そゞろ物語
《そゞろ物語》

   ○よし原に傾城町立る事
見しは今。江戸繁昌ゆへ。日本国の人あつまり家づくりなすによつて。三里四方は野も山も家を作り。 寸土のあきまなし。然るに東南の海ぎはによし原あり。色ごのみする京田舎の者ども。此よし原を見立けいせい町をたてんと。 よしのかりあと爰やかしこに家作りたりしは。たゞかにの身の其程に穴をほり。すみ居たるがごとし。古歌に。
    あし原のかり田のおもにはらひちりていなつかきにや世を渡るらん
とおもひ出しに。冬は風荒て。
    よこはしるあしべのかにの雪ふればあな寒げにやいそぎかくるゝ
とよみしも。此けいせい町にこそあれとわらひたりしが。日をゝひ月をかさねるにしたがつて。此町繁昌する故。 草のかりやを破り。にしよりひがし。北より南へ町わりをなす。先本町と号し。京町。江戸町。ふしみ町。 堺町。大坂町。墨町。新町などと名付。家居びゝしく軒をならべ。板ぶきに作りたり。扨又本町を中にこめて。其めぐりにあげや町と号し。 幾筋とも数しらず。よこ町をわり。のうかぶきのぶたいを立をき。毎日ぶがくをなして是を見せける。 此外勧進舞。蛛舞。獅子舞。すまふ。じやうるり。色々さまざまのあそびしてぞ興じける。此等の見物をかごとになし。僧俗老若貴賤。 此町に来り群集す。ちからをもいれずして。諸人のこゝろをまどはせる。おそろしくけいせいのはかりごと思の外なり。 むかしいこくのことなるに。幽王をかたぶけ奉らんとて。狐美女にへんじてきさきとなり。放火を見てわらひ。もゝのこびをなしければ。 御門うれしきことにおぼしめし。それゆへにゆうわう終にほろび果玉ひぬ。かの女尾三ある狐となつて。 こうこうと鳴てふるき塚に入たり。狐人をとらかすには。かならず美人と成てがんしよくよく。かしらは雲のびんづらとへんじ。 おもてはいつくしきよそほひとなり。みどりのまゆ花のかほばえをうなだれ。こつぜんに一度わらへば千万のわざありとかや。 女の陰なり狐におなじ。いづれも夜をこのむ。かるがゆへに古歌におほくよみそへて。古狐。老狐。ひるぎつね。わか狐などゝ見えたり。
    ふるづかのきつねのかはく色よりも人の心のむくつけきかな
    人もみなあなしらじらし老狐いとしもひるのまじらひなせそ
とよめり。まことに江戸よし原のひる狐には天地もうごき。目に見えぬ鬼神も来現ありつべしといへば。 有識の人申されけるは。それ人は見るにまよふならひ。いかにいはんや。江戸よし原のわか狐にまよはぬ人あるべからず。 されば出家は仏のかたちをまなび玉へば。誠に殊勝有がたくおもひ侍る。其上一子出家すれば。九族天に生ずととかれたり。 又人有て七宝のたうばをたてんこと。高さ三十三天に至るといふ共。一日の出家のくどくには。をよびがたしといへり。 されども心は俗出おなじかるべし。色欲にまよふ凡夫なれば。出家は里を遠くはなれ。山居閑居が本意なるべし。仏法我朝にはんじやうすることは。 第三十二代のみかど用明天皇の御宇なり。此帝三宝を信敬し玉ふこと。言葉にのべつくしがたし。常の御詠吟に。 智者は秋の鹿鳴て山に入。愚人は夏のむしとんで火にやくとのべ玉ひけるこそありがたけれ。ぼんのうは家の犬。 うて共門をさらず。ぼだいは山のかせぎ。まねけ共来らずといへり。仏鹿と成て衆生をりやくし玉ふことあり。是により鹿野苑と名付たり。 出家は郷里をさり山里にかきこもりて。仏につかうまつりてこそ。つれづれもなく。心のにごりもきよまる心ち有べけれ。 戒行もうけ内証もあきらかならずしては。所得のせもつ罪業にあらずといふことなし。南山の道宣律師は。十方世界。女人有所に即地獄有といへり。 阿含経に。一たび女人を見れば。ながく三途の業をむすぶ。いかにいはんや一度犯しぬれば。無間地獄に堕すとゝかれたり。 然に末代の人は性なく欲ふかく。徳うすく智あさくして。先賢のをしへ古聖のいましめにかなふべき共見えず。 今生の名利名聞を明暮心とせり。かしらをそりても心をそらず。されば歌に。
    すみぞめに心のうちはそらずして世わたり衣きぬ人ぞなき
と歌人もよみしぞかし。三毒五欲をほしいまゝにして。かつて生死はなれがたし。東坡が詩に。桑下あに三宿のしたひなからんやと作れり。 沙門をば出家と名付上は此二字にはぢざらめや。出家をくはしくいはゞ。三界の火宅を出るをいふと也。出家は王者をけいせず。 父母をも拝せずと。恵遠法師はの給ひし。経にも恩を捨て無為に入。是しんじつの報恩者ととけり。しつた太子はだんどくせんに入。 かせうそんじやは。けいそくざんに入給ひぬ。仏法の大意は生死流転をたち。ぼだいのめうぐはをこすべしといへり。 遁世は出家の行儀なり。扨又身は家に有て。心家を出るといふは。かたちはちりにまじはりて。心ざし道をしたふ。 是まことの道人。古往にもまれなり。まして末代に至てをや。見ること聞ことにまよふ人界なれば。世をのがれ仏道をもとむるが本意なるべし。 法花経五の巻に。入里乞食将一比丘とゝかれたり。此文をふかくわきまふべきこと也といへり。愚老聞て。実殊勝なる物語。出家の事はさてをきぬ。 かしらに雪をいたゞく身も。此うかれめを見ては。思ひの外なる心出来る。此道りつぎの外といひならはせり。 いはんやわかき人だちに。彼遊女を見することは。盗人にかぎ預け。猫のつなをはなちて。生魚を見するにことならずや。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp