用捨箱
《用捨箱下之巻》

   十一 下帯を手綱といふ
今の下帯を手綱といひし事。愚考を記して後経平子の春湊浪語を見るに。其説最細しければ。かい破捨んと思ひしが。近く。たんな。と音便にいひし事など。 俗書に見えたるは載られねば。其かたはしを記すべし。経平子義貞記を引れたり。今伝る寛永の印本には。鎧可着次第の事。 一番浴衣。二番小袖とあり。其後の刻本にも如此記して。手綱とは無。是は昔書写しゝ者。一番手綱とありしが解せざりし故。 私に浴衣と改めしものなるべし。鴉鷺合戦又曰鴉鷺物語。兼良公御作と云々。に。 鎧着用の順を記し給ひしには。一番手綱とあり。二番以下義貞記に違ふ事なければ。古き義貞記には手綱とありし事必せり。此ほか春湊浪語に見えたる書は略つ。
守武千句天文九年(町へいづるはいかめしく見ゆ
手綱をばかゝず袴はほころびて
今も下帯をしむるをかくといふ。たうさきをかくといふ事。古今著聞集に見えたり。又醒睡笑広本元和年間。五の巻に。
  宗長法師あるかたにとまり。暁いそぎかへるとて下帯をわすれおかれしを。持せておくりければ詠てつかはす。
  思ひきやおとすたづなの浜風に浪より高き名のたゝんとは
同書六の巻の軽口話にも。又手綱の事あり。宗長の歌といふはおぼつかなけれど。元和中までは此名のありし証とすべし。又近く正章千句に。正章は貞室初名也。
(相撲とりどりあかれこし中
かへさるゝかたみのたんな露けくて
正保四年の吟なり。是より二十年過て寛文の半一雪といふ者。茶杓竹と題する草紙を著し。正章を批判し。 此句を前の相撲に附ずと難ず。貞恕蝿打といふ書を作りて。是に答。たんなとは下帯の事なり。それを附ぬとはいかゞ。 とあるにて思ふに。正保の頃までは音便にてたんなといひ。寛文の頃はその名も人知らずなりしなるべし。 因に云。見聞集慶長中記。一の巻。下帯古にかはる事の条に。見しは昔愚老若き頃までは。はだの帯は麻布抔を四五尺程にきり。 中より二に割。わりたる方をば腰へ廻し。前にて結びたりしが。当世の下帯はかはりたり。中略。今は世上豊にて。 昔人ねりはぶたへ抔の和なる物を腰へ引廻し。片結びになせりといふ事あり。若き頃とは天正の半をさしていはれしなり。 かゝれば今の下帯の製は。慶長中ぞ始なるべき。
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坪田 敦緒 / tsubota@ep.sci.hokudai.ac.jp