| | 斉昭謹按に。詫言申訳抔は。僧侶の持前ともいふべきなれども。夫さへ御用ひなきにても。
御政事向の儀へ。一切出家の口出不成事知るべし。統て出家と狐狸は。正き人をば惑し難き故。婦女子の方へ取入。
婦女子の中に。偽言を信ずる人有時は。愚婦愚民は欲にまよひて。仏を信心せば極楽へも行かるゝと惑ふ心出て。
我も我もと偽言を信心する事になれり。扨又婦女子に信心の者有時は。其子迄も異端の邪法に引入られて。
何の訳もなく。仏法といふ物は難有様に思ふ者なれば。兎角奥向を始。婦女子にて仏法を好む者なきよふにする事肝要也。
却て出家にても。立上りたる者は。仏法とは偽事と。我心には知りながら。人を欺が今日の役のごとくなれば。
偽と知りつゝ異端と知りつゝ。人にときて聞するは殊に悪むべし。恐多も宮家の御方々は。皆歴々の王孫にましまし候得ども。
御剃髪にて。夷狄の衣をさへ服し給ふは。いづれにも歎敷御事にて。譬ひ仏法は悪きと悟り給ひても。其職と成給ひては。
悪きとも被仰兼。又悪きと被仰んには。肉食妻帯を好み給ふ様に聞へん事を憚り給ひ。あたら嫌疑にせめられて。
仏法を実の道の如くとき給ふぞ浅ましき流石出家にても孝道を悪きといひては。人々不服故。
口には孝道を尊びながら。不孝に有三。無後大とすといふこと。いかゞおもふにや。我東照宮にては。
戦国に生給ふ処。戦国には。武士は弓馬にのみ心を用ひて。学問有之者少ければ。僧侶にても学僧にても。
知謀有之者。又於其道は。悪僧と思はしき者にても。勇猛にて御味方とも相成御益有之抔は。一時の御良策にて。
御懇に被遊たるもあれば。僧侶の方にては。実に仏道御信心の様に申せども。畢竟御信心に無之証には。
御庶子姫君方の中。僧にし給ふ御方は。一人として無之にても可奉承知事也。藤沢の末寺万徳寺の開山は義季義季は親氏殿より八代以前。
神君より拾六代以前なり御息女お吉の方といふ。甚の悪女にて。縁組し給ふ処なく。比丘尼寺となり給ふ。
又親季殿神君より拾壱代已前なりと其御子有親殿は。後花園天皇永享九年二月の頃。
足利将軍義教。新田の余類を捜り求めける故。不得止事して其難を遁れんが為に四月廿日危急の難を免れ給ひ。
此日を一期の終と思召。遊行の弟子にならせらるゝ云々見へたり心にもなき剃髪して。藤沢拾六代の弟子となり。
親季殿は徳阿弥。有親殿は長阿弥と号し。喝食して世を忍んで。三州迄随巡したる頃。三州の松平。遊行を崇敬の上は。
予男子無之故。家を相続すべきものなし。遊行の徒衆の中に可然由緒の人有之ば。遺跡に可相定よし懇望の間。
喝食長阿弥陀仏を。遊行より松平え被進。長阿弥を後有親と申。其子松平太郎親氏といふ。是も危急の難を逃んが為。
遊行の弟子と成。喝食したまふ事にて。本より仏道を信じ給ひて。弟子となり給ふにはあらず。命にはかへがたき故。
一時の策にて喝食し給ふ事也。右の外。東照宮。天下をしろし召てより此かた。
御代々御庶子姫君方を僧侶にし給ふ事不奉伺今遊行寺は。御由緒有迚。天下に横行すれども。喝食の弟子としたる迄也。
非常の節は何にも身はやつすべし。夫が為に今以。由緒有とて。遊行坊主の横行するはわけもなき事也。
信長秀吉抔には正敷神君にても恩に被為成候事あれども。夫さへ今は構もせず。是は御構ひなきがよき事なれども。
夫さへ御構なきうへは。神君拾一代ばかり先の御方。遊行喝食の弟子に一寸なり給ふをもつて。今に遊行坊主天下に横行するはあるまじき事にて。
第一国々所々遊行坊主の仏教に欺るゝ者なければ。御威光を貸りて押付。剰さへ此坊主泊れる地にては。必芝居角力など初て人を寄る事となり。
村々の風俗の害となり。御徳義迄損ずる事也。扨遊行坊主に不限。寺院において。富角力芝居躍等有るは。皆異端の仏教のみにては人を欺き貪ること不相成ば。
かゝる事に成行なる也。いつ釈迦が博奕等したるか。何経にも未及聞事也。且神君薨御の節御遺言にて。神道に可奉祭由の仰に付。吉田の庶流にて。
宗源の唯一神道にて。久能山へ御葬式に相成たるを。唯一にては僧侶共拘事不相成故。其儀を残念におもひ。其後天海僧正が邪智を以。
台徳公を奉欺。宮家の方を我弟子として関東え下向致置時は。万々一奸賊のため至尊を奪取れたる時は。此方え下向致し置所の宮家を以。
至尊とする時は。朝敵に不相成との儀を主張し。夫に付ても色々と説をときて。終に神君の尊意は山王神道にて。
両部の思召也とかこつけたり但台徳公を初め奉りて。其ときの御役々。何れも御遺言に違ふて。両部に可奉祭よふなし。
其後天海坊主の邪智にておもひ付て。台徳公を奉欺。御遺言は両部神道なりとかこつけたり。慈眼大師縁起抔いふものは。一切信ずるに不足。
自分勝手の事のみ書たる物也。其外天海坊主は智謀有し故。定て神君御約束抔といふ事。認残し置たらんと思はるゝ也。貴も賤も。
遺言といふは。其時は用ひたるも。程過れば違ふ事も有もの也。是にても久能の御葬式。御遺言に不違と思ふべし。
第一には。神君の御遺言にそむき。次には宮家を下向して我弟子とし。此末万々一一寸承る時は尤の様なれども。かゝる時日光の宮を至尊にかへ。
至尊に弓引は日光の宮ぐるめ朝敵にて。心あらん人たれか組し可申。至尊を尊はれたらん時は。
我弟子の宮を至尊とすれば。自分は開山の事故。至尊の御先祖同様尊れんと。深遠の巧をなせるもの也。
何様奸賊のため。至尊を奪れ。日本開闢より皇統綿々たるを。万々一絶さん事を憂ひ給はゞ。宮家を御二人も御三人も。
御手厚に御下向被遊候事不相成訳も無之。至尊の御血統の絶んことを重んじ給ひて被遊候事ならば。何ぞや於京地も彼是の思召有べきなり。
夫が為に御主人家を坊主になし。堂守とし給ふ事。神君にて太政大臣を辞退被遊。又御廟を結構に不致様にとの尊意には叶申間敷。
全く天海坊主の邪智より出たる事なり。譬へば御普代大名の中にても。神君の御為に命を捨て忠を尽したる人々数多有処。
是皆神君にて天下をしろしめし給ふに有益の人々なれども。其者の為に将軍家を初め。三家三卿御家門の人々の庶子姫等を。
僧として堂守にせんと有ば。許容はせまじき也。されば大小の相違は有之共。理において主君家の人を坊主として。
堂守にするといふは有まじき事也。神君の思召は勿論久能山へ御葬式も唯一に被遊候上は。
台徳公思召も御同様なるべし神君を初。御代々御庶子姫君を僧とし給はぬをおもへば。僧にし給ふ事は好給はぬ故なれば。
御身にて好たまはぬ事は。天下の万民まで押及ぼし給ふが。天下をしろし召るゝ御方の御役にて。大名はじめ自分自分不好事は国民へも押及ぼすべき事なり。
夫を況や好み給はぬ事を以て。御主君家を異端の僧として。堂守にし給ふ御事。神君の尊慮に可応事にあらず。且。天下の衆人。理ある方へは付く物也。
徳川永世の御為を見通す時は。神君の御宮。伊勢抔のごとく。唯一神道に祭給へば。尊敬し給ふ処も此上なし。又御主君家を出家とし給はざれば。
行末迄も無理といふべき廉なく。且又。宮家を御二人なりとも御三人なりとも。関東へ御差置被遊候得ば。御手厚にも可有之也。徳川の天下御万々歳と不祈ば。
今のよき様に可申置なれども。御為御万々代と奉祈ば。我身をかへり見ず。深遠に見抜たる処を認め侍るなり。全く天海の邪智より起たる事なれば。
神祖御遺言の通。日光を始唯一神道に御尊敬被遊上野御宮。芝安国殿抔は無已ば暫く是迄の通にても可然也。宮家を下向とし給ふは。
御二人も御三人も。御手厚に御下向にし給ひ。其外親王摂家方より出家し給ふ事を禁じ給ふべし但。禁じ給ふのみにては親摂にて御差支は勿論なれども。
是は何程も仕方有べし。されば第一に得度の法を立。天下の僧徒自滅し。又神道を尊び給ひて。人々仏を信ずる心を薄し。其外勢ひによりて是を正道に導引給はゞ。
日本国中異端の邪道絶て。善道へかへり可申也古への令には。得度の法あれども。御治世以後今以得度の御定なく余り乱りなり。
八宗共に其元は同じ異端にて。切支丹の拙き物なれば。いづれも正道にかへし給ひ。法親王等は親王等の通りに被遊。其外の僧侶は皆御武用の為。
寺格寺領によりて。御旗本より夫々身柄に応じ召遣ひ給はゞ。日本国中にて拾万寺と見通し候ても。莫大の御味方出来ぬべし禅宗一万百八寺。
黄檗九千百寺。真言宗一万千百寺。浄土宗拾四万弐拾寺。法相宗五千三百弐拾寺。遊行宗六万七十六寺。天台宗千八百弐拾寺。大念仏宗千五百拾寺。
西本願寺宗四万五千拾寺。東同八万八千三百五拾四寺。高田門跡七千五百弐拾寺。日蓮宗八万三千弐拾寺。惣〆四拾六万三千七百五十寺也。右寛政十二申年摂州天王寺御修復。
諸宗へ十七ヶ年の間。一ヶ月銭三文ヅヽ。月掛被仰付候。右惣〆高落行も可有之歟。〆高は四拾六万弐千九百五拾八寺と成る。本書と差引七百九拾弐ヶ寺不足。
律華厳等の宗不見。此分落行にも可有之歟。尤唯今の僧は。何の御用にも不足ども。其子に至ては。頗御用に立べき也。拾万の寺。一寺拾人ならしと見候ても。
百万人にて。常々偽をいひて。手足をも不動。民の辛苦して作りし粟を食し。日本へ生出ながら夷狄の本尊を拝み。非常の節。御国恩を報ずる事も不相成。
父母の血脈をも絶る如き不忠不孝。且は無益の遊民。其上又今の僧は。日本の令にも背。又梵網経の仏戒にも背きたれば。彼が法中より見る時も罪人也令并梵網経の事は。
論長ければ此処にしるさず。仏教は樹下石上乞食して世を渡ると聞。今の如く僧侶金貸等せるは不聞。迚も今の僧侶の仏戒に背事は数へ難ければ。逸々とふに不及。
其内高野を始。金貸して大金集るはかならず行末是等も此天下を乱す成るべし是等も祖宗の法を変通し給はゞ。永世の御仁政不可過之。
何とか御所置有度事也。されど此事は。第一に仁心を本とし。勇をもつて決断し。又智を以て是を助けざれば。なし難きわざなるべし。 |