横綱伝 五條家免許
1人目 玉垣 額之助大関伝・玉垣へ

2人目 柏戸 利助大関伝・柏戸へ

3人目 稲妻 雷五郎横綱伝・稲妻へ

4人目 陣幕 久五郎横綱伝・陣幕へ

5人目 小野川 才助横綱伝・小野川へ

6人目 八陣 信藏横綱伝・八陣へ

7人目 兜潟 弥吉横綱伝・兜潟へ

8人目 高越山 谷五郎横綱伝・高越山へ

9人目 境川 浪右衛門横綱伝・境川へ

10人目 朝日嶽 鶴之助大関伝・朝日嶽へ

 明治11年 6月場所の後、朝日嶽は地元山形県を巡業した。大関として、弥が上にも人気は盛り上がる。 県令三島道庸(のち警視総監)は無類の相撲好き、せっかくだからと三島は手厚くもてなす。 年齢も年齢で引退も間近だろうと思われる朝日嶽に対して、地元だけでもよかろうから横綱土俵入りをさせるのがこの上ない計らいになろうと考えた。 この時の東村山郡長五條為栄(ためしげ)は、相撲の家元五條家の二十三代目である。早速呼び寄せて朝日嶽の横綱を斡旋、 というよりは県令と郡長の地位の差で命令を下したのであろう。山形県内に限っての横綱を免許してもらった。 行司六代伊之助、太刀持ち朝見洋、露払いには酒田野を従えて、県下各地で土俵入りを披露した。 その後巡業は宮城に入るが、勧進元が喰い下がる。朝日嶽の報告により、改めて「陸羽地方」の横綱も免許してもらって土俵入りを継続している。 吉田司家にも請願が出されたものの、その間に朝日嶽は病気となって引退してしまい、その請願は等閑となってしまったが、 朝日嶽にとっては五條家免許による横綱土俵入りは力士最後の栄光として司家免許以上の意味を持つ。
11人目 梅ヶ谷 藤太郎横綱伝・梅ヶ谷へ

12人目 礒風 音治郎横綱伝・礒風へ

13人目 小錦 八十吉横綱伝・小錦へ

14人目 大碇 紋太郎横綱伝・大碇へ 大関伝・大碇へ

15人目 若嶋 權四郎横綱伝・若嶋へ

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