久夢日記
《久夢日記》

天和元酉年三月。牛込御もん大御番所むかふ角屋敷大久保彦六とて。 御書院ばんあいつとめる。男達じんぎぐみのなかまゆへ。水野十郎左衛門殿とはべつして懇意なり。しかるに彦六方にて。 当年三月半下女をめしかゝゑらるゝ。生国相州藤沢にてとし十九歳。名をふじともふし。花いろの袷に梅の花ちらし着しぬれども。 一躰きりやうよく。江戸にもまれなるうつくしき生なり。藤生国藤沢に。二世といひかわしたる辰五郎といふ男あり。 しかることをばしらずして。主人彦六は藤にはなはだれんぼして。いろいろといへども貞女をたてゝしたがはず。 あるとき彦六我こひのかなわぬ意趣に。南京の皿十まいありしを。そのうち一まいかくしおき。その皿をせんぎするとて。 早朝より夜の八つ時まで。藤を我そばにひきつけ。みぎのさらをかぞゑさす。一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ九つ。 一枚たらぬとまたはじめ。一枚より九枚まで。終日終夜くりかゑしくりかゑしかぞへさせける。彦六もたいくつして居ねむりける。 藤はうつゝながらも。一つ二つ三つとかぞゑながら臺どころへいで。井戸のもとまで一つ二つ三つとかぞへながら。井戸へとびこみ死たりける。 夜明て死骸を人主請人牛込白銀町弥兵衛かたへ。乱心にうたがひなしとてひきわたしぬ。しかるところにその夜八つ時ごろ。 人しづまるといなや。家なりしいだし。戸障子ひゞきわたり。物すごきことかぎりなし。井戸はじきにうめたれども。 そのへんよりこゑかすかに。一つ二つ三つ九つ。一枚たらぬあらかなしやとないてきたる。家内の男女死入こゝちにてのぞき見れば。 藤がゆうれいなり。彦六は不敵なるものゆへ。すこしもおそれず。めしつかひの男女家中の妻子ども。三日たゝざるうちにことごとくにげさりける。 彦六一人にあいなりじしん飯たくよりほかなし。諸親類はふつうなり。はなはだ難儀のていなれば。ぜひなく水野十郎左衛門に。みぎのおもむきはなしければ。 水野は男達なかまのことゆへ。内々にてじぶんやしきへ大久保彦六をひきとり。彦六やしきには門番ばかりさしおき。 ずいぶんとおんみつにしてさしおきけるところに。一両日もすぎて。彦六にわかに顔色をかへて身をふるわし。 さながら下女藤がかたちのまねをして。口をすぼめて一つ二つ三つとかぞゑ。かなしや一枚たらぬと。かつぱとたをれさけびける。 十郎左衛門きもをつぶし。これ藤が死霊のなすわざならん。死なば死しだいと。一間のざしきへいれ。ばん人つけおき候ところに。 大久保はいよいよ乱心して。昼夜片時もやむことなく。廿日ばかりがそのうち。さらをかぞゑてくるい死すありさま。まことにあさましきことなり。 このこと公儀へきこゑ。御ぎんみもこれあるべくのところに。大久保のことはさておき。水野十郎左衛門身上大事こそできたりけり。
その比大久保彦六の異変の風聞。江戸中もつぱらなり。四座の芝居にて名代をかへ。狂言にしぐみいだし候。その中に木挽町森田勘弥が座にて。 皿井筒の内に呼子玉。市野屋くわん活風呂といふ名目なり。大あたりにて水野十郎左衛門もさんじきにけんぶついたされ候。第二番め皿かぞへさいちうにきたる見物人。 半畳うりをたのみわりこみけるところに。雷十五郎といふ町男達のひざをあげ。半畳をしかんとす。十五郎いかつて。こゝは割込はならんといふ。 半畳売げらげら笑て。何ものにても芝居へきて我まゝはならぬ。わるくのしやばるといひきずり出すといふ。おのれにひきずりいださる男とおもふか。 江戸中にかくれないいかづち十五郎なるぞ。おのれいかづち十五郎なれば。このしばゐにかくれなゐ桑原八十郎。しばゐで男達はおゐてくれ。 ひきいだすほどにと。いかづちが小うでをねじてひき立る。いかづちはらをたち。につくひざうごんと。桑原がそつ首をとつてねじふせ。 胴中に尻うちかけ二つ三つ尻餅つけば。雷様御めん御めんとなきいだす。すわやけんかと諸見物さわぎたち。半畳売の仲間ども四方よりきたりて大さわぎなり。 しかるところにさんじきより。水野十郎左衛門大おんにて。これに水野十郎左衛門見物にきたりて居ぞ。さわぐなさわぐなしづまれとこゑかけければ。 たちまち芝居しづかになりぬ。しかれども十五郎は半畳売をてうちやくし。しばらくさいなむていを。十郎左衛門はらをたち。それがしが目どふりにて推参千万。 誰かあるあいつをひしぎきたれといふ。かしこまりて御そばさらず金時金左衛門。用人役勤。しゆざやの長大小さして。 さんじきより飛下り。十五郎がその首に手をかけねじふせ。馬のりにのりて。狂言を初めい初めいといふておしつけたり。いかづちもさすがのものなれども。 金時にはかなはず。その間に半畳売はにげたり。芝居は大さわぎなり。そのとき四五間もへだてたる見物の内より。六尺有余の男。 黒茶木綿の袷におなじ色の羽織着。見物をおしわけおしわけ金時にむかひ。めづらしき半畳がはじまり候。身どももちつと腰かけて見物いたすべし。 いづれも様高く御ざります。御めんなされましといふて。金時が両手を首を一所につかんで。首骨をねぢつけ。胴中に尻をうちかけ。かみは梵天たいしやく。 地は金輪ならくまで。御ぞんじの幡随院長兵衛。けんくわの中がい神祇組の畳を。半畳にしきもふしたいと云ける。そのいきおひ気味よくぞ見へにける。 それより唐犬権兵衛。放駒。大仏に小仏。かんふ。三ふ。弥平。和尚の引導すみしだいに。らんとう場へやりもふそうとのゝしつて。ばらばらと立あがり。 唐犬金時が大小をうばひ取。はるかになげいだす。大喧嘩になりければ。狂言これまでとことわりておひいだし。水野十郎左衛門は我服心の家来を町人にさいなまれ。 むねんなれども場所がらあしきゆへ。面目なくすごすごと帰られける。長兵衛は金時を思ひのまゝになし。そのほかのものは水野をあい手にのぞみけれども。 さつそく芝居をにげられたり。金時は大小をとられ。見物にまぎれて羽織にて顔をかくして。汐留橋まで行所に。むかふのかたより編笠かぶり。きざみたばこの箱をさげて。 あきなひ来るもの金時を見るより。あみがさとつてなげすて。めづらしや金時。見わすれはあるまい。去年吉原ゑもん坂にて。四五人にてそれがしをよくふんだな。 この冥途の小八見うけどころがけんくわのあけあと。小八があとをばはきもふし候といふて。金時がこまたをすくつて汐留橋より下へなげこんだり。 まことに命ばかりやうやうとたすかりける。今度森田が芝居にて。水野十郎左衛門あい手にてけんくわ。日本一の手がらものと。 江戸中ひやうばんなり。このけんくわ三日めに。幡随院長兵衛へ定式の供廻りにて。長兵衛在宿をきゝ。馬より下り。水野十郎左衛門ししや保昌庄左衛門ともふすもの。 主人もふしこし候おもむきは。毎度御名前は聞および候。いまだ御意をゑず候。一昨日森田が芝居にて。ふりよのけんくわこれあり。そのせつ家来酒にたべゑい。そこもと同心のものへ慮外いたし。 御りつぷくにて御てうちやくにあづかり候。見うけもふし候ところ。御身のとりまわしあつぱれおそれ入候。世上にてなにとひうばんいたし候とも。十郎左衛門はあたつてくだくる心底ゆへ。 さやいのぎかつもつて心服にとめもふさず候。そこもと御きりやう。江戸にうへこすものもあるべからずとぞんずる上は。以来御こゝろやすく。御意ゑもふしたくぞんじ候。 明日御ひまにも御ざ候はゞ。御出下されまじくや。そのためししやをもつてもふし入候。長兵衛つゝしんで御口上うけ給はり。これはぞんじもよらぬ御れきれき様より。 御いんぎんの御ししや下され。御うけもふしあげ候やうも御ざなく候。なにぶん御意にまかせ。明日伺公つかまつり。御礼申あげべく候とこたへて。 ししやをかゑしぬ。長兵衛しあんして。これはそれがしを呼寄。意趣をはらすとの支度なり。水野が方へ延引せば。男達の名をけがすなり。 友達にさうだんするはひけうなり。死ぬかくごしてまゐらんと。死せうぞくし。水あさぎの上下に。二尺八寸の花かいらけのさやの脇さしをさして。 供をもつれずたゞひとり。水野屋敷へまいり玄関より上り。ししやの間へとふし。役人ども出むかひ。一とふりのあいさつもすみて。 それより居間へとふし。山海の珍味をいだし。いろいろちそうにて。大酒いたさせこゝろをゆるさせ。大勢にてころしぬ。寛文五巳年より十八年のあひだ男達。 当年三十六歳にて。水野十郎左衛門がために横死しける。死骸はちうげんどもにもふしつけて。隆慶橋より流しける。それより三日め。長兵衛がゆきがたしれざるゆへ。 唐犬権兵衛。放駒をはじめとして。男達ども十方へわかれてたづぬるところに。隆慶橋の川下にて死骸を見つけ。これうたがふところなく水野のしわざとさつし。 死骸は幡随院へほうむり。あとねんごろにとむらひける。さて唐犬権兵衛宅へ。おとこだて十八人よりあいて。長兵衛が追善さうだんきわめ。 その夜はみなみな帰りける。これぞ水野が運のつくるところなり。
 扨この唐犬権兵衛は江戸出生にて。下谷金杉町に住居す。女房は新吉原江戸町上総屋内の玉桂といふて。名君にて全盛の君なり。権兵衛ふかくなじみてもちし女房なり。 あるとき権兵衛芝辺へゆきけるに。大道寺権内といふ人の屋敷前をとふりけるに。大道寺手飼の唐犬二疋を。権兵衛へけしかけられる。左右より飛かゝるところを。おどり上りて二疋の犬を鼻づらをつまんで。 七八間なげいだす。また飛かゝるをふみたをし。二疋の犬をふみころしとふりける。これより唐犬の異名をとり。ひたい大きくぬきあげ風流男ゆへ。その比権兵衛びたいをまねて。 唐犬びたいと末代まで名をのこしける。町男達は幡随院長兵衛江戸出生。下谷幡随院境内に住居す。長兵衛は唐犬権兵衛の親分なり。武家かたは水野十郎左衛門。 高五千石。屋敷牛込御門内也。坂部三十郎。高五千石なり。加賀爪甲斐守。高一万石なり。水野十郎左衛門家老役のもの四人は四天王。 用人一人ひとり武者と名づけり。大小神祇組何十人かあいしれず。山の手組。下谷組。浅草組。芝組とて。江戸中その組々わかれてあり。男達にて世上諸人もてあまし。難儀するものすくなからず。
扨水野十郎左衛門は。このほど長兵衛がために心気をもやし。やうやう本望たつし大慶なり。今日初七日なれば。みぎのしうぎに懇意の御旗本の仲間をあつめ。 長兵衛七日なれば。追善に吉原へまいり酒のまんと。鳥居権之丞。高木九郎八。松平紋三郎同道。家来四天王を供につれ。小石川より船にのり。新吉原江戸町一丁め大菱屋へあがり。 十八人づれ大一ざのことなれば。はなはだ興にあまりて居つゞけ。三日めに早朝かゑる。土手にて朝日出。花川戸のかたへむかひて行所に。おもひもよらぬ土手下より。 十八人の町男達おどり出て。十郎左衛門を唐犬権兵衛。鳥居権之丞を放駒。高木九郎八を薩摩源五兵衛。松平紋三郎をば冥途小八。四天王一人り武者には。大仏。小仏。勘ふ。三ふ。弥兵衛。神田弥吉。肩ひしぎにねじふせ。 あいのこる九人は。太鼓持ざうりとりをふみたをし。唐犬権兵衛は水野十郎左衛門がむなぐらをとりもふしけるは。このほど我々が親方長兵衛を。よくもたばかりころされたり。かくいたすうへからは。切ころすことはやすけれども。 御辺ごとき人でなしを。ころすべき脇ざしなし。大義ながらしばらく生て非人の手にかゝり給へ。権兵衛がこうすりをいたゞき帰れとて。 懐中より髪剃をいだして。鼻と耳とを根から切てすて。そのほか三人の御旗本をはじめ。四天王ども耳鼻をそぎ大小をもぎとり。みぢんにおりすて帰りける。扨水野十郎左衛門はじめ九人のものどもは。 まことに命ばかりたすかり。面ていはみぎのとふりゆへ血だらけ。大小はなし。はぢのうへなし。いつかふころされたるがましならん。吉原五十軒編笠茶にて。編笠をかりてかむり帰に。往来の人ぐんじゆをなし。 手をうつてわらひ。見物はおびたゞし。吉原より牛込までの見物。江戸中きゝつたへきゝつたへ。かけつけかけつけ見物の人。ひきもきらずおびたゞし。 この評判もつぱらゆへ。公儀へきこへ。水野監物へおふせつけられ。監物殿じしん御出。十郎左衛門家来四十九人縄をかけらる。 監物殿かため侍は百三十人。足軽二百人にてかためらるゝ。御検使これあるべきよしゆへ。あいまたれ候ところに。さつそく大目附横田備中守十人。 目付久松内記。御使番駒木根長三郎。御徒目付十二人。御小人目付十八人。ひときり山名勘十郎をめしつれ。水野十郎左衛門をめし出され。検使の前に引立きたる。ときに横田備中守殿。
  御書付を以申渡。
其方義御譜代の旗本にて。御頼母敷被為思召所に。数ヶ年の不行跡世上に隠無之。あまつさへ此度の不覚。上の御名を下者也。 其科為重罪間。領地被為召上。平士に同。御仕置被仰付者也。
右おふせわたさるゝと。御小人目付引立。書院の庭へ引下し。山名勘十郎首打落す。そのほか今朝一れつのものども。 のこらず御仕置被仰付。この一件あいすみ。それよりきびしく御ぎんみにて。それぞれに御仕置になり候人々には。加賀爪甲斐守一万石。八丈島へ遠島。御旗本には諏訪藤右衛門。 我孫子新太郎。酒井熊之助。太田杢之助。小出左膳。近藤藤之助。小笠原刑部。松平久之丞。大岡秀之丞。津田平吉。篠山勘五郎をはじめとして。都合五十七人。大小の男達神祇組といひし輩。 八丈三宅島大島等へ遠島仰付られ候。みぎのほか大番与力伊賀甲賀御先手組与力。あるゐは御徒衆大小神祇組男達ども。だんだんと御ぎんみにて。遠島または追放仰付られ。大小神祇組男達は。 御仕置ことごとくあいすみ候。将軍綱吉公御仕置はじめ。男達と名付候もの。根葉をたやし候様上意につき。御持組頭中山勘ヶ由盗賊改仰付られ。町男達めしとり仕置仰付られ候と。 その日にまづ本郷御茶の水にいたりて。大仏師三ふを捕て。これを目明としあんないさせ。下谷金杉唐犬権兵衛宅へふみこみしところ。おりふし権兵衛留主ゆへ。人質に母と女房忰。 十六歳。権六ともふす小もの一人。家内四人めしとり。権兵衛御たづねのところ。今朝まかり出候よしもふしあげるゆへ。人じちばかりめしとり帰るみちすじ。上野広小路にて目明大仏しらせけるは。 放駒は何心なくきたるところを。同心両人左右よりとつたとかゝるを。むかふざまに五六間つきたをしたり。あとの同心六七人にてとりまくを。左右の手にて両人づゝつかみて。四人までなげいだす。 そのまにおりかさなり。十二人の捕手同心上になり下になりて組合。やうやうとして縄をかけたり。それより所々の名代の男達をめしとられける。その中にも薩摩源五兵衛。佐の野治郎左衛門。冥途小八。 真虫治兵衛などがはたらきに。与力同心手負死人おびたゞしくこれあり。この四五人江戸中町家のさうどう。まことに津浪の寄るがごとくのさわぎなり。町名代の男達三十七人めしとらる。そのほかは十方へにげうせける。 扨また唐犬権兵衛は。我家へ捕手のむかひしみぎりは。箕輪の伯母が病気見舞に行し留主にて。母妻子めしとられしを夢にもしらずして我家へ帰り。家内を見れば町内のもの大勢寄合居しゆへ。何ごとやらんと。 まづ隣家の亭主七兵衛方にてとひければ。七兵衛もふしけるは。今朝そのもとるすのところへ。中山勘解由様御とりかたきかり。御袋はじめ妻子小者までめしとられ候。それゆへ町内寄合まかりあり候なり。 権兵衛もふしけるは。これまでの運命なり。母妻子をめしとられ。何の面目あるべし。これよりすぐに中山殿へまいるといふて出行ける。町内のものどももふすやふは。権兵衛なかなかにげるやうなる男にあらず。 気づかふことなしと。そのまゝさしおきける。扨権兵衛は中山殿玄関へまかり出。それがしは唐犬権兵衛ともふすものにて御ざ候。今朝御せんぎこれあり候とて。とり手の衆をつかわされ候ところ。そのせつ遠方へまかりこし留主ゆへ。 母妻子めしとられ候むねうけ給はり。これまで参上つかまつり候。老年の母何の善悪をわきまゑず。女わらべ拙者がために身をくるしめ候こと。近比心外のいたりに候へば。一応御せんぎのうへ。御仕置仰せつけられくるしからず。 四人のものどもぎ御慈悲をもつて。さつそく御しやめんねがひたてまつり候と。つゝしんでもふしあげける。右のだん勘解由へ取次ければ。さてさて名代ほどありて神妙ものかな。しからばねがひのとふり。四人のものどもゆるし。 権兵衛にもあわせ。暇乞もさせよともふしつけられける。権兵衛はゆるゆると暇乞し。このうへながものがたりは。上へのおそれかつはみれんなり。さうさうまかりかゑれともふしけり。四人のものどもは何のこたへべきことばもなく。 なみだにくれてなくなく帰りけり。それより権兵衛に縄かけ。勘解由目通りへ出しける。時に勘解由権兵衛にむかひ。そのほうさつそくまかり出神妙なり。ねがひのとふり四人のものども帰たり。扨そのほうぎ。年来男達をわざといたし。 先達て水野十郎左衛門を。手ごめにいたしたるぎさういなきや。権兵衛御うけもふしあげ候は。下拙ごときのねがひさつそく御とりあげあそばされ。ありがたき仕合にぞんじたてまつり候。年来男達つかまつり候ぎ御たづね。 いかにもさう違御ざなく候。さきごろ水野十郎左衛門殿を手ごめにつかまつり候ぎは。止事なき意趣これあり候ぎに御ざ候。勘解由かさねて。ありていのもふしぶんまことに男達ほどありて神妙なり。それにつきたづねたき事あり。 男達する気量をもつて。異名もあるべきに。唐犬とは畜生の名なり。何ゆへつきたる。唐犬の異名御ふしんとかふむり。つまひらかにもふしあげべく候。また私も御たづねもふしあげたき義御ざ候。当公方様御こと。 館林様に御ざあそばされ候せつ。右馬頭様ともふす畜生の御名は。いかやうのわけにてつかせられ候や。それをうけ給はりて。唐犬の異名もふしあげべくとことふ。さすがの勘解由一言もなく赤面いたされ。 牢舎申つけよと下知にて。ひきたて伝馬町牢屋敷へつかわしける。かくて日数かさなり。男達のるいばかり三十七人。江戸中引廻さるゝせつ。みぎのものども声をそろへ大おんにて。中山勘解由がまつりじやどんどんかゝかとうたひつれて。 江戸中引廻されて。品川鈴ヶ森におゐて。打首ごくもんになりぬ。これより江戸男達はあいやみにけり。

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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp