戯場粋言幕の外
《戯場粋言幕の外巻之上》

役者見立百人一首のよみ売「在原の業平朝臣が沢村源之助で。評判記の位付が真黒の上上吉で。 定紋が丸にいの字。替紋が鐶菊。俳名が曙山。居宅が玄冶店。家名は紀の国屋で。給金が八百両。歌に。 ぢゝ「人別さ改るだアがな。太郎「あに。役者の給金付だア。 ぢゝ「おやッかな。骨太な作男の二百人べい抱られらアへ。○惣役者給金付評判記わい。 勘三と羽左ヱ門。狂言を角力に取組。負勝の評ウばアヽん。△ヲイ合羽ア。ヤイ羽織イ。ヲイ二文。 ト大勢立居て見物をひく。○俗に○かつぱ○ひつぱり○よび込などいへるはきいたふうにして。実の芝居通にあらず。 これを「役あて」と覚ゆるものあれども。○役あてはいづれの役にもありて。あながちこれにかぎるべからず。 ○此人をさして常役となづく。猶くはしき訳あれどもしばらくこゝにはぶく。

《戯場粋言幕の外巻之下》

少刻話説両頭に分り。良あつて。母親「三郎左ヱ門さん。私どものやうに。お役で芝居を見るやうになつてはいくぢはござりません。 三郎「あやうさ。ト懐から目がねを出し役割番付を見ながら今の役者はひとつぱも存ません。 先幸四郎が路考の弟子になつて。瀬川錦次と申ス女形で。夫から後に団十郎の弟子になつて。市川武十郎と申たが。 其時分の風とは大きに違ました。はゝ「さやうさやう。市川染五郎と申たのを。私どもゝ存ております。 後に高麗蔵と更ましたッけ。三郎「ハイサ。今の向島が松本幸四郎といふ頃さ。夫レからおまへ。 白猿が団十郎ニかへて。高麗蔵が幸四郎となりました。「承はれば。亡る前には男女川京十郎と申たさうだ。 私などは近年久しく見ませぬから存ませんが。よく名をかへた人でござります。三郎「めいたいじんさネ。 一生塗を致さずに終りました。稀者でござります。モウあの位の役者も出来ますまい。 昔から見れば。今の役者は皆小くなりました。つれの男「サア昔贔屓が始つた。又おめへ。前の誰。先の誰がをいふだらう。 三郎「ハテ。さういひなさるな。おめへ方も今に私がやうになるヨ。栢莚。木場の親玉。 中村少長。王子路考。湯島の天幸。イヤ又親宗十郎などもよかつた。今の助高屋と此頃亡つた訥子が。金平。田之助といつて。 子役の時分からしつてゐるはさ。思へばこちとが化もしねへものだ。助。広治が河津。野などゝきては。 イヤ虚の様だね。大十丁と魚楽がナニガ角力で。トつッ立た所の立派さ。アヽ今譬やうなら浅草の二王。 イヤまだまだ。あんな事ではなかつたて。魚楽が野で。「角力の相人アよもや有めへ有めへトいふと。 角力の相人は爰にありといふ十丁が口跡が。りんりんと響て。茶屋の鍋釜が棚から落たといふはさ。 栢莚が眼ときては名代であつた。今はない。「目の名代は。栢莚と鯛だネ。三郎「イヽヱサ。お聞なさい。 矢の根五郎で揚障子に居眠て居て。目を覚して。くはつと睨だが。其目がぱちりともせず。やがて二時ばかり睨詰て居たが。 トント人形のやうで。見物が栢莚ではない。細工物だらうと云ひました。はゝ「さやうさやう。 歌右ヱ門が清玄を思ひ出すと。今にぞつとするやうでござり。三郎「さやうさ。 お咄の序だからいふが。舞台で曾我祭をする事は。今の若衆はしりませぬ。あれは隣の芝居で。梅幸が鯉をつかつて。 十丁が鮟鱇無間をした時。アヽ。五人男も出したつけ。其年の春狂言が大あたりで。半年の余も曾我をたゝいた。 ソコデアレ。俄といふ事を案じて。家橘羽左ヱ門が始ました。尤曾我祭を始たは勘三だと申ますが。舞台で俄を仕初たは家橘さ。 聞ておきなさい。私が死ぬと。モウこんな咄は聞れない。ト目がねをはづして。懐からはなふきのきれを出して鼻をかみ。四角にたゝみて。ふくささばきをしてたもとへ入。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp