こちら神戸の山ん中

鵯越墓園


 64区の無縁墓群、ざっと歩いてみた。少なくとも十指に余る力士の墓があるはずだが、見つけることができたのは次の 5つ。
 左から、浅尾崎・松尾川長七・宝山勝之助・千歳山政五郎・鳴神音右衛門である。古くは天明、新しいにしても文政までということになるが、筆者は彼らについて全く知るところがない。旧墓地はここまで。

 新墓地はさらに広大、自分の足で歩くにはちょっとしんどいというのが本音。ちょうどお彼岸の季節ならば、園内循環バスの本数も多くて、ありがたい。 その新墓地の中の無縁墓群は「もくせい区」の名である。整然と並べられた夥しい数の墓の左側、黒ずんで目立つ墓が「島ヶ崎与吉」という力士の墓である。

 新墓地は全ての区に花の名をつけてあり、それぞれが広大なのである。バスが山を登っていく。しかも、新しく開かれつつある区もあるようだ。

 「たちばな区」の最も手前、やや右寄りのところに、「一之関辰右衛門墓」が建っている。 一之関辰右衛門は、享和 2年から大坂相撲に出ていた上取り力士。文化 9年 5月の番附までその名が見られるが、 左側面に「文化九年申五月十八日」とある通りで、現役で亡くなっている。

 さて、「じんちょうげ区」には昭和初期に幕内に上がった開月勘太郎と、元治元年という非常に古い有熊勘右衛門、 ともに「勘」がつく力士の墓があるはずだったが、勘が外れたものか、全く見つからずに終わった。

 以上、 2回かかって歩いた結果である。移転の震災のといった転変を経て、よくぞこれだけ残ったものだと思う。


筆者の再訪問日:平成19年 3月17日・この文もその当時の資料によっている。
前頁へ  前画面に戻る