松翁道話
《松翁道話四篇巻之上》
大道で乞食の喧嘩。たがひに打つたゝいつする拍子に。面桶を打落し。飯がこぼれた。其際に居た犬が尾をふつて。御辞儀なしにしてやつてゐる。
乞食はやつぱりつかみ合ひ。喧嘩して居る。互に飯から起つた喧嘩ぢやけれど。犬めが飯を喰つて仕舞うてもかまはずあらそうてゐる。何のけんくわぢや訳がしれぬ。
皆名に迷ひ。形にまよふゆゑぢや。人に誉められたい誉められたいと思うて精出して。人に笑はれたり。誹られたりしてゐるのぢや。
皆犬に喰はれて仕舞うた。辛度の仕損ぢや。悪人と聞いて腹立てるは。悪人といふ声に耳のはえたこと知らずに。
こつちが悪人になつて見せる。どうでも。腹の中に悪人持合はしてゐる故。書出しの来た様なものぢや。覚がある故払はにやならぬ。
覚がなけりや。どの様にいうても払やせぬ。外を御ぎんみなされませ。なんともないわい。秤の無だめぢや。我なしが正直の体。
五匁は五匁と知り。三匁は三匁と知る。はかりはいつでも我なしの無だめ。親なれば親のやう。主人なれば主人のやう。夫なればおつと。
女房は女房。我子は我子。盗人は盗人。正直ものは正直もの。親の死んだ時の心持。他人の死んだ時の心持。恥かいた時の心持。
茶碗割つたくらゐの心持。重い軽いは此方の智恵才覚いらず。其程々にようわかつてある。如何なるか是仏。
麻三斤。三斤は三斤。四斤は四斤。山は是山。水は是水。桜は桜。梅は梅。柳はみどりに。花はくれなゐ。
人に問ふに及ばぬ事ぢや。則ち今日が我業の秤。分別の掛目いかほどあるや。憎いと知り。かはいと知る。
心に思ふ程の掛目。我なしの無だめさへくるはにや。長崎へ行ても江戸へ行ても通用する。とかく手細工の秤は間に合はぬ。
丁どあると思うても。缺替をいうて来る。コリヤさんじませぬ。此方の秤にくるひがあると。何べんも何べんも尻が来る。
天地の間に通用が出来ぬ。それを知りつゝ。よいもの着てひけらかしたり。無いもせぬ金を有る様な顔して。贅の八百云うたりしてゐるは。
皆不足銭や缺払うてゐるのぢや。尻が来にやならぬ筈ぢや。
さる所の女中が礼に御出なさるに。一日五匁で衣裳を損料がりして御出なされた。其後礼に御出なさつた先から。先日の御小袖のもやう甚だ見事なもので御ざります。
娘が小袖に染めさしたう存じます。どうぞ四五日御かしなされて下さりませというて来た。サア難儀ぢや、どうも仕様がない。
皆虚言ついた報いぢや。けれども。どうやらかうやら。また損料でかり出して遣つた。先もゆうちような。四五日しても戻さぬ。催促にや遣られず。
一日が五匁づゝぢや。気がたまるものぢやない。大方十五日程してから戻した。損料ばかりが七十五匁。其上に心遣ひして。損ばつかりしてゐるのぢや。
歩の出る銀かりて。金持のやうな顔して暮すと同じやうなもので。身のいたみになることしらぬ。先づ今日が損料暮し。
第一此身がかりもの。其損料ものでおごつたり。贅いうたり。我儘するゆゑ。仕舞ひは皆我がかぶりとなる。六根ひとつひとつ吟味に逢ふと。かりものとやとひ人とのいひわけして。
引残りて咎ばつかりが。おれがのぢやおれがのぢやいうて居る。借銭してでもよいもの着て。世間をなかしにあるく。はだかになつても我が立てたいとは。一家親類と相撲取るのぢや。
どこぞでは怪我のもとゐと知るならば相撲取らぬが勝ちでこそあれ
七ッ森織右衛門といふ角力取の所へ。弟子にして下されと頼む人があつたれば。其方には親が有るか。ハイござります。親があるなら角力とりはせぬがよいというたことがある。
それに親持つて。商売かゝへて角力取りあるくといふことがあるものか。身上くらべ。衣裳くらべ。奢りくらべ。自慢くらべ。ひけらかし。まけをしみ。
或は聟とり嫁とりの目出たいつゞき。是も斯うしては置かれぬ。あれもあれでは済まぬといふと。どこからもかしこからも御目出たい御目出たいというて。
めつたむしやうに突飛ばす。どつこい。こゝらが一生懸命の所ぢやと。こたへてはねかへす。其拍子に思はず知らず気がたかぶり。商売の勝手もかまはず。普請の物好。
一家親類互に負けまいと。進物贈答気を張合ひ。御振舞の料理の献立には。互に胆をつぶし合ひ。後には家のつぶれる事もかまはず。衣裳くらべ。道具くらべ。
相撲が段々はずんで来る。さうなると一家中のいとなしい親父分の衆までが。飛入りに出るやうになつて。惣々がはだかになり。我一に取らう取らうとする。
とうどう大相撲になる。どこぞでは怪我のもとゐぢや。相撲はとらぬが勝ちでこそあれ。身代ありだけ商売仕にせて。花に下さる親御様をほつて置いて。
よそへ相撲取りあるくといふやうな。たわいもない事があるものか。なんぼう負けををしんでも。恥はよそでかいてゐる。相撲取の勝つた咄ばつかり。
鼻の先の女房子へは。いつでも勝つたはなし。我が負けたのは勝つた人が世間でいうてゐる。コリヤ相撲取の事ぢやないぞえ。銘々共の直打のないはなしぢや。
此の扇の損じたの。代銀拾匁。だれも買人がない。代ものに直打がないと。世界中が合点せぬ。扇もいやがつてゐる。それを拾匁に売る積りぢやけれど。
買人がない。身の分限を知らねばならぬ。傘も日笠も時を知らねばならぬ。雨が降れば日笠が泣く。日和なれば傘が歎く。堪能するすべをしらぬゆゑぢや。
身代が悪うなるほど気が高ぶりて。兎角珍らしいものが持つてみたい。方々で身上つぶして来た道具聚めて。掘出しぢや掘出しぢやというて悦ぶ内に。
終には我身上掘込んで仕舞うたら。あがる事がならぬ。こはいものぢや。水は方円の器物に随ふ。友達は吟味せにやならぬ。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp