指面草
《指面草》
雲の上を下からは量られぬ升屋が献立
実や。いにしへも。月にはちがの塩ばまならぬ。洲崎のこなたに。増屋といふ料理屋の亭主。四季阿弥ときこへしは。
公家の子胤と間違しや。雲上の物好にして。手跡は滝本の流れを汲て。地蔵橋の門子と成り。哥は浅草の葉室女にしたが日て。
国学に眼を晒し。からもり。はこやのとじ。かぐや姫のものがたり。うつぼの類まで道をきゝ定家家隆は刺下奴にして。
僕にも連べき見識にて。糸竹のみちをも心を早
を漬る隙にも。一節切の歌口をしめし。冬瓜汁の献立に。
桃花節思。上ミ三ンの役を打れては白馬の節会をうらみ。乞巧奠のまつりは亀の台物にこじつけ。駒迎には富本春駒に姿も対のふたり連弾。
豊国豊菊の豊明に銀燭を暉して。光明寺の十夜の如く。追難の節会に費を厭ず。侍女には扇屋の新造の如く。
五衣を染たる振袖を着せ。張付は松葉屋を移して。簾に薬玉を画せ。其身は小豆大納言とも名乗べき気取り成りける。
兼て御出入屋鋪の若殿。鷹之輔殿。富賀岡八幡相撲御見物にかこつけたまひ。此比揚詰にして置給ふ。
春ふじ屋の東野を。此増屋へ呼寄給ひ。今日は終日の御遊に。仲町の羽織芸者。男芸者惣揚にて。尾多喜屋のおよふ。
猪口よしのおいさまで召れ。こちらは新造禿うち雑り。目隠しやら鬼渡やら。まことに籠の鳥を放したごとく。
水に馴たる鴛鴦のすだく風情。何かおとし咄や口合も。くちくちに言尽し。棒尽しや。萌黄の蚊帳とやらは。
朝のうち弾て仕廻ひ。最早
も尽きければ。男芸しやの伊八すゝみ出。あれに在すおいらんの。
上着を暫し仮りに着て。既に不拍子を奏ける
初会の馴染も賑に。おさまる床こそ目出度けれ。
てんてん舞を見さいな。其次の大吉は八十吉。今吉。乙きち。仲吉。八重大夫。巳助三吉股にかけ。馬追ふ歌の声ごゑに。
千蝶取るとも馬追ひいやよ。団子甚すも日の磯八も。長二善次で日を暮す。ナアヨ。喜三は照々鶴大夫曇る。
間の手元に無理がでる。ヤンヤヤンヤ。伊八が当振りに東野も笑も含ば。鷹之輔どの愈興に入給ふ折柄。
亭主四季阿弥文笥と広蓋に美しき小袖のせて持出。只今御家老馬由尾秘蔵女様よりの御使。御覧遊しませト差出せば。
鷹之輔どの不審顔にて文笥を開き見給へば。此小袖一かさね東野への贈ものとの文面。外に子細もなければ。
よふよふ落付給ひ。扨も美な小袖と。引返し見給へば。金糸にて鯉をいつぱいに縫ひたるなり。腹とをぼしき所に。
何やらん。手にあたるものを縫込たり。未審と引解きいだし給へば。一通の書也。頓にひらき見給へば。左のごとし
はて。けうな献立。是はきつい四人詰。南鐐一片だと。くちぐちに申ば。鷹之輔仰らるゝは。是は文選に見へたる鯉書の詩より出たる贈物なり。
また万物。種の間違たるものばかり集たる献立は。われ。しもさまの遊びのみ好を。諫の引言なり。はて。迷たり。
誤たりト云たいが。是程面白遊びが。どふして止られるものか。由無事で。坐がしらけた。
さわげと仰のしたに。
げい者の善二。かの鯉の小袖を引かぶり。寸度早速に釣をふなの狂言。長二はぬからず。ありあふ三絃を。仮の釣竿に肩に担て。こはづくり。
ケ様に候者は此傍に住。ゑびす屋の三郎といふ色男にて候。釣な釣な東さま釣な。かぶろ添てつろな。釣な釣なと夕烏。唖方尽して
ける
《指面草》
((小))御身の上は無左だに重きが上の銀煙管
蛇は寸にして其気を得。鳶の子鷹にならずと雖西の窪にて百万石を領し給ふ。蘆河何某どのゝ嫡子。あし川鷹之輔どのは子安観音のまふし子なりしが。
町人の子胤と間違しにや。武家のかたくろしきを嫌がらせ給ひ。馬に騎ずして猪の牙に乗り。のつきりの身の捻りに妙を得給ひ。射術とは芸者を転す事かと。
はぐらし給ひ。柔術よりは手を取る事にのみ心を尽したまひ。日々春ふじやへばかり通ひ給ひ。殊に相撲を好せ給ひ。
御抱相撲の黒鶴首右衛門。御側に羽をのし。御気に入の医者。燕の柳庵。御髭の塵に巣を喰て。そゝのかし申。
雨の降夜も風の夜も。一寸先は烏羽玉の闇は危し。日和下駄包み八町へるばかり。草におとせぬ塗り向縄。跡のはげるはしり給はで。
それがこふじて。山崎与二兵衛にはあらねど。東野うけだす相談に極り。内所のかけ合済て。手附三百両を渡し給ひしと云事。
家老馬由尾秘蔵女が耳へ入。此程の放埓といゝ。殊に言号の姫君を向給ふ御仕度の最中。傾城遊女を受出し給ひては。
某大殿へ申訳なしと。色々諫申せど。止まらせたまはねば。是非なく大殿へ申上。御居間へ押込め申ける。
黒鶴首右衛門。燕柳庵は。東野が方よりの文を御覧にいれむと窺へども。家老秘蔵女お次に堅く関すえて。
鳥のそら音もゆるさねば。鷹之輔どのは気もめいり給ひ。今まで軽く出歩行たまひし身の。急に引込められたまへば。
住馴し御居間さへ。鬼界が島なむどにさすらへのこゝちし給ひ。根引の相談も腰折して。さぞ東野が恨ならんと。
独思をのべ金の煙管呑でも煙管より。門がとをらぬ片便。寤ごゝろに成り給ふ。母君の案じおゝかたならず。
余り疎々ばかりしてゐ給ふよし聞せ給ひて。或日慰に貝でも取りたまへとて。美しき侍女に貝桶を持せてつかはされけるに。
進みたまはねど。折角の志しなればと。侍女を相手に擽を。懸にして貝をとり給ひし。不思議や。貝桶のうちより。
煙艸の煙の如くなるもの立のぼり。髣髪として。一片の雲となる。未審と見給ふうち。楼閣のかたちを顕し。
上野の山門の如く成り。五色の雲覆ひ満て。更に此世とは思はれず。流へ聞く月の都へ来りしかと。不審ははれねど。
唐門のうちへ入て見給へば。庭には金銀の砂子を蒔たる如く。時ならぬ海棠の盛り一筋の街。直こと髪の如く。
ことごとく硝子細工の如き家建並。皆青磁の簾をおろしたり。先の方はお替りといふにはあらねど。遥向ふに三十余丈に銀の櫓を建。
左りの方を見給へば。青貝剔金彫堆朱の格子作り。猩々緋の暖
に。異なる文字を縫せ。
其外瑠璃の格子。鼈甲の格子。水晶の障子。瑪瑙琥珀の張。異香四方に薫じて。所々の格子にて楽を奏す。
扨は和荘兵衛に見へたる。自由自在国よと思ひ給へど。誰咎むるものもなければ。その格子より覗き見給ふに。
珊瑚の如き毛氈の上に居並たる。天人の美しさ。あまつみそらの翠の衣。または春立霞の縫白衣黒衣を引絡たる。
天人数を三五にわかつて。ならびたるは。
きほどの結構。御門徒宗の御持仏様といふとも。
是程には無く。日光は見たまはねど。真事に結構とをもひ給ふ。何か囁く声は。やはり人間界の言葉にて。
よく聞とれければ。なを合点ゆきたまはず。こちらの方に居る細面の天人。懸硯の蓋のうへで絵半切をつぎながら。
きいておくんなんし。此物前に。山崎の払ひが三十両なくなつちやなりんせん。それに仙里さんのほうも。
白賀さんの方も。こころ当がみんなまちがひんして。ほんにしん気でおざんすよと咄す。こなたを見給へば。
夜舟漕てふ雛妓とをぼしき天人。客の楫さへとり兼て。しん気しん気といやがるは。どこか松葉屋の満汗に似たよふだと思給ひ。
此方は誰をか待風情。鼠鳴して畳算。いく度とつても合ねば。扨も辛気とじれるも有り。簾越しに。しむきしむきを沢山と雑て咄すは。
何言かいふらむ。向ふより来る天人。何所か悪いか。裙とり直す姿は。どこやらが東野が恰好に似たと。
自分もしんきがり給ふ所へ。化有な顔付にて。虚々きたるは御気に入の柳庵故。あまりの不思議さに。扨はきやつ犬神にてもつかふかと驚き給ひ。
どふして其方は爰へ来りしやと問給へば。されば。私も今に不審晴ず。今朝程。岩田屋九蔵と申道具屋へ。
払ひものゝ香炉を見せに参らんと存じ。宿を出しより。こくうに宙を行と存ぜしが。そのゝちは寤の様に成り。楓の梯を数十町登り。
又平地へ出。また烏鵲の階子を登るとおぼへ。つひに此所へ出しといゝ。つくづく鷹之輔どのゝ顔を守り。
まづ爰は何と申所でござります。来た道の注文では。銀河へでも来そうなもの。機石よりは生の物を生で得たいものだね。何にもしろ。
御前にお目に懸りしは。地獄なら仏。大江山なら柴刈男。赤蔵気なら赤九をめくつた様なもの。をゝそれそれ。
肝心の事があつた。東どのより急なお玉章。御覧にいれんと懐中を見れば。こゝへ来る道にて落したかして無き故。
これはどふだと。七つ過な紫
紗の手
で包だ帋入を出して。はたいて見ても。
有ものは医療手引草と。軟挺をはがした跡の有糊入の紙ばかり。外には眼鏡と売地面の書付が有るのみ。
こいつはしまふたと。裸になつて。揮て見てもなければ。鷹之輔どのちからを落し給ひ。扨々此間から。
かれが文をまち兼て居たに。しん気な事をしたと思ひたまひしも玉楼金閣とみえしも。母君より貝桶を贈しも。
皆一炊の夢にて。扨は此程辛気を労すゆへ。かゝる夢をもみつらん。史記に所謂蜃気楼ならで。此夢は辛気労ならんト思召ける。
御附の衆中は御病気でも出てはと。何がな御慰にも成る事を存付。松江細鱗を召て席書を御覧に入ける。
此松江といふは。元鍛冶の忰なりしが。能書の子胤と間違ひ。今は江戸一の書家となれり。又其比艾屋忰浄瑠璃語りの子胤とまちがひ。
春本梅大夫といつしが。今は通町と改名して。名人のきこえあれば。是も召れ。又革抉師の忰に誹優人の子胤間違ひたるが。
弓町土弓といゝしが。つひに誹優人となり。斧柄勝之丞とあらため。久しぶりにて江戸へ来りしを。召よせられ。
座敷狂言をさせて御覧にいれけれども。一向に進みたまはず。兎角に言号の姫君を嫌ひたまひ。たゞ明暮東野がことのみ思ひつゞけ。
無計もかく押込められしことも知らせたく思召。兎角浮々したまはねば。家老をはじめ。御附の衆。近々奥方を迎え給ふ時節に。
御びやう気にてもいでゝはと。安心せざるも尤なり
物語・小説に戻る
坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp