伽婢子
《伽婢子巻之二》

   三 狐の妖怪
江州武佐の宿に。割竹小弥太といふものあり。もとは甲賀に住て。相撲をこのみ。力量ありて。心も不敵なりけるが。 中比こゝに来り。旅人に宿かし。旅飯をもつていとなみとす。
ある時所用の事ありて。篠原堤を行けるに。日すでに暮かゝり前後に人跡もなし。只我独り道をいそぐそのあひだ。 道のかたはらにひとつの狐かけいでゝ。人の曝髑髏をいたゞき。立あがりて北にむかひ礼拝するに。 かの髑髏地に落たり。又とりていたゞきて礼拝するに又落たり。落れば又いたゞくほどに七八度に及びて落ざりければ。 狐すなはち立居心のまゝにして。百度ばかり北をおがむ。小弥太ふしぎにおもひて立どまりてみれば。 忽に十七八の女になる。そのうつくしさ国中にはならびもなくおぼえたり。日は暮はてゝ昏かりしに。 小弥太が前に立て声うちあげ。物あはれに啼つゝゆく。もとより小弥太は不敵ものなれば。すこしもをそれず。 女のそばに立より。いかにこれは誰人なれば。何故に日暮て。たゞひとり物がなしく啼さけび。 いづくをさしておはするやらんといふ。かの女なくなくこたへけるは。みづからは。是より北の郡余五といふ所のものにて侍べり。 このほど山本山の城を責とらんとて。木下藤吉郎とかやきこえし大将。はせむかひ。その引足に余五木下のあたり。 みなやきはらひ給へば。みづからが親兄弟は山本山にして打死せられ。母はおそれて病出たり。かゝる所へ軍兵打入て。 家にありける財宝はひとつも残さずうばひ取たり。母声をあげてうらみしかば。切ころしぬ。みづからおそろしさに。 草むらの中にかくれて。やうやうに命をつぎけれども。親もなく兄弟もなし。頼むかげなき孤子となり。いづくに身をゝくべきたよりもなければ。 今はたゞ身をなげて死なばやとおもひ侍べるに。かなしさは堪がたくて。人めをもしらず啼侍べるぞやといふ。 小弥太聞て。まさしく狐のばけて我をたぶろかさんとす。我は又このきつねをたぶろかして徳つかばやと思ひ。 げにげにあはれなる御事かな。親兄弟もみなになりて。立よるかげもおはしまさずは。幸にそれがしの家まことに貧けれども。 一人をやしなふほどの事は。ともかうもし侍べらん。わが家の事心にしめてまかなひつかはれ侍べらば。 たのもしく見とゞけ侍べらんといふ。女。大によろこびて。あはれみおぼしめし。やしなふて給らば。 みづからがため。父母の生れかはりとおもひ奉らんとて。うちつれて。武佐の宿にいたり。小弥太が妻にたいめんしてさきのごとくにかきくどきなきければ。 妻もあはれに思ひ。ことさら形のうつくしきを見ていたはりいつくしむ。小弥太露ばかりも妻に狐の事をかたらず。
天正のはじめ江州漸やくしづかになり。北郡は木下藤吉郎是を領知し給ふに。石田市令助京よりくだりける次に武佐の宿。 小弥太が家にとゞまり。かの女を見てかぎりなく愛まどひ。いかにもして此女を我にあたへよといはれしかば。 小弥太いふやう。歴々の諸大名みな望み給へども。今にいづかたへもまいらせず。それがし身すぎのたよりよろしく宛おこなひ給はゞ。奉らんといふ。 石田聞て。金子百両を出しあたへ。女を買とり打つれて。岐阜に帰られたり。
女いと才覚あり。よろづにつきてさかさかしう利根にして。人の心にさきだち。物をまかなふ事。石田がおもふごとくなれば。 本妻もかたはらになし。只此女を寵愛す。されども女は少もたかぶるけしきもなく。本妻の心をとりて。 みづからは妾なり。いかでか本妻の心をそむきたてまつらんやとて。夜る昼まめやかにつかへ侍べりしかば。 本妻もさすがに憎からず。ねんごろにいとおしみけり。出入ともがらにも。ほどほどにつきて物なんどとらせけり。 あるひは絹小袖ふくさ物。針。白粉やうのたぐひ。いつもとめをくともみえねど。とり出して賦つかはす。 しかもその身。麻績つむぎ。物縫ゑかき花結びまでくらからず侍べり。石田が家にこそ賢女をもとめけれととり沙汰あり。 半年ばかり後。石田又京都にのぼる。女いふやう。かならず忠義をもつぱらとして私をわすれ。千金よりをもき御身を。 小細の事に替給ふな。御内の事はみづからに任せたまへとて出し立て。京にのぼせたり。
京にして高雄の僧。祐覚僧都に対面す。祐覚つくづくと見て。石田殿は。妖怪に犯されて。精気を吸れ給ふ。 はやく療治し給はずは。命を失給ふべし。此相それがし見損ずまじといふに。石田更に信ぜず。我をあざむく売僧の妄語。 今にはじめずとて打わらひしが。程なく心地わづらひつき。面の色。黄に痩て。身の肉かれて膏なし。 たゞうかうかとして物ごと正しからず。家人等おどろきさまざま医療すれどもしるしなし。此時の高雄の僧のいひし事を思ひ出して。 祐覚を請じて見せしむ。僧のいはく。此事は。我更に見そんずまじ。初めわがいふ事を信ぜずして。今この病あらはれたり。 仏法の道は慈悲をさきとす。祈祷をもつて。これを治せむ。はやく国に帰して待べし。我もくだりてしるしをあらはさんといはれしかば。 家人等おどろき。祐覚ともろ友に。夜を日につぎて岐阜に帰り。壇をかざり。廿四行の供物廿四の灯明十二本の幣をたて。 四種の名香をたきて。一紙の祭文をよみて。禳していはく。
  維年天正歳次甲戌今月今日。石田氏妖狐のためになやまさる。夫二気はじめてわかれ。 三才すでにきざし。物と人とをのをのその類にしたがふて。性分その形をうけしよりこのかた。品位みなひとしからず。 こゝに狐魅の妖ありて。恣まゝに怪をなし。木の葉をつゞりて衣とし。髑髏をいたゞきて鬘とし。皃をあらため。 媚を生ず。渠常に氷を聴て水を渡り。疑をいたす事時として忘れず。尾を撃て火を出し。祟りを作こと。更に止ず。 この故に大安は羅漢の地に奔り。百丈は因果の禅を詰る。千年の怪を両脚の譏にあらはし。一夫の腹を双手の賜に破らしむ。 粤に石田氏某は。軍戸の将帥。武門の命士なり。何ぞ妄に何時が腥穢をほどこして。その精気をうばふや。 身を武佐の旅館によせて。愛を良家の寝席に興さしむ。汝が状は綏々。汝が名は紫々。式てその醜をいひ。 唱てそのをしめす者也。首丘はその本を忘れざることをいふといへども。虎威を仮の奸ことは隠すべからず。 汝今すみやかに去。速かに去。汝しらずや九尾誅せられて。千載にも赦なきことを。誰か汝が妖媚をいとひにくまざらん。 もしすみやかにしりぞき去ずは。州郡大小の神社をおどろかし。四殺の剣をもつて殺し。六害の水に沈めん。
とよみ終りしかば。俄に黒雲たなびき。大雨ふり。雷電おびたゝしく鳴渡りければ。女はなはだをそれまどひ。 そのまゝたをれて死けり。家人等おどろき立よりてみれば。大なる古狐なり。首に人のしやれかうべをいたゞきて落ずしてあり。 此女の手より人につかはしあたへたる物ども。取よせてみれば。絹小袖とみえしはみな芭蕉の葉。白粉といひしは糠埃なり。針かとおもひしは松の葉也けり。
石田氏が心地快然と涼やかになり。忽に平復して。此物どもをみるにあやしき事かぎりなし。狐の尸をば遠き山のおくにうづみ。 符を押て跡を禳ひ。丹砂蟹黄なんど。調合の薬を服せしめて。その根本を補なひ。さて武佐の小弥太をたづねさするに。 女を売て徳つき。家をうつして。いづち行けるともしらず。まさに狐魅よく人を惑はし。祐覚僧都の法験を感歎しけるとぞ。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp