蕉斎筆記
《蕉斎筆記四》
一。徳山の連歌の宗匠飯田
之助範正と同道して。厳島へ遊び船中色々咄しけるに。
豊後豊前辺にてはカハ太郎江戸にてはカツパと云。俗に猿猴といへり。多くして。
川々に栖来れり。畠などへ揚り作物の妨げをし。茄子きうりさゝげ其外の作物にあたり。百姓にも難儀する事有。
是を祭るとて一ヶ村づつ相撲の興行をし。又笠著連歌をするなり。相撲と連歌を好みけるもをかし。
又宗匠も有て。範正など心易くせし忠内吉広といふあり。広く仮屋を建て執筆抔居直り。夜中蝋燭を燃し百韻を始けるに。
仮屋の下より諸人色々の附句おかしき事共多く。とかく声の高きもの程附句とめけると也。今夜は何村翌日はどこ村などと。
打続きに興行する也。豊の前後には百姓の小めろに至るまで。連歌の真似をし。夜仕業又は畠の昼休みにも。
互に附合をするよし。一統はやりけるとなり。又カハ太郎牛馬を取事多し。カハ太郎に見入られたるは。
ふくれ腫て死けるとかや。子供なども水中に引込事有。誠に尻の穴より臓腑を抜けるとかや。昔吉広カハ太郎と相撲を取たる事有。
夜中ながら六尺余りの脊に成。吉広と取けるが。骸内ぬめぬめとして至て気味わるきもの也。負てやりければ甚悦び。
水中へ飛入ぬ。又人間勝ぬれば大に腹を立て。色々の返報しけると也。漁人の網の中に入ぬれば。
至て難儀しぬ。後々迄家に祟をなさず。守護いたすべしと。得斗申含めて放しけるよし。形ち小き猿のごとし。
手の長きものにもあらず。一疋にても殺しぬれば。数千疋集り段々と災をする故。諸人おそれけり。
また川端成村には申合せ。先の尖りたる棒を持て。何村には何町が間と間数を定め置。その棒にて百姓共打寄。
菅原菩提々々々々とはやしたて。千本突をするとかや。不思議なる事にて。夫にて今年はあれぬといふ事也。
いか成故実や不知。ものをいふ事ならされども。人間の言語はよく通ずる事妙なりと也。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp