公事根源
《公事根源》七月

  相撲
是れは諸国の供御人を召し集めて。七月に相撲の節といひて。天子の御覧ずる事なり。先づ十六七日の間に。召仰あり。 上卿勅をうけたまはりて。左右の次将に相撲あるべき由を召し仰せらる。左右の近衛。方を分けて国々へ使を下して。相撲を召す。 是れを万葉には。ことり使と申すなり。廿六日に内取といふ事あり。主上仁寿殿に出御なる。左右の相撲人。 犢鼻の上に狩衣袴を着て。一々に相撲をとりて勝負あり。廿八日に召合あり。天皇南殿に出御なる。王卿参上す。 大将相撲の奏をとり。十七番とりて。勝の方乱声あり。又廿九日に抜出とて。相撲をすぐりて御覧ぜらるゝなり。 神亀三年始めて諸国より召し登せらる。寛平七年には童相撲を御覧ありき。すべて相撲のおこりを申すに。 垂仁天皇七年七月に。当麻の邑に勇士あり。名をば当麻蹶速といふ。力強き事角をも裂きつべし。天皇この由を聞こし召して。 これに番ふべき人を。群臣に尋ねられしかば。出雲国に健き男あり。野見宿禰と申す者の侍る由を奏す。 則ちこれを召して。相撲を御覧ぜらる。野見宿禰力や勝りたりけん。蹶速が腰を打ちくじきて。たちどころに踏み殺し侍りき。是れ相撲の始ならむかし。

神亀三年…神亀五年。

《公事根源》十月

  射場始  五日
まづ此の月の三日に。左右衛門弓場の堋を築く。その日は天子弓場殿に出でさせ給ひて。弓を御覧ずるなり。公卿以下束帯にてこれを射る。 天子御射席を敷かれて。弓矢を御座の左右の脇に立てらる。是れ群臣と斉しく。弓を射たまふよしなり。誠に文武二つの道は。一つを缺くべからざるが故に。 今天子も弓場殿に出でさせ給ひて。武道を習はせ給ふなり。口伝に射場始なくば明年賭弓あるべからず。賭弓なくば。相撲の節ある可からずと申すなり。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp