柔話
《柔話》

一。元禄の末。正徳の頃巻の尾曾津之助といへる紀州の御角力有。丈長六尺三寸。力量。衆に越たり。 此巻の尾いまだ角力前かたのころにや。荒砂といへる是も六尺余の相撲にて強き事中々に相人なし。 夫がはねの強き。各三ッと受る者なく。はねつけられたり。対山様。或時関口八郎右衛門に仰て。 荒砂がはねを誰でも受る事あたはず。何とぞ巻の尾に勝せて見たきもの也。いかにぞして勝べきやうは有まじきやと。 氏業御答て申て。仰付られ候ハヾ勝せ申べきと申しかバとて。氏業に命ぜらる。氏業帰宿し。巻の尾を呼て。 扨斯々の仰蒙りたり。汝明日より来て三日稽古せよとて。荒砂がはねのうけを教たり。さて二日稽古して最早勝べしといふ。 魯伯かぶりをふつて。いやいやまだ勝れず。明日も来るべしと云。扨三日稽古して。汝たしかに勝るやと。 巻の尾急度勝可申といふ。氏業いはく。汝覚悟してとるべしとて。御前へ出。巻の尾はや荒砂に勝可申と申上る。 然らバとて則明日御相撲仰付られたり。さて当日土俵へ氏業出て。八郎右衛門殿御指図也と答ふ。 何某今日の角力は荒砂と巻の尾との角力也。是にては荒砂に徳有て巻の尾が損也とて。又敷ならせたり。 又氏業見廻て砂ならせしを見て。など直したりといふ。何某差図故といふ。氏業怒て今日ハ我に仰付られたる相撲なりとて。 又前の如く砂片低にしたり。人々荒砂に強ミあるを気遣ひけれど。八郎左衛門差図故。其如くにて過し。 扨此両人の取組と成しかバ。各片唾を呑て見物したり。荒砂例のはねしたりしが。巻の尾稽古熟したりしかば。 其はねを事なく二ッ迄受。左をさしたり此巻尾常に左を差時ハ鬼にも負じと云夫のみならず。 右をもさして。荒砂をひたと打付たり。荒砂ははね計にて手者にあらざりしかば引付られ。嗚と踏張て動かず。 巻尾漸あふりかけにして曳声出して間中に打倒しぬ。君を始各どつと声を上たり。巻の尾此時もし負ものならバ忽討捨らるゝ処也。 相人の荒砂よりは先生が恐ろしく。誠に一生懸命の場をしたりと巻の尾物語せしとぞ。
一。此後遥過て或時巻の尾。島田幸右衛門方へ来り咄しけるころ。巻尾が強力に誇り。 力さへあれば柔ハ入らぬものゝ様に思しを。幸左衛門曰。汝先に八郎左衛門殿に習て荒砂に勝たり。 然れバ力よりハ業は増たりたる事をしるべし。汝が其力に此柔を稽古せば。実に諺にいふ鬼に金棒といふの類成べし。 稽古せよといへど余り諾ハざるやうすなれバ。幸左衛門曰。然らバ角力に四ッに組て押出す事有。我汝と組て見ん。 押て見よといひければ。巻の尾いとやすらかなるやうに思ひ立合て。押に何なく押付られ押付られしけれバ。 幸左衛門曰。なんと汝は当時の関取也。それが我等に如此事。当流の柔いかんといひければ。巻尾実に頓首再拝して。 今日より御弟子となし給るべしと。実に心服のやうすなれば。然らバ万五郎殿へ申べし。日を撰ミて門入せよとて。 幸左衛門引て関口家に入。誓約の神文へ。姓名ハ巻尾未無筆なりしかば。西山曾津之助と書て貰ひ。 其上を曾津之助筆とてなすつて花押を書血判す。時ハ正徳三年巳六月也。此神文。我父東行時。定光先生。 江戸人に見せよとて是を賜て今我家に有。扨夫より巻の尾。島田の稽古場へ日々出て稽古し。後は上達して。関口稽古場の伴頭と成て諸生導世話したり。 曾津之助ハ大兵。力も衆に超たりしが心だてハやさしき実意の者にて。我父長山翁ハ全此曾津之助が世話に成れしとぞ。 或時父翁。巻尾ハ大力大兵の上に上手なれバ。何をしても叶ハざるはしれし事也。然れども何とぞ四手押などして一度勝て見たしと。 折々押ても押てもならず。依て幸左衛門に斯といへば。夫は中々及ばぬ事也。然れども渠が癖は斯々工夫して押べしと教られしかば。 宿に帰り巧夫してハ行。工夫してハ幸左衛門に見て貰ひしつゝ。習へども習へどもまだまだとて日を積たり。 さて口惜しき事に思ひ。巧夫をからし。或夜与風思ひ当り。是にてハ鬼にも組べしと思ひけれバ。いでや島田に行て習ハんと。 夜中に起。帯〆直し。袴はきなどせしが。いやいや未夜半過也。今如是しと行ていはゞ。きやつ乱心したりなど。 師の思ひなば。いかなるめにやあはんと臆病分別いでゝ。夜の明るを遅しと行て。島田師を起し。かくしてハいかんと押に。師の曰。 是にてはよし。曾津之助が来らば押て見よといはれしかば。待たりし巻の尾来りけれバ。島田曰。 斧治亡父の先名が四ッ手押習ハんとて。今朝とくより来て待居たり。押てとらせよとあれバ。 巻尾さあとて出て例の如く押させしが。ふとさし込て。ふいと押勝たり。巻の尾是ハ是ハと感じ。島田も悦たり。 今一ッと巻尾が押せしが。さすが上手段違なれば。もはや勝事ハならねと。其とりかたよしと両人に誉られたり。 且我稽古上達したりしは。人ハ力が宝なれど力計にてハ勝れねバこそ。巻尾が稽古すれば。巻尾を目当に稽古したる也。 然れバ我稽古は島田の深切。巻尾が世話にて成しと常に語り給ひし。巻の尾其はじめ魯伯の教をうけ。 又幸左衛門に屈服して此道に入たり。扨幸右衛門の四ッ手押に巻尾を屈せしハ。たとへ柔上手にても容易人の勝るべき事かは。 幸左衛門は関口にてに一人上手也。躬の丈五尺八寸余。力も強く。よて巻の尾をあつかひし也。若庸人の稽古立して少計の稽古出来たりと己に誇り。 此事など聞はつりて。いでしてやらんと大兵大力などに出会てせば。大なるふかくをとる事有べし。且流儀の恥辱をなし。 武士の恥をかくべし。是を見聞せん人。よくよく心得て深修行すべく慎て心を用ゆべし。
(中略)
一。父翁の曰。此巻尾が強力をもて当流学びしこそ。実に道のたうとむべき事にして。 力たらざる者ハ業をもて力にも対せんハ尊き事也。南龍院様の御諚に。当流柔をもて諸藝の父母なりとの給ひし。 是我身中の強弱をしつて心のあつかひを育立る事なれバ。我常々諸藝の為にもと猶精出せし。誠に巻の尾が力をもて柔を学びしぞ。 南山の竹に括して是に羽し鏃して是を蛎たてしが如く。依て相撲に令名をなせり。後人よくおもハざらんやとの玉ひし。
一。今の角力取には自然関口の柔の手残り居る也。そは鏡山といへりし者ハ古今相撲名人也。 其鏡山巻の尾ハ前也。巻の尾始ハ鏡山が弟子成らん常に関口の許に来り。内々は其教をも学びて。 是をもて相撲の手を工夫し工夫し。今迄の四十八手の裏をかへし九十六手となし。人に施し。自己は亦其裏をもとりて誠に古今相撲の名人にて。 今世迄も角力執心の者の此鏡山をしらざるハなし。鏡山ハ一体小兵にて力も強力といふにはあらざりし。されど其名手。 大兵大力へも対して誉れをとりしなり。今世迄小兵の角力とらるゝハ此鏡山より始るといふ。此鏡山紀州にて金碇とかいひし。 諸国遍歴の関相撲。国々勝付て世に相手なしとして紀州に来り。鏡山名人の聞へ有。勝負を乞。 其時鏡山妙手をもて是に勝たり此事ハ別に記有且此鏡山の流を学バざるハなし。 此後予州の者に白山新三郎後石鋏島之助といふ身の丈六尺五寸。大力にて上手也。 是等も常に関口家に入びたりて教をうく。巻の尾に習て誠に大丈夫也き此石鋏が力の事。 我父翁幼年に見聞の事。別に書記しをきぬ是より後。此鏡山が流を学び。巻尾が教をうけしよりいにしへの相撲には違ひ和らかに成なりと。 中にも八角といふは巻の尾に習ひ。鏡山流をよく学びて上手也し。古より享保のはじめ迄は相撲両人。 土俵の中に中腰に立居て行司団扇を引て取組し事也。然るに其団扇の引かたに依怙も有ける事などありしより。 此八角気の練といふ事を巧夫し。両人とも下に居て互の心の相逢所にて取結ぶ事に成し。されバ綾川七ッ森源氏山の類ひ。 八角が流を学で一時に名あり。木村庄之助も八角に学て行司の法をよく仕たりと。然れバ今の相撲は皆鏡山巻尾八角が流にして。 いにしへの相撲のとり方にハあらじかしと。父翁噺し給ひし。若年の頃。見たる頃ハ前角力などハ皆立かゝり居て捕たりしが。 近頃ハ皆下に居て捕かゝる也。されバ此下に居て捕より相撲の心きたなくなり。幾度も幾度もまだまだと立合ざる者多し。 殊に近頃小野川などは谷風との取組。いついつにてもひまどりていと見苦しかりし。されバにや。 其取組の清きハ宮城野丈助といへるハ向よりかゝれバ。待といはず。直に立合し。其弟子の錦之助もしかしたりしかば。 其立合を宮城野流といひし也。されバ取口損ありて毎度負に成し事あれど。其心ハ清こそありけらし。
一。此巻尾ハ我父翁懇思如此し。白山も幼年のころ祖父翁と懇志成しかバ。 外に遊びける頃。白山が通る時は抱かれなどし。又ハ塀の上などへちよつと上て貰ひなどしておもしろがりしと噺されし。
一。此曾津之助の子に西山三右衛門といふて。予が十三歳計の頃。紀州より来れりとて尋来て。 父翁に父のむかし語りなどしたりき。是ハ巻尾には似もせで小兵の一眼子也し。されど其元気の噺のさま。今に忘れず。おもしろかりし。
一。定光先生氏英の嫡。万五郎氏一後万右衛門。父翁の師也十四五の時。 或相撲取遊びに来て居しが。戯れに若旦那。サ四手押し給へとて立出たりしを。心得たりと出て。四手にかゝり。 彼は子供相人の心故。押くるはなを与風組合。三ッ目の飛込にてあましたりしかば。彼角力大に横頬ついて。 ほいほいとなやみ。泣ていふやう。おそろしおそろし。あなたがたには。ちとしたおどけもならじとぞ。 おそれけるとか。此先生ハ活達にて伊達しまの衣類など著されしと也。
(中略)
一。元禄の末。宝永のころにや。紀州に蓮井象之助といふ角力ありき。江州出生にて身丈七尺有余。 □□□□実に一生の□□□□なり。当時御秘蔵の者にて抜群の力士なりき。腰のものハ新たに打たせられて下さる。 刀六尺弐寸程。鞘にて四尺六寸余。柄壱尺五寸余。脇差ハ三尺五寸程。鞘にて弐尺七寸余。柄八寸余也。 大小とも革柄。さめハなく銅うち出しの漆塗也。皆銅拵にて身鞘つきつめ常人のとりあつかはるゝ物にはあらず。 さて此象之助。力ハ巌をもぬくべく虎狼をも礫にしつべし。秀たるハ嫉るゝのならひ。殊に角力には相人なく。 いかなる大力名誉の者も小児をあつかふに事ならず有しとか。されバ野心をさしはさみしが。惜かな二十九歳にて毒にあてられたりき。 君殊の外に痛ミ哀しませ給ひて。吹上寺に隣れる正住寺に葬り。彼が身の丈七尺余に石の五輪塔を建させられ弔ハせ給ひ。 其腰物も其寺に納させられしとぞ。近頃或人むかし物語の折から。彼人の曰。げにも関口八郎左衛門ハ格別の名人也しよし。 象之助が大刀をも自由にぬかれたりと承るとありしかば。答曰。されバ其魯伯の此刀を抜れたりしハ。 吾是を父の物語に聞たり。貴国にも年経ぬれバ。むかし語ハ誤あるものにこそといへば。其者夫ハいかなる事にやと強て聞まほしげなれバ。 されバこそ。父の語りしハ。或時或人此象之助の腰物を。魯伯稽古場へ持来り各見物す。門人の中に是を抜事成べしやといふを聞て。 魯伯抜て見すべしとて。左の手に柄を持。下に置て右手を栗形の間へ入さと打けれバ鞘はしりて抜たり。 皆人あと感じたりしと。又多宮懐求の稽古場へもて往し者有しに。懐求のいはく。此品先頃より家内の者が見たがりし。 是幸也。見せ申たし借玉へとて。勝手へ持行。後持出たり。又是を抜の事に及びし時。多宮すなはち魯伯のされし如して抜たり。 是ハ勝手にて其試せしとか。両人相隔つといへども一意の事。名人の符節合するが如しと。其頃感あへりしとか。 又汝が祖父次左衛門の許へ。誰人か持来りし時。保周も武郷が実父我も子どもの時共に見たりし。 次左衛門常の刀を見るやうに左右へ引わけてぬかれたり。次左衛門ハ大男五尺八寸余にて肥満し。 膝の高サ扇だけ有し。夫故さもぬかれしか。魯伯懐求ハ名人達なれど常人なりけれバ。如是智もて抜れたり。 いづれも我等の及ざる所にして。かゝる人さへ斯のごとし。小男達の長刀思やられ侍ると語りしと申せしかば。 此人はじめて聞たるやうに感じたりし。是此紀州人の如是むかし語りも違ふ事故。余人の言の謬やすからんをおそれて又書つけ侍る。

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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp