酔桃庵雑筆
《酔桃庵雑筆下巻》目利講

角力とりのむかしにおとりたるといふは実にさもあるべし。其説を聞くに。昔しの誰々が大関なりし時。 土俵の真中につゝ立たるは立木のごとく。たれがをしたりとも少しも動かず。かゝる関取今ハなしといふ。これハせい高く肉太く力つよきによりて。 かくしても其せい肉力なき人は勝こと能はざればなり。中古小兵なる名人出て大関を取てより。手早なる人十分の利方を得て。 目に余る大人を負す方を得たれば。その法世に行はれてより。大関といへども。昔しの如く相手にするに任せて不都合なることあれバ大損なれバ。 むかしの如くはせず。手早を勝とする習はしとハなりにけり。これをむかしにおとりたるといふは非なり。人の大小昔しにおとりたるのミ。 勝負に相違ハあらじ。又いはく。かゝる手早を尊ぶよふになりたるが。昔しにおとりたる所といふ。これも非なり。世間ミな昔しの如く下手にて。 力計りを用ゆるらバ。誰も今の風にはなり行まじ。昔風にては番毎に負るによりてなり。これは太平記あたりし。軍前に出て一人づゝ名のり合て戦ふこそ軍なれ。 後世の鉄砲にて打殺すハ趣なしといふと同じ。兎かく時世を知らぬ人の説かくのごとし。

あたりし…あたりの。
記録・随筆・紀行に戻る

坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp