梅の宴
《梅の宴下》

中将うちにまいるとて。まつ藤壺にゆきて。さて殿上にまいり給ふ。うへいかなることそ。ゆへあらんかしとおほせらるれは。 中将。まつ母をおかみ侍るなりと。さかしけにきこえ給ふを。たれもたれもかたはらいたう思へり。今日もれいのまいりたるに。 女御きのふもおほつかなくて暮ぬるを。此君のをこたりに思しないて。うちそむき給ひ。ものもの給はす。 中将ちかうさしよりて。なれなれしう聞えかゝるに。女御まめたちて。ふけうの子こそ心つきなけれとの給ふ。 きのふまちわひ給へれはなめりと。いとおしくて。わりなきかんたうなりな。親にそむけるともおもふ給へぬものをといへと。女御いてや夜半にふみ分んとも思はぬかかひなきこととうらめしけにて。
   かさゝきの橋は絶間そ見えにけるおく霜わけし跡はなくして
との給ふ。中将いとゝく。
   鵲の橋のとたえはさもあらはあれ思ふ心は猶かよひけり
さのゝ舟橋に見なし侍るかあさましきこととてをしのこひ給ふ。女御も思はすにまはゆくし給ひ。此けしきも心苦しう見給へは。 しうねけにもえし給はす。とみに心とけぬるを。中将うれしくて。なにやかやとうらなく聞え給ふとて。六位すくせならねと。 身のうきことしけくものし侍るなん。つゝましう。あさみとりにはかけぬ契もいかならんと思ふ給へみたるゝに。むねいたくとあはれなるさまにうちなきつゝ聞ゆるを。 女御もいと所せうわつらはしくて。いかにそめけるとかこたれ給ひ。大将のけはひもまほならねとほのめかし給ひ。かたみに。うき世とのみあちきなうおほえて。いたうしほたれ給ふ。中将。硯をひきよせて。
   波あるゝ江にはよるともみをつくし深きしるしは朽せすもかな
浦の浜ゆふいくかさねと。手ならひのやうにかきつけたまふ。女御。
   ふかきえにたつしるしたに朽せすはなをみをつくしかけてたのまん
人しなけれはとかきそへ給ふ。莚道まいるなときこゆれは。おとろきてとりかくしつゝ。中将しそきてさふらひ給ひ。 女御もみしかき几帳ひきよせておはす。上いらせ給ひ。中将は今日もまいらすや。いかてめしにつかはし給はぬとおほせらるゝに。 折よくて。中将さしいてたまへり。上めつらしけに御らんしやらせ給ひ。きのふはなとて心もとなかりしなととはせ給ふ。 此ころ除目とて。人々日ことに内にまいり給ひ。とりとりによろこひし給へる。めもあやなるに。取分いみしきこともおほし。 右大将内大臣になり給ひ。宰相と中将は大納言になり。中将をは権中納言なと申すめり。少将頭中将にあかり給ふ。 すへて藤壺の御ゆかりのみさかへ給ふ世を。心やましう思す殿原もあるへし。院。后の宮の人々はかならす給はるへき加階をもせす。 おのおのからしと思ひたり。御前達も御みつからのうれはしさゝへあるをいとむねいたう。上をさへつらしと御心うこきて思召されたり。 藤壺の御そうはなをあかぬ事ありけるにや。又女御のとり申給ふことありて。夏の比。内の大臣右にうつり給ひ。 御かはりには東宮大夫。内大臣のせんしかうふり給へり。右の大臣。右大将のき給へは。御子の中納言のそみ申し給ふ。 うへさもやと思しめすに。女御。権中納言につけさせ給へと聞え給ふ。上そはひいの別当にとなん思ふ。わかきほとにはいとはなやかに似つかはしう。 きらきらしきそやとおほせらるに。女御なをなをとせめ給へは。やかて権中納言。右大将になり給へり。中納言はほいなきものから。 心やましきまゝに別当をそ申し給はり給へり。殿はこたひのこと。さきの日の除目なとも心ゆかす思す事にて。 さらに口いれ給はす。こと君達もすちなき世かなと下につふやかれ給へは。右の大殿の大饗にはおさおさまいる人もなし。 尊者にも大臣達はいて給はす。大納言まいり給へりとそ聞えし。東宮大夫には。殿の御子なる右衛門督なり給ふ。 后の宮の大夫の御弟よ。内の大臣は御かしつき仕うまつり給ふめり。此大臣は殿のいよいよ心置給ふやうなるを。 くるしいことにし給ひ。又右大将の兄君達をひきこして。なりのほり給へるも。人めはつかしう見わつらひ給ひけるか。 ひたふるに世のなかうしろめたうのみ思しなりて。すまいの節なとも過。おほやけこともすこしひまありけれは。 八月はしめにはかに。右大将を我殿にこめすへて。ましらひもせさせ給はす。あからさまなるわたくしのありきもゆるさて。 きひしうおきて給ひ。内には心地わつらひ給ふよしそうし給ひ。藤壺より御つかひまいる折は。いといたうかしこまりて。 みつから御返りも聞え給ひ。大将にはつゆしらせ奉り給はす。いみしう心つかひし給ふ。大将にもことの心こまやかにいひしらせ給ふとて。 こゝらの人の中に一人すくれて。君のおほえめてたく。はらからのおのこともにも立まさり。つかさ位もとしにもおはぬはかりめもあやなるは。 よのつねにてはいとおもたゝしう。親はらからのおもてをもおこす人とて。世にもうらやみぬへき事なれと。 こたみはたれかさやうには思はん。ゆめ人のうけひくましう。かきりなうかたはに見くるしく。君の御ためもまめなる心とはいかゝはいはん。 我はたゝおもなくこそあれ。ゆかりとてかすまへ奉りしわか身のよろこひさへ。殿なとの思さん所よ。いと恥かしうおもて置んかたこそなけれ。 かはかりのことたとらぬいはけなさなん。いふかひなかりけりとうちなけきつゝ。あはめ給ふ。大将は夢の心地して。 あきれ給ひけるか。にはかに世の中所せうなりて。殿にも。はらからの殿原にも見あはせ奉らんことのはつかしく。 あかき所にもむかはて。涙にのみくれまとひ給へり。大臣いふかひなしと見給ふ物から。法師になしてんと思せと。 さすかにさまのあたらしう。心つよく思しなせと。せきやらんかたなきかなしさに。心のやみふかうなりたまひ。 さまてはえも思しよられす。けしからぬ心たにあらたまらは。ありしさまにて見るやうもあらんと。猶捨てかたくおほえ給ふ。 長月には大臣表奉り給ひ。内大臣かへし奉り。やまひにことよせてこもり居給ふ。殿は大将をこめすへ給ふを。 あらまほしうかしこきも心と見給ふに。みつからさへつかへをかへし給へるにそ。あまりにもよういふかゝりけるとおほすに。 日比の御心余波なうとけて。よに有かたき心おはしけりと。たくひなう見給ひ。あさはかにおほしうたかひし我御心をさへ。 いはんかたなくはつかしくおほえて。つねにねんころにとふらはせ給ふ。御みつからもわたり給ひなとして。やすけなき世を思しなけくさまをもつゝます聞え給ひ。 右大将をも心苦しけに見給ふ。致仕の大臣は思ふやうにうれしうおほえ給ふ。殿も世のまつりことを。上。女御なとの御心にまかせ給ひ。 右の大臣口入給ひなと。折にふれてわつらはしう。御心ならぬことおほく。世中心つきなうすさましとおほいて。 やかてへうたてまつりひきこもり給へり。かゝれは上達部の中にも心あるはいとたつきなく。さうさうしくてましらひも物うくし給ひき。 □殿の御かはりには。右の大臣。世をまつりこち給ひ。いとゝしきさかへなるを。めつらかなりとうちかたふく人おほく。院なとにもめさましうおほしめされたり。 女御もやかて后にゐ給ふなと世には聞ゆれと。后の宮二所ゆるきなくておはしまし。はた御子たにむまれ給はねは。さすかに世の中うけひきかたきを思しはゝからせ給ふにや。 上もさためかねさせ給ひ。やすらはせ給ふるなめり。女御は大将のことのわすれかたう。しはしは御祈なとし給ひしに。 ほとへてはうちうちのことも聞つけ給ひ。父大臣のむつかるなめりといふ事もしりはて給へは。いとはつかしう。藻に住虫と思すに。 かなしさもこひしさも身ひとつにかそへつくして。ねのみなかれ給ふ。おもかけはつと身にそひたるやうにて。 わするるまなく。一日もみねは。いふせう思ひし物をと。おほつかなさの日数のかさなるにつけても。あなたになに心地していますらんといとおしく。 文をたにと思せと。御使には大臣のいてあひ給ふなるかわつらはしう。すへなくてたえすむすほゝれ給ふ。まうのほり給はぬ夜は。 たゝひとりつくつくとおきゐ給ひ。まとろみ給ふ事もなし。まれまれかよへる夢も。あふこともしらぬといふはかり。 つらきうつゝにかはらぬおもかけはいとかひなくて。
   逢坂をあとなきこゝちとみてしより関の戸さしは夢もゆるさす
なと。ひとりこたれ給ふ。上も女御の物おほしたるけはひを御らんして。右大将のまいらぬをさうさうしう。つれつれなるにやといとおしく御らんして。 すこしよろしからんには。ためらひてまいられよと。たひたひおほせことあれと。大臣たへかたうわつらひ侍りて。 おきもあかりさふらはぬか。かひなく見給ふると。つれなくのみ奏し給ふ。上。大将のかはりに。頭中将をやしなひてあつかひ給へと。 女御に聞えさせ給へと。それはかほのにくけにて。見まうくとてきらひ給ふ。右の大臣そ。大将のさし出給はぬを。いみしううれしきことにし給ふ。 右大将はやうやう心のしつまりゆくまゝに。夢のさめたる心地して。身のつみいとおそろしう。上の露はかりもきこしめしたらん折。 いかさまなる御かうしかあらん。よしやわか身はいかにもあれ。親はらからなとよもたいらかならしと思ひつゝくるに。 いと所せう。身のをき所なき心地してあさましう。さしもかきりなう思ひきこゆる女御の御ためもうしろめたく。 とさまかうさまにうきことゝ思ひなすには。世にありふへうもなく。ましらひもはしたなく。さりとてにはかにそむきたらんはよからぬことは。 おのつからかくれなき世にて。今更の名取河も。わか身よりは人の御名のつゝましく。さりとていかに心きよく。けさやかに思ひはなれてありとも。 此まゝにては女御こそありしにかはらぬ親心もあらめ。右大臣よにゆるしてめしいれなんや。さらはこゝらの人のうたかはぬやうやはある。 はたわか心にもかの御けはひを。けちかう見きかん折。余所に思ひなさんことは。いとかたかへいことそかし。又思ひすくさんには。 命たゆへくもあらしとわか心をさへあつかはしう。さまさまに思ひなやみ給ふ。ともすれはことはりしらぬ涙のふり落て。 置所なきまてなるこひしさを。こはなそとおもひかへせと。身を捨てもゆかまほしう。たはふれにくきまてにて。 ありしにまさる心は枕よりあとよりといふはかりなるに。せんかたなく。いかさまに結ひをきてか。身をいたつらになしける契ならんと。あちきなくのみ覚え給ふ。
   絶ぬへき末もしらすしてむすひけん契くやしき井手の下帯
いとしも人になとわすれかたう。さらに思ひさまさんかたなきを。われなからしうねきそかし。大臣のいかに心つよきなしと見給はんとはつかしけれは。 涙をさへもらさしと忍ひかへし給ふ。夜なとも心とけてもねられ給はねは。夢にも見きこゆることなく。たまたまみゆれは。中々なるものおもひにまとはれ給ひ。 すへてなくさめんかたなきまゝに。その折かの折なとほのかなりし琴の音。はかなくの給ひし言の葉。たゝ目にも耳にもある心地して。 あはれにこひしう。文さへかきたえて。あなたのことは風の末にも聞えこす。いとゝおほつかなく。民部かもとにたにと思せと。大臣のこゝらからやまとの書ともをひきいてゝ。 まめやかにいさめ給ふこともそむきかたく。たゝつれつれとなかめかちに心ひとつをくたきつゝ。岩うつ波にて過し給ふほとに。心地にもたかひて。 はれはれしからす見え給ふ。母君なとはいたく思しなけきて。大臣のあまりゆるきなう。くつろかならぬ御心を。つらうさへ思ひ聞え給へり。 大臣もさすかに心くるしうて。さてのみあらんよりは。左の大臣わたりにまうてゝ。左大将。宮の大夫なとわかきとち。世の物語をも聞え給へとの給ひ。 此ころはありきをもゆるし給へと。大将今さらに此人々に見えんもおもなくて。むつかしくありきも思しもかけす。さるはなにとなう世の中はかなく。 もの心ほそき時々あるを。なかかるましきにやと思ふもいとあはれなり。
   涙さへもろき契にはかなくも玉の緒かけてなにむすひけん
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp