すまふ評林
《すまふ評林》
世にはふしぎなる事もあるものかな。ある夜のことなるに。宵より相撲ばなしをして。亥の刻にもなれば友人も帰りぬ。
戸垣しめて。心よくとろとろと。子の刻過にも有やらん。門をほとほととたゝく。誰なるらんとうかゞひ見れば。
二人の老翁なり。爰をあけよと仰られしほどに。かしこまつて請じ入奉る。ときに両翁仰けるは。
我々はひまなき者なるが。しばしのいとまをかりの夢。世にあるときのすきの道。咄してともになぐさまんと。
なんぢが宿をかりまくら。夢ばしさますことなかれ。汝も多年のすきなれば。この道にはうとからず。
三ッがなわにてはなすべしとなり。一人の老翁仰けるは。近年角力の行儀あしくなつて見にくし。むかしのよふにはなるまいかと仰ければ。
今一人の翁。少し年若に見へ給ふが。それはまた追て了簡もあるべき事なり。先今宵のなぐさみに。今の相撲の者ども。
三ヶの津に隠れなきを集て。格合をつけ国所をしるして見ん。汝書べしと仰られしほどに。筆を取て両翁のさし図にまかす。
先は源氏山を巻頭に書べし。勝負の事なれば。すまふの格合。将棋の駒にたとへてしかるべしとて。それぞれに指図し給ふ。
老翁仰けるは。誠に今宵のしゆこうは。うたひなどにありそふな事じやと仰ければ。若翁是は是はよい事を仰られしものかな。
かくのごとく国所格合計りにてはおもしろげもすくなし。さらばそのうたひの題号を。すまふの名乗にとりあわせ。
一句宛発句をして見ん。時刻もうつれば。なんじも出ほうだいにいふて見よと仰ありけれども。一句も得いわず。
御両翁の御口にてたちまち出来ぬ。かぞへて見れば三十六人有。よしよしなんぢ是を草紙にとぢて。この道をたのしむものに見せて。
なぐさみ草にもすべしとて。我にさづけ給ひぬ。まだはなしてきかすこともあり。かさねてまた来るべし。
さらばさらばと出給ふとおもへば。夢は覚にけり。さては今の両翁は。ゆめ人にてこそましますらめ。
されども此一巻見れば則我手なり。弥不思議におもひ。教に任せ一冊となし。新板歌仙相撲評林と名づくるものならし。
関取宗匠 巻頭飛車 | 生国羽州弘前 | 源氏山住右衛門 |
| 弓八幡神もひいきな源氏山 |
| 四天王金将 | 生国羽州秋田 | 大鳴戸淀右衛門 |
| 淡路阿波爰は名に高き大鳴渡 |
| 四天王金将 | 生国羽州秋田 | 磯碇平左衛門 |
| 桧垣船おひてを待や磯碇 |
| 四天王金将 | 生国羽州秋田 | 四車大八 |
| すわりよく重荷を引や四ッ車 |
| 成金 | 生国奥仙臺 | 宮城野丈助 |
| 見てとをる実宮城野は萩名所 |
| 成金 | 生国京都 | 小松山音右衛門 |
| 皇帝を祝ふ子の日や小松山 |
| 銀将 | 生国摂州兵庫 | 渡り山光右衛門 |
| 大灘を雷電となり渡り山 |
| 銀将 | 生国九州筑後 | 不知火光右衛門 |
| しらぬ火を海士のたく火とうたがいて |
| 銀将 | 生国羽州秋田 | 出羽崎浦之助 |
| 摂待の供養に尼も出わが崎 |
| 銀将 | 生国上総 | 浜風今右衛門 |
| 浜風になびく白旗須磨源氏 |
| 銀将 | 生国九州筑前 | 手柄山仁太夫 |
| 辨慶が安宅の智略手柄山 |
| 銀将 | 生国右同所 | 響野灘右衛門 |
| 高砂の尾上の鐘や響の灘 |
| 銀将 | 生国羽州秋田 | 時之浦巻右衛門 |
| 風景も四季にかわれば時の浦 |
| 銀将 | 生国武州八王子 | 八光山権五郎 |
| 時雨待八光山の紅葉がり |
| 桂馬 | 生国九州筑前 | 飾磨津岩右衛門 |
| しかまづに数々船の立合て |
| 桂馬 | 生国武州葛西 | 源氏滝岩右衛門 |
| 身延より落れば甲斐の源氏滝 |
| 桂馬 | 生国武州秋田 | 楯崎岡之丞 |
| 熊坂も妻戸をちよつと楯が崎 |
| 桂馬 | 生国摂州大坂 | 戦八 |
| 八島にて那須が高名小かりまた |
| 桂馬 | 生国羽州秋田 | 山姿乙右衛門 |
| 三輪の神おがむ神体山すがた |
| 桂馬 | 生国五畿内和州 | 高浪磯五郎 |
| 俊寛はたゞ高波ぞものおもひ |
| 桂馬 | 生国奥仙臺 | 八橋清太夫 |
| 八はしやあるじは花の杜若 |
| 桂馬 | 生国奥南部 | 花霞林右衛門 |
| 見渡せば吉野の山は花がすみ |
| 香車 | 生国武州河辺 | 御崎山岸五郎 |
| 星月夜鎌くら沖に見さき山 |
| 香車 | 生国羽州秋田 | 朝日山森右衛門 |
| 頼政がげにも月こそ朝日山 |
| 香車 | 生国九州筑前 | 四の海浪平 |
| 四の海なみ静なる島廻り |
| 香車 | 生国摂州尼崎 | 神楽多市 |
| 龍田姫ちはや打かけ神楽舞 |
| 香車 | 生国摂州大坂 | 若松岩之助 |
| 鉢の木は娘びぞふの若し松 |
| 金将加格 | 生国五畿内河州 | 獅子飛岸右衛門 |
| 実盛が勇気に負ぬしゝ親仁 |
| 右同格 | 生国羽州弘前 | 渦崎増右衛門 |
| 船頭の和布刈爰こそ渦ヶ崎 |
| 右同格 | 生国羽州庄内 | 根津関岡右衛門 |
| 夜もすがら碪の音で根津が関 |
| 銀将加格 | 生国九州肥後 | 大滝峰右衛門 |
| 三山より落る大滝名ぞ響く |
| 右同格 | 生国羽州庄内 | 鞍馬山鬼市 |
| こへ過て隠居天狗やくらま山 |
| 銀将加格 | 生国武州河辺 | 鈴鹿山多右衛門 |
| 田村社のお影小うたで鈴か山 |
| 右同格 | 生国上州山内 | 常盤山小平治 |
| 枝たれて老松繁るときわ山 |
| 右同格 | 生国武州入間 | 入間川五右衛門 |
| 影清き月は武さしの入間河 |
四天王随一 巻軸角行 | 生国肥前唐津 | 鰭之山浦右衛門 |
| 人毎にまつら鏡や鰭の山 |
如斯書終て。さて何やら夢人のまだはなす事のあるよし。仰られし事をおもひ出し。御床しく存おりしに。
ある夜また両翁夢に見へさせ給ひ。さいつころは。なんじが情によつて心よくなぐさみ。しうちやくせり。
ことに我々が望にまかせ。一巻につゞくる事。かたがた以てまんぞくなり。兼て言葉を残せしは。昔と今の相撲の式ことごとく相違し。
故実古法も入らぬやうになり。誠に今の有様は。古代にいましめある。彼の土ずまふなり。されども我々は至て好の道なれば。
時にしたがふ世の習と。心でそこを了簡して。なぐさみたのしみ見し事なり。去ながら古法を用ひず。
我儘に成行なば。しぜんと乱法不礼に成。貴人の用ひなきやうになれば。相撲のおとろへなり。改メずんば有べからず。
扨昔は相撲取も大名小名抱多く。浪人町のすまふはすくなき事なり。行司は木村何某とて。いかにもすまふの達人なり。
今時の様に未熟な事ではおさまらず。夫々に相撲頭目付役附添て居る事なれば。明白ならねば合点せずと仰ければ。
年若なる翁の宣ひけるは。我等は生れ付短慮なれども。常体の事には随分了簡いたさず。されども表向の事には了簡しがたし。
すまふの事には。度々刀の柄に手をかけし事有とて笑ひ給ひぬ。老翁の仰けるは。汝はしるまじ。前の木村何某は。
行司二字の重き事をよくおさめて。いさゝかも依怙を用ひず。明白に勝負を見わけし故にや。誰有て一言の是非をいふ者なし。
今時のよふに年寄ずまふの者共に。とやかくいわす事など及もなし。誠に行司の威勢。すまふの司役と見へぬ。
扨角力の取やふは。先土俵の外にて足を踏かため。土俵の内に入り。右の手を下ゲ土に突き。
名乗ぶれすんで。双方立あがり向ひ合。中段に腰をすへてかまへぬ。時に行司双方のかためを見て。勝負と声をかけ。
団扇を切るを相図に取結しなり。若はやまつて。声をかけざる内に取くんだるすまふは。何れにも勝負をつけず。
是を土ずまふといふて。本相撲にあらずといましめ有故なり。今の風は第一不礼なり。立合甚だ見ぐるしく。男道の晴業には似合ぬ事なり。
先見分も見にくし。くそたれごしにつくばつて。むかふの手首をおさへ。或は声もかけずむたいに突のめし。
またふまとふとひまをとり。尻をなであたまをかき。彼是といたす事。ひきやう未練のしわざなり。行司も又其内はけろりとして。
すまふとりくんでからゑいゑい声にてかけ廻り。勝負を見る事。むかしに引かへたる有様なり。さるによつて六ヶ敷しやうぶになれば。
行司の捌を用いず。双方我儘にあらそふゆへ。とう取世話やき取扱ひ。預りにしたり又勝負なしにして埒明仕舞ぬ。
武士の禄を喰て刀を指者の仕業とはいわれまじ。今の木村一統も。皆其子孫門弟なれば。式作法は伝記にてもしるべけれども。
其通りに行ひ司どる処の役。威おとろへたる事口おしき次第なり。しかも云ひ立には。すまふは外のきやうげんきぎよのたわむれ事とはちがひ。
武士道のたしなみ。戦場組討の利方をまなぶなどゝ。りはつに云ひ立はすれども。なんと戦場に及んで。まてのまたふのといふてすむべきや。
今のすまふは業修行にはあらで。家業にばかりいたすやうに成り。云ひ立とは相違していやしく見ゆるなり。
何とぞ我等が存生の内に。昔の様にはならずとも。見ぐるしき立合を止メにして。
立てなりとも中段にかまゑてなりとも。尋常に行司のかけ声を相図にとる。本のすまふになをさせて。我等もたのしみ。
世上の人にもよろこばせ。相撲もいやしくならず。何人の見物ありてもはづかしからぬやうに。仕方を直してやりたいと。
常々心にかゝりしが。まゝならぬ世のならひ。冥途の旅におもむくなり。汝よく聞覚へて世語りにいたすべし。
法式作法は古来より定ある事なれば。行司頭取評議して。わるひ仕うちを止メにして。
相撲の本式とり立なば。益すまふはんぢやうのもとひ成べし。我々も神と現じて。いつまでも永くすまふを守るべし。
夢々うたがふ事なかれと。あらた成ける夢の告。誠に是も国ゆたかに。治る御代の御めぐみ。げに有難き時とかや。
宝暦六丙子仲夏
作者 能 見 角 
板元 枡屋五郎右衛門
生国武州秋田…生国羽州秋田。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp