| 註云。此時両皇子の御方の人々罷り出て。相撲の勝負に依り次の帝位を定めらるゝと云事は。 跡形もなき虚説にて。世俗の云ひ習はす誤なり。 |
| 或評曰。業平は良房公に家礼の所以あり。又二条后高子に密通す。旁摂家の威を畏れ。此の如く惟喬親王を人臣に下し侍ると云。 甚僻説と云つべし。紀氏の外祖に成まじき格式は。儒家故よく知て。痛はしながら斯く皇子を示し奉り。 親族も静めなしたる。其証拠は伊勢物語に所謂。忘れては夢かとぞ思ふ豈期や雪踏み分けて君を見んとはの歌の心にて明らかなり。 |
に尋常大人の精兵に等し。九つの年某に仕へ狩に召連るゝに。
山野を駆る事さながら虎狼の如くにして。力十人を合せ。勢五尺に余る。食飯事一日に五升。呑酒事一夜に斗斗。
相撲力術に勝者なく。軽捷兵道に比類なし。十六歳にして朝熊の山賊を唯一人向ひ三十余人順へたり。十八歳にて川崎の海賊の船十余艘。
是も一人にて奪得たり。猪に乗。豺を繋は毎日毎夜の戯なり。鯨を突
を得る事も猟者漁人の及ばぬ所。
惣じて奇代の勇士也とて人も称美し。某も心の及ぶ限は愛して扶持し候処に。去ぬる春某が独娘たる鈴鹿と申女を奪て行方不知落行処に。
元此姫は権現へ申子にて候故やらん。忽然として同じやうなる美女一人途中に顕れて。汝は長野の鬼丸ならずや。
我こそ誠の鈴鹿姫なれ。汝あはたゞしく父の舘を跋出しにより。捕違へて我侍女の中星野と云を負走るこそおかしけれ。
迚箇様に身を捨て女を奪う程ならば。誠の我を具しゆけかし。その女にも父母ありて悲歎は同じ事ぞと教訓しければ。
鬼丸驚き負たる姫をとある岩根に抱下して。両人の貌を熟々詠め比ぶるに。何れも同じ面の中に斯云れたる思ひなしか。
後の女の容儀少し勝れたるやうに覚えしかば。忽後の女を負替。深山を差て飛が如く行衛も不知失にけり。
鈴鹿は夢の心地して彼巌頭に忙然として立居たりしが。年老たる樵夫一人爰に来り。いかなる人ぞと尋し故。
童は長野の荘司が娘。しかしかの事にて今爰にあり。急ぎ古郷へ帰らんとするに分来し道を弁へず。又脚力も覚束なしと語りたりしかば。
彼翁それは権現元より女神。汝の身替に立玉ふなり。且又帰路は我しるべせん。此杖を突て帰るべし。
道を不迷。足も不疲。片時の間に帰宅すべし。神変不測の杖ぞやとて。ちいさき竹の笘を与え。今は何をか包べき。
我は鈴鹿の末社の神。白鹿の社と云者なり。今神勅を受。汝を扶く。猶此後も守るべし。鬼丸が事は公の沙汰に及ばん比ほひに。
又我都に上りつゝ内裏へ具に告奏し。神力を加へ退治すべし。心易かれと云捨て掻消やうに失にけり。
姫一々に納得して。鈴鹿の方八拝九拝し彼杖を突。片時が間に安々と帰り候也。其後権現鬼丸を打捨玉ふにより。
鬼丸怒て山賊共を語らひて其大将となり。又鬼と世上に披露し。禰宜神主と追出しつゝ社頭以己が臥所とし侍るに。
未神罰あらざるは一旦神も鬼丸を誑し玉ふ子細ある故。人の手を借玉ふならん。弥某に被仰付被下候へかしと所望す。
別当熟々聞之。偖は先夜の夭歌も彼白鹿神たるべき歟。又鬼の事此物語に一々落着したりとて。国司の使者を長野に添て急ぎ帰国し。
鬼にても鬼丸にても追討し。吉奏早く待ぞとて官符を添てぞ下しける。斯て長野は国に下着し。先国司に出。
京にての荒増を語り。此度は荘司が手勢百余人を先陣として。是は終始鬼丸一人を捕約にて。以前亡し山賊の余党はいかほど有と云共。
国司の後陣二千余騎にて洩さず打留侍るべしと示合て発向し。山を包て卜責に太鼓を打立。鐘を鳴し。岩根を叩き。
木草を攀て攻入けれ共。今は早。前の軍に多くの賊徒亡果たる跡なれば。敢一人もなかりしが権現の社壇の内よりも時々矢を射出す故。
偖は敵社頭に有とて。惣軍勢一手に成て拝殿迄鬨を造て責付しかば。俄に拝殿の板敷を打被つゝ二人の賊各鬼面を着しつゝ。
甲冑とても鬼の如くに出立たる者這出て。忽面も装束も脱捨令降参しかな。国司遥に是を見て人を走らせ。
命を助け我馬の前に召寄て直に子細を問ひしかば。二人の鬼の化ぞこなひ詞を揃て申けるは。先度の合戦に打洩されたる山賊十余人あり。
されども其後は此山に在ても所益なき故に。皆々他国へ落行て今当山に残る者は我々二人計にて。大将共に三人なり。
我等命を助けられば。大将の有家并に討つべき方便をも教へ参らせんと云。国司大に悦て。先づ汝等が命の有無は我胸臆に有事なれば。
必ず疑事なくして命は助かりたりと思へ。次に鬼丸はいづくに有ぞ。二人答へて曰。最前矢を如射出社壇にあり。
されども匿道ある故に。それを不知人々の憖に責めかゝるとも却て其功不可有。よくよく被示合て不討洩やうに覚悟し玉へかしといへば。
国司長野を招き寄。此旨を語りしかば荘司大に悦て。其抜道の出口は某罷向ていかやうにも仕留可申間。表をば殿の人数に厳しく責めさせ玉はり候へとて。
彼降人に抜穴の所を聞澄して。逞兵五十余人を
て穴の口へぞ向ひける。斯て国司の胴勢は楯を一面に被き連。
正面の石の階より責登しかば。社壇の扉を細目に開けて鬼丸は八人張の大弓にて。十八束も有んと覚しき大矢を射出す事雨の如し。
御方の兵此矢一つに二人三人射抜れしかば。楯も鎧も堪らばこそ。さしもの大軍是に白気て道は狭し谷は深し。
尻込してこそ控へけれ。国司遥に是を見玉ひ。敵の弓勢強ければ御方責寄難き也。誰かある。あの社壇の扉を此方より射閉候へかし。
箇程の時節に霊神争か御座べきやと宣ひしかば。畏るとて阿野の何某兄弟二人立出て。左右に双で両の扉をはたはたと遠矢に射閉ぢたれば。
其後敵の矢来らず。偖も射たりや射たりやと誉て。惣人数一度に攻近付。分内狭き社壇の辺を稲麻竹葦の如く囲て。
我も我もと高声に比興者。何とて出合ぬぞ。多勢を恐るゝ者ならば。一騎掛りに勝負をせんと口々に
たりけれ共。
更に音せず成にけり。音のなき社道理なれ。鬼丸は早抜穴より抜んと裏へ廻る所に。長野は兼て用意したる鞠掛網以て。
穴口幾重も張置を夢も不知。一ッの鬼静々と這出ける処を。すはや鬼よろ云程こそあれ。土蜘を捕例如。件の網打掛打掛。
後は貌の見えぬばかりに釼鉞共に包尽て本陣さしてぞ帰りける。国司大に悦て箇様勇士を牢獄などへ入とも若破やせん。
唯速刺殺とて。大勢戈突殺。其一突の度毎
ける声。鐘響聞て誠の鬼も箇程にはよも非じと覚えて恐しかりける形勢也。