春色辰巳園
《春色辰巳園初編巻之一》第二回

偽と思ひながらも今さらにたがまことろか我はたのまん。これは仇なる男などの。深くも愛せずさすがに捨もやらぬを。 相たのみたる女の。心をよみたるなるべし。それにはあらで米八が常さへばちばちとしたる眼を。またつりあげし見脈にて。 額に青く筋はだしても。さすが利発な女ゆゑ。ウントこたへて落ついたものいひ ヲヤそうかへ。 わりいことをいつたツけの。仇さん堪忍してくんなよ。なる程婦多川の水のしみた唄妓衆はまた格別ちがつたもんだのうトにつこりわらひ。 落つきはらつて居る。仇吉はごうはらそうに どうもよくそうすまして。他をさげすんでゐられるの。 なんだか知らねへが。其おんびんのわけを聞せなゝ。ヨウ。コレサ モウおめへも余程たけだけしいのう。 いゝなは。其様おめへのやうに強情なら。証古を見せやうから。それで何とでも云なヨ トいつたばかりでだまつてゐる 此時さすが仇吉も。 女心にギツクリと。思ひまはせば。過しころ彼中裏にて米八と出合がしらの其節に。丹次郎が方へ落したる笄のことを気がつきしが。 またつくづくと考へるに。それを証古になせばとて云抜ならぬ事もなし。また丹次郎と私とはなるほど恋情サと云たところが。 しれてわるいといふは世話になつてゐる旦ばかり。是もむづかしいことはなけれど。兎角丹次郎にほれた心のよはみから。 あんまりたんと言つのりて。もしまた丹次郎にさげすまれんもはづかしと。さすが歌妓のやさしさは恋意を活業女の情。 思ひなやみて口ごもれば。また米八も心に一物。こゝで去頃拾ひ置し笄を出して。まづ一番はへこましても。 此所でばかりはおもしろからず。またこれぎりになりもせまじ。せけばせくほど恋の意地。仇吉ばかりをせいたりとて。 男のこゝろをとりきめずは。益なきことゝ気がつけば。また時節をはかりて手をきらせん。まづそれまでは捨ておき。 今までのごとくあやつりて。この後丹次郎をもよくよく談じてしゆだんもあるべしと。心意の二人の手取。 呼吸をはかる取組も。余情惚たが負になる。色の土俵のせきと関。四十八手はまだなこと。新手をもつてお客をば。 投もからみもするなれど。たがひに惚ては。素人にもおとる唄妓の実競。いづれおとらぬ仇吉米八。女房気どりの一文字に。 無理な横綱横恋慕。恋の行事の団扇さへ。かたやにどふもあげかねし。作者が筆の勝負附。 しばらくこゝにあづかれば 仇米双方ともにしばし無言。

《春色辰巳園三編巻之七》第二条

腹立まぎれに立出る。帯背をとつて仇吉が。うしろの方へ引手をば。二足三足小戻りし。払ふ手前は米八が。 さそくのはづみするどくして。よろめく仇吉爪づく米八。たがひに落す簪は。火入にあたつて二本とも。をれても折れぬりんきの角。 あらそふ風情を先刻より知つてはゐれど。その中へ仲人かねつゝ。料理やの夫婦は気をもむばかりなり。 此方の二人は今更に。はしたないとは知りながら。止りかねたる胸と胸。手と手をとらへてはてしなき。 折から障子の外よりして。此処へかけこみ二人が中へ。割て入りたる一人の女。三人顔を見合て 仇米両人延津賀さん アイ仇吉さん。 米八さん。出過る女とお思ひだろうが。マアこの喧嘩はわたしにおくれな。ハテ野暮らしいこといふではないが。 色も香もあるおふたりが。自身に花をちらすやうな。しうちはいやなことじやアないかへ。米八さんとは初手からなじみ。仇吉さんはお増さんのお宅で。 此間おちかづきになつて間もないけれど。東西ともに勝負を。つけてはすまぬ関と関。他見の関もはゞかりも捨て。 地金の喧嘩だから。いらざるお世話とおいひだろうが。元をたゞして見る時は。始終さばけて相談づくに。解てはなしをしない日には。 肝腎の男の意地。どつちへしても義理がわりいと気が付た時は。右も左りも止て。思案をしないければならないやうになろうじやアないかへ。 そうして見ると。おもひもよらねへ処へ。団扇があがることがあるまいともいはれずか。何にしても。おたがひに縁の有のを誠として。 堪忍するのが色のたのしみ。どうで恋路といふものは。邪广や他見の遠慮があつて。男も女も気をもんで。 苦労をするが身の楽み。自由になると沢山そうになつて。おのづと愛相づかしの出来るがいくらもあるならひ。 いづれにしても今日はマア。わたしにあづけてお帰りヨ。どうぞそうしておくれヨト右と左りを見かへれば。 女の性の常として。涙にじみし花紅楓。嗚呼丹次郎はあやかりものかな。

アイ仇吉さん。米八さん・米八さんとは・仇吉さんは…「さ」に半濁点。「つぁ」の音なり。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp