翁草
《翁草巻之二》 

《翁草巻之五十六》

   ○角力取渦が崎の事
仙台の渦が崎と云ふ角力取り稍年たけておくれたり。其頃巌石といふ取出の角力後に餝之津と云初日より勝そめて。 段々八日目迄に。片屋の名有る相撲に悉く勝て。今は合す相撲なし。翌は誰と取らせんと。頭取其の評する処に。 渦が崎出て。明日我取らんと云ふ。頭取を始め。其外相撲の好士。相撲溜に来て是を聞き。必無用なり。 今少し若き時ならば勿論の事なり。おくれの身にて。斯様の取盛の角力に対するは。いらざる事なり。色々止れ共不聴。 我聊思ふ所有り。是非に可取と云ふに仍り。習の手相かくの如しと行司より見物へ披露す。渦が崎は。日頃贔負多き相撲故。 是を聞く人。おくれの身にて迚も叶ふまじきに。扨々無用成事哉と気毒に思ひ。夫にても流石の上手なれば。 如何にや有べきと取々に評判して。翌を待兼ね。好士いち早く詰掛て。彼の勝負を待つ。既に両方名乗合せて。 立合ふと否。巌石が頬を渦が崎礑と張る。巌石気を立て。例の得手を以て渦を一挙に投んとする所を。ほぐれを取て見事に巌石を投げたり。 其時数千の見物。我を忘て踊り揚り。手を拍ち扇を投げ是を誉る声雷の落る如し。贔負の見物。渦を扇ぎ立扇ぎ立。 如何にやよくよく覚えあればこそ望て取し甲斐有て。比類無き勝負驚入ぬなり。我々見切者にて。凡勝敗の筋をも見分れ共。今日の事に於て合点不行。 奈何と問ふ。渦が云く。御不審尤に候。此程あれ是が取を見るに。誰と取にも得手の一手を以て勝続けぬ。此の一手計ならば。 ほぐれ取て可勝手段有之処に。歴々今を取盛の者共。其工夫付ざるや。悉く負ぬ。我ならばおくれたりとも取て可見と存れども。 取出の角力に。おくれを掛る時は。必ず取出の方より得手を不出。唯一通りに取物なり。夫にては折角望て立合ひても無詮と存じ。 頃日其得手を出させる工夫を致居候が。昨日漸々存候故。望て取候ぬ。其工夫は別儀に非ず。手合を致候と否。敵の頬を張候が則其手立なり。 夫にて相手に気を持せ。おくれのあしらひを忘れさせ。得手を出さんの謀に乗て候。案のごとく其謀に乗候て。 思ひの儘に勝候ぬと申ければ。聞く人渦が崎が機変を感ぜしとかや。

《翁草巻之百四十一》

   古角力取
正徳の頃白山新三郎と云関取出て。世に名を発し。続て大山次郎左衛門。両国梶之介など。皆世に知らるゝ大相撲なり。 是等或は死し或は角力おくれて。余が見始たる頃は。山颪嶽右衛門と云大男。七尺計有しが。白山と違ひ。男振不宜。 天窓ちいさく。角力も下手の方故。さのみ賞翫せず。其頃世に鳴りしは。雷電稲妻兄弟をなべて贔負す。 婦人挙つて雷電を見に行く。雷電は大兵美男。稲妻は小兵手取なり。雷電源八は大坂に於て溢れ。 所御払にて日蔭ものに成り。年を経て後石山与右衛門と改名して。又角力へも出ぬれ共。始ほど評判なかりし。 明石侯相撲を好給ひ。其頃は西の片屋は大かた明石の抱にて。皆上手なりし。中にも片男浪蝶之介などを人賞せり。 今と違ひ。よき相撲国々より出て。誠の大角力なりし。今の幕内の者は。其時の中相撲にも劣れり。され共番附計は。今の方が人数も多く。 昔より角力大きなる様に見ゆ。前は大関関脇小結前頭合九人歟十人。幕外一番取の角力五六人なり。今は前頭と云者三十人余も有り。 総人数もあまた書立れども。末は名もなきもの。唯景気に書つらねたる而已なり。前は人数すくなき様なれ共。 末の者迄悉く人の知れる角力なり。故に抑取懸りの前角力より。一々東西の名を呼て。勝負附に書顕しけるに。 当時は始の程は神事相撲歟素人角力の如く。めつた取にて誰見る者もなし。万づ薄情軽薄。当時の風俗成けらし。 明石の角力も。皆々取おくれし頃。高松侯専ら角力を好せられ。谷風と云名にあふ関取出て。讃岐の角力各名を得たり。 谷風死して後は。西国といふ異名を耳と云。耳大なる故なり。関取大に時を得て是に捷者なし。 渠が刎に逢ては。誰々も堪兼て土俵を飛出る。誰なりした名は忘れたり。此刎を堪る稽古に。五斗俵の小口にて。 己が胸を突せて。是を堪へ課せ。さて西国と手相せしけるに。二度迄は堪へし。三度目の刎に土俵外へ刎出されたりと聞ぬ。 八角独こそ西国に勝て名を揚つれ。其余は是に敵する者なし。然るに元文の頃。仙台の角力丸山と云ふ関取。 白山以来の大男にて。尺七尺有余有り。関脇沖の石。小結七ッ森。前頭秀の山。村菅抔。一塊登り来て。西方の角力楯ヶ崎。 八角。相引。秋津島以下名有る角力を悉く挫く。此角力祇園北野にて興行大にはやり。専ら仙台の評判計なり。 中にも七ッ森折右衛門は。古今の上手にて。関取丸山を始め。其外仙台は皆是れが弟子なり。渠等が地取を見たる人の咄に。 関取丸山が終に負たる事もなきに。七ッ森と地取をする内には。十番に二番程は負たり。残り八番は七ッ森負ながら。 其手は関取無理なり。斯うする時は奈何。畢竟かさに推されて負るなりと指南するを。丸山信じて稽古せりと云り。 七ッ森はさしもの八角といふしれ者にも勝たり。人愛よき男にて。土俵入の折より。七ッ森と見物のかけ声喧し。 世人おしなべて七ッ森を賞する故に。此角力の引続に。七条新地にて花角力を興行し。七ッ森を関にして始めけるに。 見物雲霞の如し。七ッ森は角力を惜しまず。一日に十番の余も取けるに。さしてもなく者を相手に立合に。大敵に向ふごとく。 正しく取かくる故に。相手独ころびして。さまざまをかしき勝負共多かり。小敵を不侮の意。尤なる事と人皆感じ合へり。 其年の秋又北野下森にて。大角力興行有り。今度は仙台角力の内石筒と云もの。前頭の内末の者なるが。不図初日より勝始め。 段々角力を上げてとらせけるに。関の相引さしもの八角を始。出もの共八日目迄に悉く石筒に負たり。最早合すべき角力なくて。 九日目に大坂の反橋と云次なる角力出て取し。是は評判にも不及。反橋負たるべしと見物もりき身を抜て。 何心なく見て居たりしに。いかゞ取組けん。反橋が得手の反に入て。石筒大にもてあまし。久敷組合けるが。終に反倒して。 石筒負たり。案の外故。見物のどよみ夥しかりし。必斯様の角力を勝方より侮つて。負る事例し多し。是角力に不限。 戦場にて捷軍の油断。夫よりは常の事に。此油断より事を過つ事少からず。穴賢人々慎むべし。仙台の角力には。 丸山が外には利根川独こそ大男なれ。其外は皆小兵なれ共。兎角相撲が上手にて。いつの興行にも。仙台一同に。 一度も不覚の名を取らず。しかも取口奇麗なる故に。皆人一統に贔負して。角力は仙台の事なりと云り。 夫に引替へ。堺の八角は。男振も憎さげにて。人皆憎みぬれ共。全体角力に負る事なし。故に八角出ざれば忽はやらぬを知りて。 給金を高ぶり。十日に五十両取らんと云。頭取ども是を聞て。五十両と云給金古今に無しとて。ねぎりけるに。 さ有らば十日を残らず取べし。其内に負あらば。五両づゝ引れよとの相対にて出るに。いつの角力にも皆すゝみに五十両取しとかや。 仙台登りてよりこそ折々八角が負はあれ。夫迄は渠等に勝ものなしとぞ。然れ共角力の行儀あしく成しは。八角より始る。 以前は行司団扇を引と否や。直に立合ふ作法なるを。八角工夫して。団扇を引ても己が取掛あしければ。何遍も突倒されながら立合ず。 また団扇を入直して。手相をさせるに。何度にても其通なり。己が十分に取懸よき所にて。手相をする故に。 一番の角力とり懸りに。ことの外隙入れり。是に仍り外の者も悉く是を手本にして。皆其格にして取故に。 今にては。一統の風俗となれり。御前相撲抔には。決してならぬ事。見苦しき取懸なり。其後西方にては阿蘇ヶ嶽始名外ヶ浜。 東には源氏山など云関取出。また綾川と云勝角力。江戸より登りて西方を挫く。大坂の雷藤九郎が子。 小松川鶴之助。美童にて角力をよく取れり。雷電以来の評判にて。婦人挙つて見に行けり。後は親の名を嗣ぎ。 雷島之介と云。其頃京にも小松山と云贔負角力有り。賀茂の者なり。大坂には藤島。鷲尾など皆人の贔負多き角力なり。 此藤島鷲尾は北浜の米仲仕にて有しが。或時鷲尾其主たる者の気に違ひて。仲士の仲間を止られて流浪す。 藤島無二の友なる故。是を歎けどもせん方なし。其後藤島何やらん勤功有て。主人大に是を賞し。藤島を一廉取立やらんとおもひて。 何成共望事有らば申べし。何に不依。叶へ得させんと有ければ。藤島申けるは。我願一つ御座候。御聞届可被下哉と申。 主人諾して。其望は奈何と問ふ。藤島云。御存被下通り。鷲尾は我無二の友に候。然に先達て御勘気を蒙り。 今に流浪致し居候を。我見るに不忍候。哀れ此度我への御褒美に鷲尾を帰参仰付られ。元の通被召仕らば余の賜よりも私に於て本望たるべしと申。 主人益感じて。鷲尾事は素より一旦の事なれば。爾が左程の志を何かは無下に為べき。則唯今免し遣はすべし。 其方へは外に此度の賞として。家を一軒遣すべしと有けるを。藤島固辞して。外に禄を賜ては。朋友への志立不申。我へ下さるゝ賞に替りて申直し遣ねば朋友の信いたづらに成候間。 家を賜ふ事は御免下さるべしとて。是を不請。鷲尾を帰参させて我身の事の様に悦びしとなり。此沙汰有てより。弥藤島を世に贔負する事類ひなし。 同所獅子飛始名厂股も同じ類ひの者ながら。是は八角に等しく。世に憎む者なり。 角力は八角におさおさ劣らず。又其頃より少し程過ぎて。出雲より釈迦嶽と云大前髪出る。美童にして器量骨柄唯ならず。 七尺有余の童子なり。年十六七にて大関を勤め。後には無双の者ならんと沙汰せしが夭死せり。夫より後は格別の角力も出ず。 近年の稲川。千田川。小野川抔。皆以前に比しては大に劣れり。今の谷風始名許こそ。身の重さ四十七八貫目有りて。 角力も骨柄相応によく取りて当時肩を並ぶる者なし。其外はさしたる者もなく。三十年来次第に角力ちひさく成たり。

《翁草巻之百七十八》

   相撲故実并行司家の由緒
相撲は上古に始り。いにしへは御節会なども有し由。中古其事絶て。唯世人の慰許に成たり。予幼若の頃より。 壮年過る迄は。名高き者共余多有て。今の角力如きは其頃の中すまふにも及まじ。都て前巻に云如く。世の中の才器芸者相倶に衰へて。 四五十年来其人なし。然るに天明の末つかたより。上にいみじき人々出玉ひ。年号寛政に改りてより。五穀豊饒。 世風日を追て正に帰す。政の字はこたび始て年号に用らる。中華にも。宋朝にも政和の号有しより外に。 和漢例しを聞ざりしが。今天より号け給にや。寛政の文字。まさに時に当れりと云べきか。上に其人を得られぬれば。 下之に傚て。段々に才人芸者出来ぬべし。寛政二年の頃。角力取。谷風小野川と云両人の者へ。禁中の御沙汰として。 紫を賜ぬるよしにて。此両人は紫天鵝絨の褌にて出るとかや。委き訳は不聞。追て可校正。元の谷風。其外世に名高き角力取共にさへ。 かゝる例証を不聞に。今さしてもなき両人に免許有も時節とや云ん。唯一通聞ては。褌に迄ゆるし色の有にやとをかしげなれ共。 相撲の来由聞ばさも有なまし。粤に相撲行司の家となん云る有て。細川家に仕へ。采地五百石を取り。吉田善左衛門と号する由。 寛政元酉公儀より由緒御尋有之書付差上候よしにて左に写す。
相撲の起りは天照大神の御時より始り。朝廷にては垂仁天皇御宇。相撲の節会行はれ候得共。 未其作法不正。争の端のみに相成り。勝負の裁断定がたく。聖武天皇神亀年中奈良都に於て近江国志賀の清林と申者を召し御行事に被定。 之より相撲の式委敷相備り。子孫相続候処。年多く兵乱打続。節会行はれ不申。志賀家も自然と断絶仕候。
後鳥羽院文治年中。再相撲の節会可被行処。志賀家断絶の上は。御行司可相勤もの無之。 普く御尋御座候処。拙者元祖吉田豊後守家次と云者。越前国に罷在。志賀の故実伝来仕候旨。達叡聞被任五位。追風の名を賜。 朝廷御相撲の司行司の家と可被定旨。蒙勅命。此時召合せに用候木剱獅子王の御団扇を賜り。代々相撲節会の御式相勤候の処。 又候承久の兵乱発り。節会も中絶仕候。
正親町院永禄年中相撲の節会被行候節。十三代目追風罷出。如旧例相勤申候。
元亀年中二条関白晴良公より。日本相撲の作法二流なきとの御事にて。 一味清風と申。御団扇并烏帽子狩衣袴唐衣四幅袴被下置候。其後信長公秀吉公権現様御代にも。度々御相撲の式相勤申候。
十四代目追風。朝廷御相撲の式相勤申候。元和五年於紀州和歌山。東照宮御祭礼。御相撲の式依御頼。 御祭礼奉行。朝比奈総左衛門殿と。諸事申談相勤申候。依之御刀一腰拝領仕候。
十五代目追風に至り朝廷御相撲の節会も。自然と御中絶に成行申候。二条殿御家には相撲にて御懇意の筋目御座候間。 他へ出申度段奉願候処。願の通相叶申候に付。万治元年より当家へ罷出申度。
元禄年中。常憲院様。牧野備後守様へ被為成。相撲上覧の節。彼方様御家来鈴木梶左衛門と申仁。 入門の御頼有之。将軍家上覧の式。一通及相伝。品々拝領物仕候。
元祖より拙者迄都合十九代前文の通。禁裏其外の御方々様より追々拝領品々今以て持伝へ。相撲の故実に伝授仕来申候。
当時諸国の行司并力士共への免許。拙者家より代々差出来候。
 右の通御座候以上。
   十一月
吉田 善左衛門    
右書付の趣にては。此度谷風小野川へ紫免許の事も。彼家へ御引合ひも有し事にや可追考。

《翁草異本巻十五》

   ○上手名言 角力
仙臺に渦ヶ崎といふ相撲取。稍年たけておくれたり。其比。巌石といふ取出の角力。京二条河原興行に初日より勝そめて。 段々八日目までに。片屋に名有角力取に悉く勝て。今は合す相撲なし。翌日は誰ととらせん。と頭取ども評する処に。 渦が崎進み出て。明日我とらん。といふ。頭取をはじめ其外相撲の好士相撲溜りにあつて是を聞。かならず無用也。 今少し若き時ならば。勿論の事なれど。おくれの身にてかやうの取盛の角力に対するはいらざる事也。といろいろ止れどもきかず。 我いさゝか思ふところ有。是非にとるべし。といふに依て。翌の手相如此。と行司より見物へ披露す。渦が崎は日比贔屓多き角力ゆへ。 是を聞く人。おくれの身にて迚も叶ふまじきに。扨々無用成事哉。と気の毒に思ひ。または流石の上手なれば如何にや有べきと。 とりどりに評判して。翌を待兼。好士いち早く詰かけて彼勝負を待。すでに両方名乗合せて立合ふと否。 うづがさき拳を揚て。巌石がつらを礑とはる。巌石気を立て。例の得手をもつて渦を一挙に投んとする所を。ほぐれを取て見事に巌石を投たり。 其時。数千の見物われをわすれておどりあがり。手をたゝき。扇を投。是を誉る声雷のごとし。贔屓の見物扇ぎ立扇ぎ立。 いかにや。よくよく覚えあればこそ望て取し甲斐有て。比類なき勝負驚きいりぬ。我々見功者にて凡勝敗の筋をも見分れども。今日の事に於ては合点ゆかず。 其わけはいかに。と問に。渦がいはく。御不審尤に候。此ほどあれこれがとるを見るに。誰と取にも得手の一手を以てかちつゞけぬ。此一手ばかりならば。 ほぐれをとりて勝べき手段有之ところに。左ばかり今を盛の宗徒のもの共。其工夫つかざるや。ことごとく負ぬ。我ならばおくれたり共取て見べきと存れども。 取出の角力におくれ掛る時は。必取出の方より得手をださず。只一通りにとるもの也。それにては折角望みて立合ても詮なしと存じ。 比日其得手を出させる工夫をいたし居候が。昨日漸く存付ぬるゆへ。望て取候ひぬ。其工夫は別義にあらず。手合いたし候といな敵のつらをはりて候が。則手立也。 夫にて相手に気を持せ。おくれのあしらひをわすれさせ。得手を出させんの謀にて候。案のごとく其謀にのり候て。 おもひの儘に勝候ひぬ。と申せば。きく人。渦が崎が機変を感ぜしとぞ。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp