南蛮銅後藤目貫
《南蛮銅後藤目貫第二》

因幡之助近指寄 御尋申は余の義にあらす 此大津の追分に今川家の御浪人藤原氏の何某 武門をのかれ町家に住 目貫とやらを家業とし 世を転変の余所に見て窃に暮し給ふよし 然に最前より貴公の振廻唯人とは思はれず もしも左様の御方ならば主人尊氏数年の懇望 早々鎌倉へ下向有て三軍を司とる尊氏が師範となり 士卒の力を助け給はゝ 足利家の大名は蜀に韓心を得たる悦ひ 某が面目は林妾女か使にも勝つたる忠義 偏に願ひ奉ると頭を地に付頼むにそ 又治はハツト思ひなから とほけたる顔付にて 是は思ひも寄らぬこと 成程拙者も此大津にて職人なれ共 氏素性有る者てもなし 元小角力も取し故表利で人も投けた者 手の筋から見習ひ陰陽師の口真似 合た時は不思議合ぬ時は売僧中間 藤原氏の軍師のとは御目鐘が三五十八合ぬ所在の内からも 我等が芸は酒呑事 盃の御相手が入らば唐迄も参りましよ 外の事は御ゆるし有れ 薬袋もない事隙入て日が長た 神参致す序に徳意方廻又酒々 御暇申と言捨て 礼義もそこそこ立上行を しばしと呼掛ても耳にも入す足早に明樽かたけ走
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp