当時珍説要秘録
《当時珍説要秘録巻之十》
荒川八左衛門聖天の浴油にて抱の角力勝し事
荒川八左衛門といふ御小性衆御番衆。至て活気の人也。久敷勤たりといへ共。名ふれし活人なれハ。
未布衣の役にもならすして平御番也。角力とりを手前に養ひおき。小身として件の角力とる者へ金銀を入。雑用支度させて。
勧進角力の節ハ。夫々の角力弐三人引連。自分其先に立て。寛活の装束にて出入する事。普く人是をよく知るなり。
此前水野十兵衛小浜民部なといふ旗本衆も。角力とりを好て右の如く也と云。此荒川八左衛門。一とせ深川八幡地内にて角力興行の節。
東の大関ハ源氏山とて。三ヶ津長崎迄も大関をとりて来りし覚の者也。何卒此源氏山を我角力とりに抛させたしとおもひて。
今度京都より呼下し置ける角力とりに。雷鶴之助といふあり。是に源氏山を抛させて世上へも自慢し。雷にも功を立させんと急度案して。
伝へ聞聖天の浴油の法をおこなへハ。ヶ様成事に運を添て。一旦勝利を得る事疑ひなしと云とて。
頓て平井村焼明寺の聖天へ態々角力とりを召連参詣致されて。別当にしかしかの事を申入られ。源氏山を雷鶴之助抛候様にと浴油の法を頼まれけり。
都て此法修行といへは。金七両弐分入候由。安き事とて右の金子則出し与へ給ふ也。小身の人にて。家内の大小も何かハ歳比難義して凌かぬるを。
夫をハ扶持する心もなく。無益の金銀を費す事如何成不行跡成事哉と。心ある者ハつまはしきしけり。斯て角力の日限極り。
荒川例の通深川へ参られけるに。其日源氏山と雷をとり合ける。去れハ浴油のいちしるくて。此角力。中々雷ハはるかに劣りて相手に不足也と人々諸見物迄申けるに。
頓て行司団を入けれハ。双方組しか。源氏山得手の下をさしける故。中々勝と見へたる時に。思ひの外雷いらつて。ゑいと云さま源氏山をはらひけれハ。
なんなく土俵の真中へ這わせたり。満座大にきもを消し。あきれ果てる斗にて一言も申事なく。尤も誉る人もなきハ。源氏山ハ人の贔屓を請しもの也。
是より結句雷をにくみけるとかや。去れハ其翌日。又角力に鈴鹿山といふを雷に合せけるに。其日ハ鈴鹿山何の手もなく雷をとらへてつかみ抛にそしたりける。
此時きのふのしかへしにそ思ひけり。此時行司木村庄之助ハ団扇を上て。鈴鹿山勝なり。雷負たり。
雷ハ雲のうへかとおもひしに
鈴鹿の山の下にてころころ
と狂歌せしを人々大にわらひけると也。
御小性…御小姓。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp