。一家睦て栄ゆきしが。 歓あれば哀しみある人の世の習わしにて。幾程なく舅辞世つれば。一家の悲嘆大かたならず。なくなく野辺のおくりして后。 虚六平は箕裘を嗣。専ら鍛冶の業を做にける。素此家は是。五郎入道正宗の庶流なれども。世移人下ぬるさへに。 虚六平は素武士なるを。年長て此業を習受たれば。先祖には似るべくもなく。遥に劣つるほどに。其名も世に聞へず。 家も貧くぞありけり。されど此虚六平が性直やかにして。聊も貪る心なく。一人の養母に仕ゆるに。よく孝の道を尽しぬ。 妻は小藤と呼做が。麻にそふ蓬と云へる常言のごとく。其容貌醜からぬのみか。心ざまさへやさしくて。母に仕ゆることはさらなり。 夫を敬ひ婦道を守りければ。夫妻の間睦しうして。一人の男児を設けぬ。かゝれば夫婦はさらなり母の喜び大かたならず。 只是挿の花掌中の玉とぞ慈愛けり。これはさておき。虚六平は我拙工にして。先祖の名を下さんことをおそれ。 朝まだきより夕に及まで。生業のことに懈怠ず励みけり。ある秋のはじめつかた。一挺の短釼を作らんと。 只顧鍛冶てありしが。庭もせの松枝に。一匹の蜩蝉いと喧きほどに鳴つるを。偶仰ぎ見れば。その木根より一匹の蟷螂。 蜩を取ん光景にて。斧をもたげて窺ひ寄るを。蜩はおのれを害せんとするものありとは。夢にだもしらぬさまにて。 いよいよ声ふりたてゝ鳴いたるにぞ。虚六平。あわや危し。いかにもして蜩の逃よかしと想ひながら。只今冶へる真最中なれば。 繁く槌打しつゝ眺めいるうち。はやくも蟷螂。蜩の臀に迫。既に飛就にぞ猛然として。想わず手に持てる鉄槌を投付ければ。 蟷螂も蜩も槌に中。微塵になつて失にけり。虚六平はじめて心つき。こはいかに。畢竟二匹の虫の倶恙なからんことを想ひながら。 如此に及び。よしなき殺生しつることよと独ごちしつゝ。作りかゝりし刀は終に鍛得ぬ。さて其翌日になりて。昨ふ鍛し短剱をあら研して看るに。 此年頃幾許の刀剱を作りしかど。這剱の如く金濃かにして艶なるは。一挺もなかりければ。大に喜び上工の研師を雇ひ磨しめしに。 実に明晃々として。玉ちるばかりなる上品の剱となりけるが。怪哉。焼刃の紋に蟷螂と蜩と争へる形。鮮に現れしほどに。 虚六平甚不審想へらく。我此剱を冶へしとき。蟷螂と蜩と争を見て。想はず留心けるが。こはそれにやよりけめ。 剱は素殺伐を主る器なれば。彼蟷螂の殺気にあやかるこそ。なかなかに剱の徳の尊ふとからん祥ならめ。 いざや此剱の切味のほどを試みばやと。それより夾七夾八の物を様しみるに。剛柔の差別なく斬るゝことは。 只是瓜を割よりも易かりけるにぞ。虚六平かぎりなく喜び。こは我農祖五郎入道どのゝ冶給へる剱にもおさおさ劣るまじと。深く秘蔵して置にけり。 粤にまた山内に強八と呼做的あり。素は農夫にて富たるものなりしかど。其性強欲にして酒色博奕を好み。 極めて無頼の悪俗なりしほどに。親より譲稟し田宅貨財は。酒色と袁彦道との為に悉く失ひ。今は博徒となり。又少く力量あれば相撲をとり。 自ら任侠なりと称し。近き辺の少年を欺き。白紅緑の奸計をして銭財を貪りけり。 しかるに近頃虚六平不思儀の良剱を冶しと。人の風声するを聞て。忽ち虚六平がもとに至り。剱を看んことを望に。 虚六平は秘蔵の剱なれば。漫に人に見せんは心よからねど。聞ふる悪棍の強八なれば。後日いかなる仇をか做らんと。 やむことなくて見せつるに。強八喜びその剱をうちかへしうちかへし好々看に。晃々たる光は只是明鏡の面のごとく。 焼刃の紋は光波の溢に似たり。そのうちに蟷螂と蜩との象鮮に見へ。さながら生るがごとくなれば。心裡に甚だ讃美し。 頻に好もしく想ひければ。わりなく乞索るに。虚六平一見を許すだに幾許のことゝ思へるに。今また乞もて往んとするにぞ。 心中恚るといへども。難面くいわんは後のこといかんかあると。幾分かの慮を凝し。詞をなどやかにし。 此剱には深き縁故あれば。漫に他に与へがたしと漸やくに言詑て。強八をすかし帰しけり。今は斯て止とも。 奸智深き強八。後奈何事をか做。そは後の巻を読得て知ん。且説虚六平が這剱を惜みけるは。その身故武士なるを今苓落居れば。 人の侮り軽ずるを易からぬことに想ひ。いかにもして昔の武士となりなんものをとおもひつれば。然るべき剱なくてはと。 扨こそ深く惜みけり。かゝることをば心中に秘め置。密にその便を索るうち。此程ふと風のこゝちせしほどに。 一日二日うち臥たりしが。何ぞ料るべき。漸々に病をもやかになりゆけるにぞ。渾家驚きまどひ東西の医師を招き。 薬飼さまざまに用ゆれど。露ばかりの験もみへねば。こは何とかせんと神に仏に祈。只顧病のおこたらんことをぞ願ける。 此折から一日の夕晩。一人の旅僧門辺に站て云へりけるは。貧道は陸奥へまかる高野沙門にて候が。今日しも日暮て宿るべき方なし。 憐一夜の宿を恵給へと乞に。もとより善根を事とする家なれば。母たち出て云。此ほど主の病により。破生の草屋の荒はてて。 甚八格戯さへに。まいらすべき物だもはかばかしからねど。これらのことだに厭給はずは。這裡に入らせ給へと聞こゆるに。 僧は喜び裡に入れば。母は一室なる処の塵を払ひ。こゝにいざなひ。食事よりして何くれかくれのこと。 まめまめしう款待にぞ。僧は深く喜び。篤く謝して后。主の病のやうを問ふに。母細やかにその光景を話説ば。 僧熟々とうち聞。そはさこそ物憂くおぼすらん。今宵宿りの報に。法力つたなしといへども。高野大師の流を汲身なれば。 精の限。病のおこたるべき祈をいたし候はんと。虚六平が枕辺に往て。しかじかのことを云聞ゆれば。 虚六平これを謝し。とくとく祈給はれとあるに。僧心を得てやがて香を薫念珠をつまぐり。良久しう祈て后。 又真言の秘文を唱へ。双眼を閉ること一盞茶時ありて。愕然と驚き。嗚呼這病は尋常にあらず。正しく物の祟にて悩み給へるものなり。 早く除かざれば。命のほとほと危ふかるべしと云ふ。虚六平驚。そは何の祟に候やと問へば。僧答へて云。 今真言の法によつて好々観ずるに。此家に殺気満々て。其障怪最甚し。是武門にありては。刺客などの忍て窺ふの兆なり。 足下は冶匠にておわすなれば。其禍はあるべきにあらず。想ふに妖剱など貯給へるありて。祟を做かとおぼゆれ。 剱は素殺気あれば。此兆あるも理なり。若想ひ中るべき剱あらば。とく他に出して災を攘ひ給へと説示せば。 虚六平心裡に的当し。是かならず彼短刀の所為ならんとは想ひけれども。僧の言葉のあまりに的中せし不思儀さに。 少く疑想ひけるは。秘め置ける短刀は前日強八深く望しを与へざりしが。彼奴我病めるを窺ひ。人を雇ふて斯いはしむる謀かもしるべからず。 然るときは他に出して益なきのみあらず。なかなかに欺し不覚ものよと。人に背指さゝれんも口惜しと。 さあらぬさまにて云へりけるは。師父の命さることあるべけれど。我家貧しうして塵ばかりの物も貯へはべらねど。 旧き家なれば床の下。塵づかの底などに。剱などの埋もれあるべうも斗られねば。翌日とく捜索申べし。 今宵は夜も更て候に。旅の疲労もおわすらん。まづまづ寝させ給へと。妻にむかひ。それそれとあれば。 妻心を得て。僧をば一室なる処に寝しめつゝ。母と諸共に虚六平に対ひて云らく。今宵僧の宣へる剱は。 嚮に冶給ひし短刀にてやあるべし。是まで些ばかりの物怪みもなかりしに。彼剱を冶給ひて幾程なく病給へば。 他を捜索までもなし。明日とく彼短刀を売代なして薬の値にし給はゞ。是両ながら良を得べしと云聞こゆれば。 虚六平頭をうちふり声を密て云。此事さらさら做べからず。今の世の浮屠は俗よりも心賤しく。利を貪ることは蝿の血を好がごとく。 我家旧き冶匠なれば。必先祖のうち冶し名剱を蔵おくかと想ひ。それを奪んとする術かも。はかりしるべからずと。 さらに聴わくべき様ならぬに。母子は呆れまどひ。こはもつたひなし。胡乱のことな云給ひそ。聞ならく。 高野大師は今も尚諸国を巡り給ひ。人の善不善により。様々の冥助冥罰を施し給ひぬといへれば。必乎誘ばしし給ふなと各色に諫むれば。 虚六平あざみ笑ひて云。さることは我も聞けれど。そは渾売僧の空言にして。婦女子を騙かし。利を貪るの便なり。 人の禍福死生は天にあり。いかでか無情の器物にしてよく人を悩すべきと聊も肯ひかざれば。母と妻とは甚浅猿く悲くて。 尚数々諫むれば。后にはつやつや返答だもせざるに。没理会て歇にけり。斯て其夜も明ゆきて。横雲東にたなびける時ほひ。 僧は起出で。昨夜よりの礼をのべ。虚六平挙家のものに対ひ。主翁の病。深く心を痛め給ふべきにはあらねど。 貧道が言葉を用ひ給はずは。命のほどもいかゞあるべき。好々捜し。よしあるべき剱などあらば。とくとく他に出し給へ。 然るときは病は頓に愈申べしと。細やかに云教へ。別を告て出去けり。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp