耳の垢
《耳の垢》宝暦九年
○江州大津にて。当夏。播州姫路城酒井雅楽様御家来角力取の由。殿様至つて角力御好み成され。御先供に召連れられ候。
右の者両人江戸へ御使仰せ付けられ。大津にて馬継ぎ荷物など付け候内。両人は休み居り申し候。余り隙取り候間。
馬子私宅へ帰り用事調へ候に付き。両人散々叱り候へば。却つて雑言仕り候故。一人申すやう。生首引抜き申すべきにやと申し候ところ。
然ればいまだ用向きかかへ居り申し候に付き。江戸表仕廻帰り候節に埒明け申し候へども。馬借受合ひ申さず。
その上馬子段々申し方宜しからず。止む事を得ず両人して生首引抜き候由。早速二条へ注進。役人中出合ひ。
姫路よりも目付出られ。双方吟味の上両人の者はそれ切り。馬子はぬかれ損に成り。馬借閉門と申し候。十一月廿五日承る。
○十二月八日。御蔵方小廻り惣七と申す者。似せ差紙五十石拵らへ。東樽屋へ質物に入れ。この節月切れ。
御蔵へ米たてに出で候て相知れ候由。惣七捕へられ。この節御吟味御座候へども。相手は御座無き由申し候。左候はば惣七硯紙出し書き見せ候へとの事にてこまり。
舌を喰ひ切り候て療治仰せ付けられ居り申し候。何分相手これ有り。拵らへ手これ有るべしと申す沙汰なり。
○右似せ差紙拵らへ候儀相知れ。樽屋へ質物に置き候ところ。近所御歩行組橋本文蔵と申す仁へ見せ候ところ。船越藤左衛門と申す御歩行組の差紙五十石。
依つて文蔵も余り不審に存じ。御役所へ樽屋より頼まれ持参仕り候ところ。成程似せに御座候由。併し知らぬ分にして受け戻させ然るべき由申し候。
その趣樽屋へ申し渡され候へども。文蔵は御勘定所にも心元なく存ぜられ候て。御吟味これ有り。この頃呼び出され候へども。素より存ぜざる事に付き相済み申し候。
樽屋へ御蔵方惣七持参仕り候故。早速召捕られ。右の段承り本人并びに書き手出奔仕り候由。本人は御蔵方番組三木六太夫。書き手は以前角力取牧之助と申し候。
近年番組。只今御暇出で候浪人にて居り申し候。この者手跡宜しきゆへ頼まれ書き申し候由。両人共出奔致し。早速東西へ追々追手に御先手御小人出で申し候。
両人どもの倅捕へられ。流川へ入牢。惣七もこの頃上下歯をぬかれ申し候由。牧之助名只今三木六太夫と申し候。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp