世中貧福論
《世中貧福論上》
自 序
鳥が啼東の都を立て。おしてるや難波江の芦の仮寐にやどりしは。今年如月の頃になん。徒然なるまゝに。
いにしへの浮世草子に名たゝる作者。二万翁西鶴法師の慰本を見るに。言葉の林しげりて風流の花さき。
こゝろのくさぐさ生て玄妙の実をむすべり。予此風製を慕ひ。およばぬ筆をはせて。
通俗巫山夢といへるをあらはし。彼地の書肆にあたへてかへりぬ。猶又その余風しのばしく。再び西鶴の唾を甞て此巻を編る。
元来商家軍配といへる原本によりての作意なれば。自分の文談のみにあらず。人の褌に角力をとる。貧福の勝負附は智力もおよばぬ運次第なる。
世の人の因縁果のことはりを。東西にわかちてかくばかりにこそ。
于
文化壬のとし
申孟旦
東 都 十返舎一九識 花押
《世中貧福論後編上》巻中目次
第九 泣頬をさす八幡の勧進角力
第十 無心の種を巻舌に生酔の似山師
《世中貧福論後編下》
九 泣頬をさす八幡の勧進角力
其頃雪の下に。山鯨猪右衛門といふ。角力の親父分鶴が岡の境内にて勧進相撲興行するにつけ。正作をかたらひ。
金主となさんと。甘くはなして。金儲のつかみどりもあるやうに。ふづくりかけられ。もとよりはや。
身上不手廻りとなりし人の癖として。大慾をおこし。山ごろにかゝるならひ。この相談に。ふはと乗が来て。
正作手前にははや遊金はなけれども。工面してやりつけて見る。こゝろ持と成それより角力の年寄仲間をあつめ。
いろいろ評義するうち。ひとりのいふには。房州保田の梺に古今無双の大男あり。いまだ若年なれども。
むかしの釈迦が嶽より。干鱈に樽をそへて取くらひ。あたかも小山の。ゆるぎ出たるごときの大兵骸の目方六拾貫目にあまるよし。
さきはいたつての貧究百性。われら先達而貰ひうけんと。相談をせしに金子不足にて。手をむなしく帰りたりしが。あつぱれこのものを貰ひうけ。
おし出しなば。たとへ角力はともあれ。先其化物かとおもふほどの大男にて。評判をとること請合の西瓜。
はづるゝといふ気づかひのなきしろもの。わづか金子拾両ばかりもあれば。親の手をきり貰ひ請。一生こつちのものにして。
金儲をすることゝ。鼻に油をのせてはなせば。座中手をうちて。やれそれを。何として今まではいはざるぞ。
みすみす大がねの目前に。ぶらさがりあることを。すておくことかと正作もともに舌打して。しからば其金子われら才覚すべし。
此ほうへ貰ひきる手段をたのむと。相談しめて。年寄仲間一両人。急に支度し。房рヨつかはせしに。
此ものども保田の親もとへかけ合。金子七両にてもらひ請。船にのせて打つれかへりければ成程めづらしき大男。
盛年いまだ十九歳。せいの高さ八尺五寸ばかり。所から石の大仏のごとく。鴨居ひくき家の内へは。這ふて入くらひにて。
さらに人間とはおもはれず。これは金の生木おとこと。正作よろこび。まはしもはりこみて立派にこしらへ。
名のりを岩羅漢とつけて。先初日を出すまでは。人に見せなと此男を。我宿のおくの間天井を打ぬきて入れおき。
場所の小屋がけさしいそぎ。金の降日を。まつやうにせきこみ。太皷をまはし。けふ初日といふとき。夜明がたより俄に雨ふりいだして。
しだいにつよく車軸を流し風はげしく吹あれて。せつかくかけたる角力の小屋。横さまに倒れて。これは目出たい。
小屋をも踏つぶすほどの大入。吉相がよいと。傍からとりはやせば。正作にがわらひしつゝも。あすの日和をまつに。
雨雲いやがうへに立かさなり。いつはれそふにも見えぬ気色。しかも八専がへりとて。慥に八日は降つゞくものと。人のいふにちがはず。
毎日の降つゞけ十日あまりも日のめを見ざれば。町かたは商ひ店に戸をさして。居ぐひするに気をつかし。
百性は作物の根がくさるとわめき出し。水場には堤をきりて隣村へ悪水をおとし。争論となりてめいめい鋤鍬をかたげ。
はしりまはり。擲き合て喧嘩たえず。これではたとへ日和よくなればとて。すまふ所ではないと。見あはせてゐるうち。
正作所のものいり。毎日角力取ども寄あつまりて。酒さかなのあばれぐひ。はじめのほどは。やがてかねまうけと。
そのたのしみあるゆへ。費をいとはず。旦那旦那と。もてはやさるゝ面白さにうかれ。大気に樽酒をつけて。
はめをはづせしさはぎに。有頂天となりしが。此ほどは胸につかへておかしからず酒もこれで五樽目。けふ酒屋からこれまでの代金下されずは。
あげられぬと。ことはられしよし台所の親仁。しかも人中にて。たかだかつぶやく。肴屋よりも。大分売懸たまりしゆへ。
内金が借たいとの催促。米はことしぢう。くふつもりのかこひ米。いつのまにかは。一俵も残らず。ことはりなるかな。
彼岩羅漢。からだにあはせて。三四人まへの食事。ひとかたけに。一舛五合では。くひたらぬやつかいもの。
其上きけば。持病に顛疳ありて。人とせりあふか組あひでもするか。惣じて人だちのおほき。さはがしき所にては。
きはめてその病おこるとて。此ほどは逆上して。頭痛がするとねてばかり。横になると座敷一はいふさがり。押入のもの出しにゆくにも。
次の間より。まはり道せねばゆかれぬと。家内の小言やかましく。正作ももてあまし。是は因果のつくばいと。
今さら悔てもかへらず。勿体なくも天道をうらみ。おのれの微運に。応ぜざることをしらずして。今は西明寺の雪の段。あとへもさきへもゆかれぬ。身の上とはなりける
挿図一葉あり。「掃溜にをりたる鶴が岡ならで塵に交る神そ尊き 十返舎 飛入て草にとり組そばからも左りさせてふきりぎりすなく 衣紋行武」とあり。
《世中貧福論後編下》
十 無心の種を巻舌は生酔の似山師
小人窮すれば。不善をなすとかや。正作はこの降つゞく雨に。けふもあすもさめはて晴天十日の角力。廿日余りもたえて。
はつきりとせし日和を見ず。小屋もくさり。また建なをさねばならぬ仕義。其上内証の矢種もつき。此雨に借金の渕しだいにふかくなり。
質草もなくなり。工面につき。此まゝやむるも無念とはおもへど。小屋の普請。これからの雑用諸事に。今金子二十両も。
才覚せねば。ならぬにきはまり。いかゞはすべきとおもふ所。近在の有徳なる。大庄屋権太夫といふものゝ妾に。
かめといふは。もと大磯につとめの身にて。正作の女房要太夫の妹女郎なり。当時権太夫の妾となり。
別宅にすまゐし。いたつての内福にて。金子を人に用立その利分をとりて。金のふゆるを。たのしみとするよし正作きゝて。
女房おなめよりの縁にしたがひ。たづねゆきて委細をはなし。何とぞ金子二十両入用のよし。おなめよりの文を見せて。
頼みこみしにさつそく承知し。さあらば明晩までに。とゝのへおき申べし。手形したゝめ。請取にきたらるべし。
去ながらこの金子用立申ことは。内分のことゆへ。権太夫どのは勿論外へも決して。さたなしとのことにて契約し。
立かへりけるが。この権太夫大兵にて。小ぢからもある男なれば。角力ずきにて。山鯨猪右衛門はじめ年寄ども。
日頃したしく出入しけるゆへ。此仲間へ使のものきたり。明夕かた妾宅にて。遠来の珍物振舞申べし。
皆々打そろひ。参るべきよしつかひの口上。正作きくより。是さいはゐ。権太夫しらぬ人にてもなし。
妾おかめへかの内用もあれば。われらもおしかけゆくべしとて。其日角力とり仲間と同道し。権太夫が妾宅にいたり。
心にあらぬ追従軽薄して。権太夫のお髭のちりを。とりどりの酒もり。正作すきまを見て。そつとおかめをかたへにまねき。
昨日おたのみ申せし金子。約束なれば今宵うけとりたきよしをいへば。かめのいふやう。いかにもこなた承知なれど。
今少し折あしし。そのことにつき。御はなし申たきことあれども。此取込の中いかゞなれば。何とぞ明日にても。
ひそかに御越あれといふ。正作きゝて。さればこのほうにも。早急の入用あれば。今宵のうちの御願ひと。
おしかへしたのめば。しばらく思案し。さあらばこなた旦那どの。いつもこゝにはとまり給はず。御帰りあれば御身虚病をおこすか。
たゞしは酒に酔ふふりして打たふれ。旦那のあとに残りたまへ。不断心安き人々のこゝへ止宿し給ふこともあれば。
かまへて旦那への遠慮はいらずと。この魂胆にきはめてしめしあはせ。心中にさてもうれしや。われらわざと酔つぶれ。
あとに残りてあはよくば。金子もろとも。此妾の宝蔵の家尻きらんこと胸中に手段ありと。くちなめづりして。
あつかましくも。はやこのおかめを。せしめる気になり。しすまし顔にて座敷に立出。それより酔たるふりして。
倒れ残らんとおもふ底意なれば。人の目にもたつほど。のまざれば。酔たるふうにはうつるまじと。誰もたのみもせぬあいをいたし。
おさへもせざりし。盃の数をかさねて。みな飲ふりをし。半分は打あけ。随分おつにくろめて。そろそろと管をまきだし。
眼をすへて。生酔のていをすれば。その座に眼張といふ角力の年寄これは下戸にて人の呑のをまじまじと見ながら。
かたすみに。目をもちてゐたるが。すゝみ出て。是は正作親かたには。日頃なるくちにてけふにかぎり。
酒何盃のまれて。そのやうには酔れたるぞ。先刻より見ごとに見えたる其おしたみは。これにありと。脇とり盆二まいに。
湛へてある。酒のしたみをとりいだし見すれば。座中手を打て。これは酒の外に。われわれを酔すやうな仕掛。
いかにしてもつらにくし。最前からの過怠に。これでいつぱい呑せよと。丼鉢をあけて。権太夫からいひ出し。
いづれも酔きげんのものども立かゝり。正作を無理につきすへ。かの鉢に一はいつがせ。両方から目見がつきて。
少しにても皮をむかば。またあらためて。呑なをさせよと。みなみなかゝつて責つけられ。酔しふりなど。
いかないかな受付ねば。せんかたなくやうやう此酒を飲つくし。今はまことの酔姿権太夫のかたへ。足をふみのばして。
横にたふれながら。管をまき。其身の自慢を。高々といふとて。これこれそなた達もわれにあやかれ。
けふ酔たふりして跡に残れ。ないないこつそりと。はなしがあると。爰のおてかけどのが仰せられたは。
大かたわれらに。気のある証拠は。金も二十両かして下さる筈。なんといろ男か。いかにいかにと。正作酒に酔うと。
自負をあぐるがくせにて。おのれの心におもひしことを。ひとつも残さず酔にうかれて。くりかへししやべるにぞ。
妾は権太夫の手前めいわくさに。是はけしからぬ。いつわたしがそのやうなことを。他愛もない。気でもちがひし人そふなと。
赤面し腹をたつるを。権太夫。こゝろのねれたる男なれば。正作の酔したはことにしてしまひ。これをしらべず。
わらひとなせど。正作はそれより前後もしらず大ぜいに引かたげられ戻りたりしことも。いつこう夢中にて。
あくる朝目さめてみれば我宿なり。これはとおきたち。肝心の金のこと。何とせしぞと。さつそく妾宅にはしり行。
台所へ入と其儘。おかめ顔色をかへて。いふほどのこと。こなたにはひとつも覚へずさまざまことはりいふてもきかばこそ。
はねつけられて。もとねにしかね。せつかく借出すつもりのかね。算段ぐはらりと間違。角力のあとを餅につきて。
是までの入用残らず入れ損となり。あとに残るものとては。大飯くらひの岩羅漢ばかり。おやもとへ返そふにも。
只はひきとらぬやうす。そのくせ遠慮会釈もなく。肴も干物を菜にしてはおもふやうにめしがくへぬと。
きよろりとした顔つき。扨もこれはこまりものと。さしもの正作しんまくしかね。いかなれば。手にとりしやうにおぼへしことも。
土俵ぎはにて変おこり。工面の四十八手もしつくし。櫓太皷のどんつくな目にあひしも。我意のつよさに善果をあやまり。
悪因にひかれて。する程のこと。禍ならずといふことなきに仍てなり。されば人界の盛衰は。善悪の報によるといへ共ひとつは其身に備はりし。
運次第にて栄枯こもごも転変し。今たらふくや孫太郎の洪福。正作にはうつてかはりて金の生木の栄ひさしき春ぞめでたき
物語・小説に戻る
坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp