太平楽記文
《太平楽記文》

前漢東方朔字曼倩平原厭次人武帝挙方正賢良文学材力之士待以不次之位四方之士上書言得失自衒鬻者以千数朔上書曰臣少失父母長養兄嫂年十二学書三冬文史足用十五学撃剣十六学詩書誦二十二万言十九学孫呉兵法戦陣之具鉦鼓之教亦誦二十二万言又常服子路之言年二十二長九尺三寸目若懸珠歯若編貝勇若孟賁捷若慶忌廉若鮑叔信若尾生若此可以為天子大臣矣朔文辞不遜高自称誉
東方朔は小でつちのころより兄嫁の居候となれと何でも角でもすいた所はない男としまんたらだら天子につかへわが儘に身をたもつ事これ太平楽のはじめならずや楚人は沐猴にしてゑいくわんすと漢の高祖があくらいは毛さる松とのことなるへし一ふしや竹取物語に大伴の大納言の詞にかくや姫てふ大盗人のやつか人をころさんとするなりけりとなんありものゝふにいたりてもかゝるためしかぞふるとも筆におよばし片かはせう負の長か半源平の戦ひに平家の侍大将ゑつ中の二郎兵衛盛つぐふなやくらにつゝ立上りこん日よせ手の大将いま一度承はらんと罵りける時に源氏の方より伊勢の三郎義もり遠からん者は音にもきけ清和天皇十代のこふいん左馬の頭よしともの八男けんぴいし五位の尉源の義経なりと聞もあへず扨は平治の乱の折から野間の内海において長田にうたれおふちにくびをさらされたる義朝がわすれかたみ九条の院のそうし常磐がはらに出生なしたる牛若といひし小冠者なるがくら馬山に登つて児となりしかこがねあき人の従者となり奥州へ下りしと聞たるが大将とはおこかましやとはらあしくものゝしりける義もりこらへずこは非礼なる過言かけまくもかたじけなくも舌の根のかわかぬまゝにかくな申そ左いふおのれは北国となみのたゝかいに打負からき命をのがれんとこつじきして都へ登りし越中の二郎ならんといひければ盛次いふ様平家より所領を賜われば乞食したる覚へなしさいふおのれこそ伊勢の国すゞかの関においてねん貢せうせい追おとし山賊夜盗の張本ときゝおよぶとたがいにあらそふ八しまの言葉たゝかい是すへの代に乞食野郎盗人やろふといふ始め成へし今四ツの海しつかなる御代にいたりては喧嘩口論のうれいなく短気りつぷくのやからをばやほといひ又ふつうとせうす大言じまんに五割の利足もいでずあくたいはあくたいにてかへせばはやりうたしらぬものゝ夜道ゆく連となんぬ禿をしかるやり手は黄泉におもむかぬと餓鬼ども餓鬼どもといつてわれもがきの穢坐につらなり大道の馬士は片手にれいこくをもつてひよぐりながら馬をべらぼうやろうとしかる是馬鹿といふ文字にゑんあらんか乞食をこじきといへばこじき大きにはらをたてども小やろふのあくたいにはつつけやろふといへははつつけがものをいふものかといわれ相手もこまつてまたこく門やろうとのゝしるおれがこくもんならうぬも極門だと手間ひまいらぬへんとうごくもんごくもんのあらそいはかんにんすれとも一文たりぬ百の銭そのあらそいは君子も甚やかましし行ちがひの船はとりかぢおもかぢのまちがひよりこわたかにのゝしりすは事こそと見れば川上川下へこぎ行ながらまちやがれまちやがれとわかれゆくはあやまちなき支たくなるへし此ごろ狂歌さかんにはやりひねもす夜明しとりがなくあづまのかたに三十一文字ねぎも出家もやしきも町もつどひあつまればしちやになくうぐひすちやのあわせをきて根津をそゝりてかへるわれわれまていつれもたわれ歌よみ侍る今はた宝合となづけ太へいにたのしまんと家多録は竹杖為軽よりおやはもとの木網店かしらは四方赤良朱楽漢江しりもちは鹿津部真顔加保茶元成不佞に狂文のこのめどもちゑは一せういりのふくべもおとやかましくうつちやつて手で水のみのてうなこんすみかねも銭金におわれあくたいはお江戸の花太平らくの巻物と題して考へれと唐人の太平楽は切落へおちす通人のたいへいは洒落本にくわしおどけはらつてまたはらつて高天が原のびんほう神かつたいせうりやう死人やろうのあくたい古物なれども見たをしも直に踏ずしかありとてやみなんもほいなくおさきまつくらこけおどしにはりこまんと趣向はなにわの男達ではなけれと橋づめまて出て見れは廿四五な若ひ者がかみゆひ床へはいりながら 親方まだこむか一ツか二ツならまつていべいどなたもごめんなさいアヽ此あついにみつでもんでもよかろふにごふてきに湯をわかすの一ぷく呑べいコレせんどの湯やのけんくわはすんだかあれもおれかいるとむつかしいよアヽ アノ角力の札はこつちてあづかつてかけるか毎日大きな世話なもんだのそのかわり一日ふつかはたゞ見せるたらふすまふもおもしろいやつよ一にち見るとまいにち見たくなるはおいらもちつともむとずいぶんまくの内ぐらいにはなられると額殿がすゝめたけれとめんどうだからよしにしたよこねをやまねまではてへげへなやつらはぶつぽうりだしたわなちつとづゝやつつけておくとばかにしゑゝねへのふそふじやねへかへすまふへも顔をたさゞなるまいコレとゝを此ごろは女郎かいよやすくはねへよし原おとゝいかんのんさまからかへりに八と源とおれと三人でとまりにいつたアナずつとそゝつてあるいたらいゝたまかあるから買ふとおもつたら八やろふがこゝはよしてくれろおれがもちつきにきた内だといつてとほふもねへちんころのくそによつたよふにほうほうをまごついてやうやうふしみ町の下へ来たらあのやろふか格子へくつついていのきゑゝねへはなこれこゝへあがろふ二人ながら見たてろといふからとほうもないこけが五百らかんでおやをたづねるよふに見たてゝあがつたら酒がづふくらわれねへ二百のさけを壱升わかいものにかいよせてのからびんぞろから茶わんでかつくらつたモシちつとのみねへと女郎へさしてそばへよつてを見たらきかつせへいゝちく生じやねへかこまかなのちんきんぼりをみるよふなあばたにそばかすだらけどふこふあんのはきだめを見るよふなつらだ夫でもいゝかとおもつてこわらしいこんな大きなものでとつんとしやかつたおれもくつとはらがたつたからこわらしいこわらしいといふ風でもねへよし原にいるから女郎たとおもふがかやわらにいるとおふかめのかへ物たと思ふ大きな口だこわらしいといふ茶わんよりかぶとばちて大ふくをのむふうだそしてまとんだ所へまみへをつけているのコレおめへのひたいへきわずみやまこもずみより神田川の常ざらいのつちでうめると床見世を十間斗は願われるはなしのよふなきいてあきれる見てびつくりするとからすとふくぶつくらわしたらきのどくかつて八やろふがコレおのしは場ぎやふをしらねへもんだあの衆もくがいだそんなにおろす事はないといふからなんだくがいだこやすがいが聞てあきれるわいぶうぶう貝かあさり貝あわび貝かおきやがれあか子のばゝをさらいは仕まいしときよくつてやつたらイヤサおのしでもねへと云もんだかんにんしやれな男といふものはかんにんが第一だ越後のけんしんは千人のまたをくゞつたと云はおのしはしるまいとおれをはじしめたあのやろうは夜こふ訳をきくからとほふもないものしりたはなてよく何かをしつてるこつちやないそふすると八か買てる女かいふにやかんにんしなんし八さんはおとなしいがぬしはばからしいといやかつたなんたぬしやはからしい稲荷橋のかつぱがいかさまにかゝりはしまいしなんぼ八を大事にしても九は大引へふみさげられる七はうける事かならねへから一生仲蔵の気づかいはないうつちやつてくんなさへとはりこんだきかつせへとなり座敷に居たどこのはぐさきおひかしらねへがいけねへやつよコレヱ十方もない宵からいけそうぞうしいやつらだ寝られるもんじやねへとくなしやがつたそりようきくと源めが合てんしねへあいつはのあいつはのだまりぼうだかごうてきにつよいわなかしらかまへの五十五かんちうぱらにかるくかつく八町堀の熊蔵どんや一目の金兵衛殿と一所にあるいたわな石をもつのはたつしやよ此中も開帳の迎にざこばて大幟のとら縄が切てだれも持人かねへにあいつかどれおれが持ふとつてくつと大はだをぬいたこのごろは仕事には出ず真白だとう脊中にとゝのふといふ字をいつぱいにほつているわてうちんやのむすこか書たがよくかいたよ何がのぼりさほの本をぐつとひつつかまへてだれも手をつけるなあふないそあふないそといゝなからかけて壱丁ばかりよおとゝしのまつりにもいゝ田まちの坂でおいらがてうの万度を大風のふくにぐつとつつぱつて千鳥にあよんだわなごうてきしやねへかそいつが団十郎をおこしたもんたものおたまりやねへ女郎ともがとめたらあいつもひどうな事もならねへからコレヱとなりにいるはつつけめなんだやかましいとほうもねへやつじやねへかくそがあきれるはいと握りこぶしではくてうの徳利をほかりさおいらもきもをつぶしたなとなりのやつもなんともいわづたまていた夫から女郎もこわもてにやろうめがいろ男よまたうそじやねへが何所へいつてもおいらは十いちやるもんじやねへきかねへと云せうがにやにんそうのいゝやつがかいたからしじやねへかたくわんのおもしに茶袋かどうらくむすこに妹のいけんこけおどしの高飛車に八まんならくの自身ばんから赤鬼黒鬼がとらの皮の火事ばおりにかな棒ひいて十王十躰がさいのかはら上納やしきといふてうちんをとぼして来てもこはがるのしやねへのふ親かたそふじやねへかアヽそこはゆつてしまつたかおれもゆはふコレざつとたばねてのひげはかりすつてひたいをすつつけてくんねへこれはしたり人がらのわるい四文銭をおつことしたヱヽどろだらけにしたコレゆふべもめくりで壱分かこればかりさいゝちく生じやねへかヲヽ源がとふるはコレヱコレヱわりやどこへ行きとうこりにゆくかおれもゆくべいちつとまてコレヱヽアヽしよにんなやろふだ

右条々高声咄無能雖狭客一言吐名言催笑玄々亦玄是言友達呼不引一寸不透五分依利不堪忍言亦亀鑑也可恐重々時々口伝
 十方茂内大尽張込公
 狭家代々相伝
 駄多大尽酒上管巻
 狭斜身中将吹貫朝臣
 塩屋自慢   虚言
于時文録十六兵衛
 はきためから
    寅のとし
烏亭焉馬狂名
 野見てうなこんすみ金
  すみさしの尻にて述之

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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp