摂陽奇観
《摂陽奇観巻之三》

   ○難波の希有
(中略)
    二 篇
一鼻毛抜て居ル力士   天王寺金堂屋根西の中 (中略)
    六 篇
(中略)
一土俵のうへニ猿の角力取ル瓦 中橋北西かは備後町門の際

《摂陽奇観巻之三》

   ○新希有
(中略)
一犬と猿とのすまふノ暖簾 松屋町農人橋少シ南小間物屋

《摂陽奇観巻之五》南水雑志巻之一

   ○小野屋膏薬
道頓堀中橋北詰北へ入西かは三軒目に小野屋膏薬とて正徳享保の頃浪花市中へかうやくを売歩行諸人専らもてはやせし老人あり名は作兵衛といふ
院本昔米万石通上の巻ニ
 小野屋かうやく呼れて頃も六十余りねばりつよなる堅親仁箱ふりかたげ立よれば 中略
小野屋かうやくめんやうなかうやく此膏薬の奇妙にはなんでもかでも一ト付てすつへり直ると思はんせ取わけねぶとやはれ物や打疵ようてうやけんべきひゞやあかぎれ松の木のはだへのやうに幾つも切れても小野屋かうやくを小よりのやうに細めてちよぎやちよんとこそぐれは児や女郎や十六七の娘御のはだへのやうにすべりつくめんよふな膏薬
箇様にいひて売歩行しよし又此親仁を放駒長吉の実父とし大宝寺町の搗米屋丸屋仁右衛門方へ養子ニ遣はす仕組あり此万石通は双蝶々曲輪日記の原本なり中の巻米屋の段に
 大宝寺町に住居して営む業は搗米屋丸屋仁右衛門と人にもしられ年は六十三年米妻は子種の不作ゆへ二人リのこ米やしなふて末の飯米拵も兄の長吉外を家妹のお長十三の年より智恵のひね米や 云々
院本双蝶々曲輪日記は享保中難波うらにて服部惣左衛門といふ侍を殺し城州八幡に隠れ潜みし荒石長五郎といふ角力取の事実と摂陽年鑑享保年間の条にぬれ髪の話委シ寛保中の放駒の事を昔米万石通の長吉にとりなし彼是合して作文せし大当りの趣向は世俗よく知れり放駒の事実は武摂双蝶秘録に見えたり
       武州江戸金杉八丁目布袋屋文右衛門借家
                        傘 屋 与 兵 衛 忰
                             放 駒 四 郎 兵 衛

 一 中脊太肉髭青く色白く眉ニ入墨あり
 一 萠黄繻子の小袖 浅黄絹の下着 浅黄天鵞絨の羽折を着シ朱鞘の脇差を帯し候もの年の頃は三十余歳
右四郎兵衛義天下御法度の幻術を以て多くの金銀を奪ひ其上人を殺害シ立退候間見付次第訴出可申万一隠し置後日露顕するに於ては本人同罪たるへき者也
     寛保二年正月十五日
放駒は力量強く飽まで肝曲の者ニて若年より親の家業を嫌ひ昼夜博奕大酒淫乱に長じ生得角力を好みて其名三都に知らるゝ終に盗賊と成て旧悪多く武州上山下御門内堀田相模守殿屋敷へ忍び入て召捕るゝ寛保三年七月下旬鈴ヶ森にて刑せらるゝ年三十六歳
     名乗上よ東の方や放駒西のみだどのサアござれ取ろ

摂陽年鑑享保年間…下記巻之二十五ノ下のことなり。
肝曲…奸曲。


《摂陽奇観巻之七》南水雑志巻之三

   ○大相撲場

原本表題のみ記事なし。

《摂陽奇観巻之二十一》元禄五年 

《摂陽奇観巻之二十五ノ下》享保年間

一 関取 濡紙長五郎の話
武摂双蝶秘録ニ云
上州沼田城主土岐丹後守殿享保中大坂御城代也江戸家来岩村長右衛門といふもの故あつて浪人して城州八幡に蟄居し都倉与惣兵衛と改名して手跡の指南を業とす其子長五郎生得角力を好ミ同所荒石斧右衛門といふ角力取の養子と相成り荒石長五郎と名乗りけり八幡の荒石斧右衛門ハ其頃角力仲間の親仁分のよし此長五郎ハ若気の血気に喧嘩口論を好ミ平常に紙を水にて浸し頭を手拭にて捲く尤これ用意の宜き也濡たる紙は刃物とても通る事なし異国にては紙具足とて水にて数枚の紙を身に張りけるよし此利を以て長五郎も常に濡紙を額にあつる故に荒石といふ名乗はあれ共諸人ぬれかミぬれかミとぞ呼ふける濡髪にあらずぬれ紙也土岐丹後守殿大坂御城代の節濡紙長五郎難波裏にて服部惣左衛門ろいへる侍と喧嘩をなしつゐに右惣左衛門を殺して親里八幡に身を潜ミけれども天網遁れがたく入牢に及ぶこれ享保中の事也しを寛延二年巳七月竹本座のあやつりにて双蝶々曲輪日記といふ戯文に取組たり
放駒長吉の伝は南水雑志一之巻島之内小野屋かうやくの条ニ著す
相撲大全ニ摂津国出産名高き関取の部に濡髪といふ名乗も見えたれともこれハ別人也長五郎角力の名乗は荒石といへり

《摂陽奇観巻之二十五ノ下》享保年間

一 享保中 新町相撲 年不知
    九月廿六日より十日ヶ間
         相撲名代   村山藤九郎  今出川団十郎  石山善兵衛  霧浪平十郎

《摂陽奇観巻之二十六》元文三年 

《摂陽奇観巻之二十八》延享三年 

《摂陽奇観巻之三十》宝暦元年  

《摂陽奇観巻之三十》宝暦八年 

《摂陽奇観巻之三十二》明和元年 

《摂陽奇観巻之三十三》明和六年 

《摂陽奇観巻之三十四》安永元年 

《摂陽奇観巻之三十四》安永三年  

《摂陽奇観巻之三十四》安永四年 

《摂陽奇観巻之三十四》安永五年 

《摂陽奇観巻之三十五》安永九年 

《摂陽奇観巻之三十六ノ七》天明元年 

《摂陽奇観巻之三十六ノ七》天明二年 

《摂陽奇観巻之三十六ノ七》天明四年 

《摂陽奇観巻之四十》寛政元年 

《摂陽奇観巻之四十》寛政二年  

《摂陽奇観巻之四十一》寛政四年  

《摂陽奇観巻之四十一》寛政六年

勧進元 若狭山 庄兵衛
  東 方
大関仙臺谷風 梶之助
関脇雲州雷電 為右衛門
小結南部錦木 塚右衛門
前頭雲州千田川 吉五郎
前頭鳴滝 文太夫
前頭稲妻 咲右衛門
前頭庄内常山改花頂山 五郎吉
前頭仙臺達ヶ関 森右衛門
(以下略)

勧進元 若狭山 庄兵衛
  西 方
大関久留米小野川 喜三郎
関脇大坂陣幕 島之助
小結肥後磐石 荒五郎
前頭阿州勢見山 兵右衛門
前頭薩州千歳川 庄太夫
前頭丸亀楯ヶ崎 四郎右衛門
前頭阿州和田原 甚四郎
前頭勢州伊勢浜 荻右衛門
(以下略)

原番附貼附のみ。

《摂陽奇観巻之四十二》寛政七年   

《摂陽奇観巻之四十二》寛政十年 

《摂陽奇観巻之四十四》文化六年  

《摂陽奇観巻之四十四》文化七年 

《摂陽奇観巻之四十六》文政元年 

《摂陽奇観巻之四十六》文政二年 

《摂陽奇観巻之四十六》文政三年

一 同月 穢多の大男
伊予今治の穢多難波村へ療治ニ来る大男にてこれを見んと群集ス   磯 山 磯 次
                                   当 辰  廿 七 歳
                                 目方 廿九貫目
                                角力ニて名乗磯の山といふ
其節の落咄ニ高麗はし正月堂の先生は大字を書ことを好ミて其名高し然れども此大男を見てあんな大きいまの字は珍らしいと申された

《摂陽奇観巻之四十六》文政三年 

《摂陽奇観巻之四十七》文政四年  

《摂陽奇観巻之四十八》文政五年    

《摂陽奇観巻之四十九》文政六年  

《摂陽奇観巻之四十九》文政七年   

《摂陽奇観巻之五十》文政八年   

《摂陽奇観巻之五十一》文政九年

一 難波新地野側ニ而例年之小屋場見世物色々此節興行
人形 細工物 細工人柳弥助 表かんばん草刈山路
同 細工尽し 細工人柳文三 表かんばん庭先ニ而
鶏合之娘小児人形
外題横綱強者競 相撲取の大人形評判よろしく候
同 細工尽 細工人大江 娘人形之看板南畑前ニ而
 長サ四間半和州より生取候由看板出候へ共興行無之
江戸力持男
 去酉年流行致シ評判有之候石持土橋久太郎一座金比羅へ参詣致候帰路ニ御暇乞致度旨ニ而興行有之候へ共格別ニ不入
尾州材木力持興行不評

横綱強者競…振り仮名「しめかざりちからくらべ」。

《摂陽奇観巻之五十一》文政九年 

《摂陽奇観巻之五十二》文政十年 

《摂陽奇観巻之五十三》文政十一年 

《摂陽奇観巻之五十四》文政十二年 

《摂陽奇観巻之五十五ノ下》文政十三年  

《摂陽奇観巻之五十六》天保二年   

《摂陽奇観巻之五十七》天保三年 

《摂陽奇観巻之五十七》天保四年 
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp