遊牧の公僕 完結編 〜と或る住所不定公務員の生涯〜 ※この物語は完全なるフィクションであり、実在の人物や組織とは一切関係ありません。 ※この物語は長い上にオチはありません。 ※いろいろと突っ込みどころはあるでしょうが、憤死せず華麗に軽くスルーして下さい。 0.プロローグ 「おじいちゃん、何見てるの」 今年8歳になる孫娘が、胡坐で座っている自分の右後ろからひょっこり顔を出したのを、 テントの暗いランプが照らす。 「うん、これかい。これはじいちゃんの大事な宝物なんだ」 ふーんと言いながらあどけなく首を傾げ、孫娘は私の手の中に抱かれた蹄鉄の付いた首 飾りをじっと見つめる。 「時代が動いた証というのかな、それと同時に過去からの暖かい贈り物でもある、とに かくじいちゃんにとって特別なものなんだ」 私の独り言にも似た答えは、ますます孫娘を混乱させたようで、小さく口を開けたまま 固まってしまっていたらしい。 「らしい」と言っているのは、私の意識はまるでブラックホールに引きずられるように、 既に別の所―過去の戦いの日々―へと誘われていたからだ。 ・・・ 1.訪問者 あれから私の「左遷状態」は長く続いた。 無為な毎日の繰り返しが未来永劫にわたって広がっていくかのようにすら思えた。 勤務十五年が過ぎた頃には、夢は見ているうちが幸せなのだと、諦観の境地に達した。 あの日、昨日と変わらない、平穏で退屈な日として終わる筈だった。 日が長くなり春の予感を感じさせる霞み渡る夕空の下、鼻歌を歌いながら私は愛馬にお やつを与えていた。 日頃鍛えてきた私の全感覚が突如気配を感じた。 振り向いた先には、私の同期のFと、見知らぬ男が立っていた。 「Fか、珍しいな。こんな所でさぼりか」 私は冗談好きなFにいつものようにおどけてみせた。 しかし、どうもいつもと勝手が違う。 Fは今まで見たこともない、真剣な表情で、早足に私の元に近付いてきた。 そして一呼吸置いて、はっきりとした口調で告げた。 「A、済まないがG国に飛んでくれないか」 いよいよ国外追放か、と私のやさぐれた心は思った。 最年少で部長となったこの鋭すぎる男は、私の表情を瞬時に読み取り、 「A、勘違いするな。お前の力が必要なんだ。ここで話すのもなんだ、ちょっと俺の部屋 まで来てくれないか」 私は初めて部長室という所に入った。 Fの横には相変わらずあの見知らぬ男がいる。 Fは再び私の表情を瞬時に読み取り、 「ああ、紹介が遅れた。この方はG務省のHさんだ。」 H氏の名刺を頂きつつ、鈍い私もようやく事の重大さを察した。 G務省の相当な肩書の人間が、うちの組織にわざわざ足を運んでくるなんて、おそらく十 年に一度あるかないかだろう。 ドアの外にはH氏の部下と思しき若い男も一人控えている。 私が名刺を見終わると、H氏は早速話を切り出した。 「Aさん、G国のことはご存知ですか」 「遊牧民の国、でしょうか」 半分冗談で答えたつもりだったが、H氏は大きく頷き、 「その通り。然し、そうだったと言うべきでしょうか」 「とおっしゃると、もしや・・・」 「はい。G国も政府主導の下、急激な経済発展を遂げました。然しそれはあまりに急激で あり過ぎた。多くの草原は乱開発され、首都から遠い草原と、砂漠地帯だけが未開発地 として残されました。そして遊牧民の人々は自らの文化を捨て、現代人と同じ暮らしを 始めました。馬に乗れない『遊牧民』が当たり前になりました。残念ながら、G国の遊牧 民の生活、文化は壊滅寸前です」 今までいろいろ失って大抵は動じない私であったが、久々に強い衝撃を受けた。 G国の遊牧民が消えてしまったら、一体どこの国に遊牧民が残っているというのだろう。 H氏は出されたお茶を少し口に含んでから、話を続けた。 「G国もさすがにまずいと思ったようです。いわばアイデンティティの喪失につながるの ですからね。G国は遊牧民文化の復興に乗り出しました。しかしそれはあまりに遅すぎま した。自力更生が無理なレベルまでに事態は進んでいました」 H氏はもう一度茶を口に含み、姿勢を正した。 「G国はプライドを捨て、自国の文化回復の支援を周辺各国に申し入れました。まさに前 代未聞のことです。今のところ名乗りを挙げている国はありません。そしてその要請は 我が国にも来ています」 H氏の訪問の意図を悟り、私の血が騒いだ。 「私の力が必要というのはそういうことだったのですね」 それまで黙っていたFが興奮気味に話した。 「そうだ。A、お前には『ラスト遊牧民』としてG国に向かって貰いたい。うちの組織、 いや我が国の代表として、だ。これはG省、ひいては政府の意向でもある」 2.海の向こうの、果てしなく広い国(前編) 冷静に考えれば、単身でG国に渡って危機を救えという、極めて無茶苦茶な辞令であっ た。 厳密に言えば、G務省G国大使館から専属の通詞が私に付くらしい(初めての部下である)。 ともかく無茶苦茶な辞令であったが、私の心は未だかつてないほどに熱く燃えたぎって いた。 同胞を救うという使命感が、私を衝き動かしていた。 また、Fの「政府の意向」という言葉が私の涙腺を強く刺激した。 私は一つの戦いに勝った、と思った。 普段外面ばかり気にしている我が国の政府だが、遊牧民という存在にようやく目を向け てくれた。 政府に遊牧民を理解してもらえる絶好の機会である。 私は意気揚々人生初の飛行機に乗り込んだ。 ちなみにG国に入るに当たり、私にはクリアしなければならない問題があった。 私はこれまで遊牧民として、住所不定を貫いてきた。 海外に渡航するに際しては旅券が必要になるが、その申請にはどうしても住所が必要と なる。 然しながら私は普段テントで移動しながら生活をしている。 その点について、私はFとH氏にG国渡航を告げられたすぐ後に相談した。 F曰く、 「山林の中にテントを作り、そこを住所にした人がいるという話を聞いたことがある。 T山の周辺はAの先祖が代々持ち続けた土地だろう。申請するのに一切問題ないんじゃな いか」 またH氏曰く、 「G国の遊牧民は、冬に長く同じ場所に居留しているそうです。そしてそこを住所とし ているそうです。そういう前例があるわけですから、Aさんもそうすれば良いでしょう」 二人の心強い味方に励まされた私は、翌日には役場へ向かって問題なく住所登録を済 ませ、続いて旅券の発行を行なった。 こうして私は名実ともに「住所不定」ではなくなったのである。 日本からG国まで直接飛ぶ航空便は存在しない。 一度I国にあるアジアのハブ空港を経由し、そこからやや小ぢんまりとした飛行機に乗り 換えた。 飛行機の揺れは眠るにはちょうど良い揺れなのだろうが、心の高揚感の所為なのか、な かなか睡魔はやって来ない。 幸い窓側の席に当たったので、雲間から見えるG国の平坦で広大な草原をじっくりと堪能 しようと思った。 乾いた大地を全力で駆けたならどれほど心地良いものだろうか。 我が愛馬と共に来たかったものだ、と心底から思った。 しかし窓からは家一軒ない広大な大地ではなかった。 直線的な道路、建設中のビルや工場があちこちに存在している。 T市で見た開発の津波そのものだと思った。 やはり愛馬を連れて来れなくて正解だったのかもしれない、と少し悲しい思いがした。 G国の国際空港に着いたのは夕刻であった。 入国審査はさぞ時間がかかるのだろうと思っていたが、以外にも数分足らずで終わった。 どうも入国審査官が私の服装を見て、私をG国から日本に帰化した人間だと思ったらしい。 入国者のレーンで待っていたら、スタッフに手招きされて帰国者のレーンへと連れて行 かれた。 あちらはいろいろ勘違いしてネイティブのナチュラルスピードでいろいろと話し掛けて きたが、私にはさっぱり分からない。 ただ何となく感じたのは、遊牧民が物珍しい、ちょっとした憧れの対象になっているら しいということだ。 取り敢えず微笑みを湛えながら頷いていたら、いつの間にか審査は完了していた。 実に大らかな国であるなと私はある種の感動を覚えた。 それと同時に、今やこの国において遊牧民は当たり前の存在ではなくなっているらしい という切ない事実にも気付かされた。 私の所属する組織から十分な旅費が与えられてはいたが、どうもホテルに泊まると言う のは私の性に合わない。 空港から暫く歩くと、家はやや疎らになり、ちょっとした草むらが広がってきた。 牛革の鞄の中に仕舞ってあったテントを取り出し、手早く組み立てる。 やはりいつものスタイルが一番体に合っている。 内陸特有のひんやりと乾いた夜の空気を肌に感じながら、眠りに就いた。 翌朝、H氏から事前に貰っていた地図を頼りに日本大使館に向かった。 守衛さんに名を告げると、数分もせずに一人の小柄な男が車に乗って姿を現した。 「Aさんですね、Hから話は聞いています。私は通詞のJと申します、どうぞ宜しくお願い します」 そう言えばJ氏は日本で一番G語が堪能な男だ、とH氏は言っていた気がする。 私は日本語と英語以外は一切ダメであるから、何かと心強い。 今日はG国の大統領Kと会うことになっていた。 大統領は気さくな好人物だった。 会うとすぐさま歓待の宴が催された。 羊肉、乳製品を中心とした食事や馬乳酒などが供され、私とJ氏はそれらを心から楽しん だ。 K大統領はG国の文化、内情について冗談を交えながら解説してくれた。 私も日本における遊牧民の現状と課題について、詳しく説明した。 J氏の素晴らしい通訳もあってか、K大統領は時々深く頷きながら、真理を突く鋭い質問 をいくつも投げかけてきた。 宴もお開きとなる頃、K大統領は私の手をとり、真剣な表情で 「私は貴方を頼りにしている。私は何があっても、君の味方であり続けるよ」 と述べた。 実に有意義な一日であった。 翌日から私たちは各地の遊牧民の視察と遊説に出かけることにした。 遊牧民と言ったが、J氏やK大統領によると、純粋な遊牧生活を送っている遊牧民はもは や数えるくらいしかいないとのことだ。 多くの「遊牧民」は都市部に定住し、現代人と変わらぬ生活を送っていると言う。 彼らを説得し、再び遊牧民に戻ってもらうこと、そして私のこれまでの遊牧民としての 経験を活かし、彼らを支援することが今回のミッションである。 K大統領からは遊牧文化復旧の補助金を提供する旨を約束されている。 金銭と言う確実な説得材料があることは大変心強いことである。 先ずはG国の首都付近に住む遊牧民のエリートや名士に会うことにした。 馬での移動を希望したが、J氏は馬に乗れないとのことで、やむを得ず車で移動すること となった。 その日の午後、エリート遊牧民の一人であるL氏と会見した。 お互い挨拶を交わした後、早速本題に入った。 私は同じ遊牧民として危機を救いたいと言う思いの丈をぶつけた。 G国政府も支援に前向きであることも伝えた。 J氏の通訳も実に冴えわたっていたように思う。 当時の私はベストを尽くせたと思っていた。 しかし世界はそんなに簡単に物事を成就させるようには出来ていなかった。 L氏は話を聞き終えると、悲しい笑顔を浮かべて、徐に話し始めた。 「先ず貴方には御礼を言いたい。しかし私は元の生活に戻るつもりはない。政府によっ て多くの遊牧民の生活が犠牲になった。政府をそう簡単には信用しようとは思えない。 それに一度現代人の生活に馴染んでしまうと、そこからはもはや戻れないのだ。遊牧生 活よりもはるかに安全だし、あまりにも便利過ぎる。戻りたいと言う気持ちがあっても、 現実的には電気も水道もない生活には戻れないのだよ」 私は反論しようとした。 しかし彼の気持ちがあまりにも良く理解できた。 私自身が経験し、一番良く知っていることだった。 私は相当に強い覚悟を持って、現代文化に抗いながら生きて来たのだ。 そのことを遊牧の人たちに強制することが出来ようか。 L氏は申し訳なさそうに退席していった。 私とJ氏は暫くの間、そこから動くことが出来なかった。 その後も遊牧民の間で影響力のあるエリートや名士と会った。 しかし彼らも異口同音に元の生活に戻ることの不可能性について言及した。 私たちは暗澹たる気分に陥りつつあった。 そしてある名士の発言が私たちの不安を増幅させた。 「政府が支援すると言っても、それは気まぐれに終わるだろう。最近K政権の支持率は下 がりつつある。数年後には別の政党の人が大統領になっているかもしれないね」 政治的な機微に疎く浅学な私が悪いのではあるが、これは寝耳に水の、大きな誤算であ った。 政府の支援は人々にとってネガティブな材料にすらなっていたようだ。 早くも私たちの事業は壁にぶつかってしまったのだった。 それから数か月後のある日、私たちは何とかくじけずに郊外で遊説活動を行なっていた。 昼食をとった後、少し町を歩いていると、遠くから私の名前を呼ぶ声がした。 振り向くとどこかで見たことのある人物だった。 駆け寄ってきたその人の表情に余裕はなく、焦りと怒りと絶望をない交ぜにしたような 複雑な表情をしていた。 悪い知らせに違いないと直感的に思った。 「Aさん、私はK大統領の部下でMという者です。大統領と会見したときにお目にかかりま した」 「ああ、思い出した。こんな所で会うとは、何かあったのですね」 M氏は目を閉じ、深呼吸をしてつとめて冷静に語った。 「落ち着いて聞いてください。今朝、首都でクーデターが起きました。首謀者は遊牧文化 復旧主義に反対する政治家・軍人たちです。首都は陥落し、K大統領は私にAさんに事態を 伝えるよう命じました。K大統領は隣国に亡命すると言っていましたが、行方は分かって いません...」 私は声すら出せなかった。 あの名士の発言を聞いて以来、政権交代の覚悟はしていたが、こんなに早くその事態がや ってこようとは思わなかった。 「Aさんにはわざわざ我が国に来て頂いたというのに、このような事態になってしまい、 何とお詫びして良いのか...」 M氏は遂に抗しきれず、その場に泣き崩れた。 政権の瓦解により、いよいよ私たちは遊牧文化復旧の支援と言う大義名分を失ってしまっ た。 急遽宿泊しているホテルに戻り、J氏、M氏と三者でこれからについて話し合うことにした。 冷静さを取り戻したM氏は静かに切り出した。 「Aさん、この度は誠に申し訳ない事態となりました。そしてこの状況ではクーデターを 起こした者たちに狙われかねません。出来るだけ早くここから脱出し、生きて帰って下さ い。それが私の願いです」 それに続いてJ氏も発言した。 「Aさん、私もG務省の代表として大変申し訳なく思っています。こうした事態を察知でき なかったのは我々の怠慢と言わざるを得ません。こうなった以上は、Mさんの仰る通り、 無事に帰国なさってください」 私は少し考えてから、 「確かにこの事業をこのまま続けることは難しいでしょう。ですが、私としてはこのまま 諦めたくはありません。この国には宗旨替えしてしまった遊牧民もいますが、未だ遊牧民 の誇りを捨てずに生きている人たちも居るはずです。同じ遊牧民として、苦境の中必死に 生き抜いている同胞を救いたいのです。それにそもそも私が命を狙われる理由などないの です。私は文化を守りたいと言っているに過ぎないのです。その文化は別に人類を滅亡に 追いやるような凶悪で危険なものであるわけでもない。文化を守ることがクーデターをし た人々にとってどんな不都合があると言うのでしょう。それがどうして殺される理由にな るのでしょう。それで殺されるのだとしたら、彼らの将来は決して明るいものではない」 J氏とM氏は明らかに驚きと困惑の表情を浮かべていた。 私は苦笑しつつ、 「お二方を困らせているようで、大変申し訳ありません。自分でも無茶苦茶なことを言っ ているのは百も承知です。正直に言えば、私はまだこの国で正真正銘の遊牧民とは出会っ ていない、なので帰国するにしても、その前に正真正銘の遊牧民に会っておきたい、とま あそういうわけです。それに厳しい自然の中で生きてきた遊牧民たる者、死ぬ覚悟などい つでも出来ています。なあに、刺客が来ても、この弓で追い払って見せますよ。これでも 人よりは弓に自信があるつもりですのでね」 ようやく笑みを浮かべたJ氏とM氏は、二人で暫く話し合った後、静かに頷き合った。 J氏曰く、 「分かりました。Aさんがそこまで覚悟しているのなら、我々も覚悟を決めましょう。Aさ んの行く所、どこまでも付いていきます。ただFさんとHさんに事情は説明しておきましょ う。彼らなら何か善後策を考えてくれるかもしれません」 私は二人の手をとり、感謝の意を述べた。 私は本当に人に恵まれていると、心から思った。 そしてM氏は 「Aさん、ちょっと遠いですが、西の方の山岳地域へ行ってみましょう。そこにN族と呼ば れる少数部族がいます。彼らは正真正銘の遊牧民です。会ってみる価値はあると思います。 それにクーデターを起こした輩もわざわざそこまではやって来ないと思います」 それは名案だとJ氏も大きく頷いた。 一旦奈落の底へと落とされた私たちであったが、非常事態の中で僅かな光明を見出したの だった。 そしてこの決断から、数々の奇跡が生まれたのである。 3.海の向こうの、果てしなく広い国(後編) こちらから連絡を入れるより前に、F氏はホテルに国際電話を掛けてきた。 C省やG務省にもクーデターの情報は伝えられたらしい。 こちらの状況を伝えると、Fは珍しく悩ましげに、 「A、困ったことになったな。この事業はあくまでG国の要請を受けてのものだったわけだ が、その意味で意義を失ってしまった。そうである以上、本来的にはお前を呼び戻さなけ ればならない。だがお前のことだ、ただでは帰る気はないのだろう」 「ああ、私はこのまま残るつもりだ。同胞を救いたいという気持ちに変わりはない」 電話越しにF氏は大いに笑っていた。 「お前という奴は、本当に上司泣かせだな。組織の都合なんて知ったことはないと言うこ とか。まあいい、それならこうしよう。本事業は終了する。但しお前はしばらく休職とい うことにする。理由はそうだな、現地で相撲を取って複雑骨折、同時に両アキレス腱を切 って現地で療養ということにしておこうか。とりあえずそちらの病院で診断書を書いても らって、送ってくれ。これでまあ数か月くらいはそちらで活動できるだろう。その間に人 事に働きかけて、お前をG務省G国大使館職員として出向させる。それでいいな」 本当にこの男はいろいろと鋭い。 心の底からFに感謝した。 翌日から三人の旅が始まった。 ちなみにJ氏も「事業失敗に伴う鬱病発症」という名目で休職扱いとなった。 M氏の親友が院長をしているという病院へ行き、「診断書」を書いてもらい、最寄の郵便 局から日本宛に送りつけた。 院長は「こんな元気な複雑骨折者と鬱病患者を未だかつて見たことが無いな」と言って、 豪快に笑っていた。 後顧の憂いを断った三人はいよいよ西へ向かった。 最初は車で舗装された道をひたすら進んだ。 そのうち道の舗装は無くなり、さらに道も無くなって草原となった。 ここから先はガソリンスタンドもほとんど存在しない地域となる。 「Jさん、申し訳ないが、ここからは馬に乗ってもらうよ」 私たちは車での移動を諦め、近くの街で食糧と水と馬を買うことにした。 M氏は乗馬の心得があったらしく、無難に乗りこなした。 一方初心者のJ氏は、誰もが通る試練であるが、暫く馬に遊ばれた。 とりあえずJ氏のペースに合わせて、ゆっくりと草原地帯を進んだ。 J氏は続いて数日間、誰もが通る試練であるが、馬酔いに苦しんだ。 とりあえずJ氏に合わせて休みを多めにとりながら進んだ。 J氏は続いて数日間、誰もが通る試練であるが、鞍ずれに苦しんだ。 とりあえずJ氏に合わせて移動時間を少しずつ長くするようにした。 馬で移動してからは必然的にテント生活をすることになった。 M氏もJ氏も最初はテント生活には慣れなかったようであるが、数日もすると立派に「遊牧 民」へと変わっていた。 途中、野兎などを仕留めて、彼らに料理を振る舞った。 最初はやや躊躇いがちだったが、数日もすると彼らは実に美味しそうに食していた。 草原地帯の途中から、彼方にてっぺんの白い、美しく青い山脈が見えてきた。 いよいよN族の領域は間近にある、そう思うと私の胸は高鳴った。 そして白く青い山脈が間近に迫って来た頃、突如として目の前に数多くのゲルが姿を現し た。 その情景を見て、私は感動のあまり思わず目頭が熱くなった。 正真正銘の遊牧民に出会えるとは、まるで夢を見ているようにも思えた。 ゲルの近くにいたN族の若者たちは、私たちの姿を認めると、敵意を現すこともなく、ま るで遊びに来た親戚を迎えるように、手を振って来た。 何と純粋な若者たちであろうかと感じ入りながら、私は馬を降り、それに応え大きく手 を振った。 若者たちは私たちに近付いてくると、抱擁を求めてきた。 それが友好の挨拶なのだろうと思いながら、私はそれに応えた。 後で知ったことだが、手を振って返さない者、抱擁に応じない者は敵対者として追い返し て良いという暗黙のルールが存在していたらしい。 私たちは期せずしてそのルールをクリアしていたらしい。 「旅人よ、ここまで良く来た。ここで一晩泊まっていくと良い。先ずは長老に会ってくれ ないか」 ここでもJ氏の通訳が大いに役立った。 J氏曰く、N族の言葉は標準のG国語に比べて相当訛っているらしいが、会話には支障はな いと言う。 若者たちに誘われて、黄色い旗が頂で風にたなびいている最も立派なゲルへとやって来 た。 入り口で一礼して中に入ると、年齢は80を優に過ぎているだろうか、小柄な老人が椅子 に座っていた。 その小柄な老人は私を見るや、驚きの表情を浮かべて突然立ち上がり、目を見開き、 「A、まさかAなのか」 と私の苗字を呼び始めた。 一瞬何が起きたのか分からなかった。 未だここに来て誰にも自分の名前を告げていない、というより告げる暇がなかった。 J氏、M氏の方に目線を送るが、彼らも驚きを隠さず、首を横に振る。 「よく帰って来てくれた、我らの恩人よ」 長老は私の手をとり、うっすらと涙を浮かべる。 それを見た若者たちはざわめき立ち、一斉に私たちに尊敬の眼差しを向けた。 私は訳が分からなくなり、長老に尋ねた。 「長老、畏れながら私の記憶が間違っていなければ、貴方と私は初対面ではないかと思い ます。にも関わらず貴方は私の名前をご存知でした。これは一体どういうことなのでしょ うか」 長老は何度かまばたきをした後、 「そうか、考えてみればAがこんなに若い筈がない。すると貴方はAの親族の方かな」 と言った。 私はいよいよ混乱して、 「私の親族?私の父母、祖父母は少なくとも日本の外には出たことが無いと言っていまし た。そうすると長老は日本にお出でになったことがあるということでしょうか」 すると長老は首を横に振った後、期待を込めた表情で、 「貴方の親族にOという名前の方はおられるかな」 と問うた。 「そ、それは曽祖父の名前です!長老は曽祖父を御存知なのですか!」 「おお、やはりそうであったか。貴方はAOに実に良く似ている。そう、AOは私の兄のよう な存在であり、私たちの命の恩人だったのだ」 私の曽祖父は、私が6歳の頃に78歳で亡くなった。 頭の中でいろいろ計算すると、この長老は100歳前後ということになる。 何と言う健康的な長老であろうか。 それはさておき、私は子供の頃の記憶を呼び起こしていた。 曽祖父母は昔の話を私にいろいろ聞かせてくれた。 曽祖父が若い頃、日本は戦争をしていて、馬と弓に優れていた曽祖父は軍人となった。 そして曽祖父は曾祖母と結婚直後から終戦まで、「海の向こうの、果てしなく広い国」に 住んでいたと言っていた。 この「海の向こうの、果てしなく広い国」がG国だったということか、と私の中でようや く何かがつながった気がした。 それにしても何と言う偶然だろう。 長老は再び私の手をとると、 「とにかく良く来てくれた。これはきっと天の思し召しに違いない。いろいろ貴方と話が したいが、先ずはこの奇跡の出会いを祝おう」 と長老は皆に宴の準備を命じた。 宴は長老のゲルの中で夕刻前から始まった。 ゲルの一番奥に長老、その左隣に私、J氏、右隣にM氏が座り、M族の人々は以下向かい合 わせに座った。 N族の人々は次々と長老、そして私たちの前に現れ、馬乳酒を注ぎにやって来た。 彼らは私たちに尊敬の目を向けながら、親密に話しかけてくる。 何とも面映ゆい心地がしながらも、私は温かな気持ちになっていた。 次々とやって来る人々の中で、今度はただならぬ風格を備えた父子と思われる二人の男 がやって来た。 長老はそれを見て、 「Aさん。私の子のPと孫のQです。言ってみれば、貴方の父と兄弟のようなものだ。どう ぞこれから宜しく頼みます」 P、Qの両氏が一礼したので、私も姿勢を正して深々と頭を下げた。 P氏はおそらく齢70くらいであろうか、年齢を感じさせない屈強な体つきをしていた。 Q氏はおそらく私と同年代であろうか、聡明そうな澄んだ瞳をしていた。 先程聞こうと思っていたことを長老にぶつけてみた。 「長老、貴方は我らの恩人とおっしゃいました。私の曽祖父はこの地で一体何をしてきた のでしょうか」 長老は優しい笑みを浮かべ、 「Oは軍人としてこの地にやって来た。私たちは我々の平和を乱すものとして、警戒して いた。ところが、Oはちょうど貴方と同じように、数人の部下とともに馬でやって来た。 ただ武器は持っておらず、片手に日本の酒を抱えていた。そして一言、先ずは共に飲み ましょうと言ったのです。私はまだ十代の少年だったが、この人は只者ではないと感じ ました」 長老は少し上を向いた後、懐かしむように再び語り出した。 「それからOは、この地を治める者として、我々が豊かに暮らせるよう努力をしたいと言 ってくれたのです。我々は彼からいろいろなものを教わりました。鉄の採掘技術、より頑 丈な蹄鉄の作り方、我々を苦しめていたヨウ素欠乏症の予防法、麦の作り方・・・。私自 身もOからいろいろ教わりました。コマの作り方、せんべいの作り方、日本の弓道・・・。 彼は我々の英雄であり、救世主だったのです」 曽祖父はこの地で色々な足跡を残していた。 私だけが知っている筈の、曽祖父の知らない一面を思いがけず垣間見ることとなった。 するとQ氏は胸元から何かを取り出した。 それは小さな蹄鉄の付いた首飾りだった。 「Aさん、この蹄鉄は貴方の曽祖父が作り、私の祖父にくれたものです。私は小さい頃に これを祖父から譲り受けました。今でもこれは私の宝物です」 その蹄鉄は半世紀以上も前に作られたとは思えないほど、鈍く光り輝いていた。錆びにく く作られたものなのだろうが、それ以上に大切に手入れをされてきたのだろうと私は思っ た。 高緯度地域にあるG国の夏の夜は長い。 風に当たる為にJ氏と共にゲルの外に出ると、星で満ちた空の西の方はまだ少しだけ明る かった。 暫く外で空を見上げていると、Q氏が現れた。 「私も大分酔いましたので、休憩しに来ました」 私は軽く会釈し、少し考えてからQ氏に語りかけた。 「私の曽祖父はこの地で、遊牧民の文化を進化させるお手伝いをしていたのですね。ふた つの意味で私は驚きました。純粋に曽祖父がそのようなことをしていたとは知らなかった ので、大変驚いています。そして実は私が今回G国に来たのは、G国政府の遊牧民文化復旧 の要請を受けてのものでした。まあ結局頓挫してはしまいましたが。時代背景や事情が異 なるとは言え、期せずして私は曽祖父と同じような行動をとっていたのですね。全く不思 議な縁というか、ある種の運命的なものを今感じています」 Q氏は深く頷き、 「私も驚きました。祖父に深い縁のある貴方がこのような辺境の地に偶然やって来たのは、 ほとんど奇跡的なことだと思っています。私は祖父から貴方の曽祖父の話を聞いて育って きました。それで貴方の曽祖父に憧れ、私もN族の暮らしをより豊かなものにしたいと考 えるようになりました。そして父に無理を言ってM国の首都にあるM国大学で理工学につい て学びました。私はこれまで学んだ知識で、より豊かな文化を創造し、新たな遊牧民のス タイルを確立したいと思っています」 私ははっと気付かされ、ほとんど反射的にQ氏の手をとっていた。 「新たな遊牧民のスタイル、それがこれから私が求めるべきものだと、今気が付きました。 これまで遊牧民を止めた人々にいかにして元の遊牧民生活に戻ってもらうかを考えていま した。然しそれはどうも違うようだ。人々は便利な生活を手にして、もはや現代人の生活 から離れられないと言っていました。戻ってもらうのではなく、遊牧民のあり方自体を時 流に合わせて変えてゆくこと、これが求められることなのですね。Qさん、私もそれに是 非参加させてください。共に遊牧民の新たなあり方を創造していきましょう」 Q氏は大きく頷き、強く手を握り返してきた。 私の戦いは同志を得て、新たな局面を迎えようとしていた。 4.草原の夜明け それからQ氏との共同研究開発の日々が始まった。 先ず元遊牧民が何故戻れないのかについて、詳細に分析することから始めることにした。 結局彼らの発言を振り返ってみると、草原が減りゆく中で遊牧だけで生活することの厳し さ、自然災害の劇甚化により、被災すると遊牧民として立ち直れなくなること、水道・電 気・ガス・ネットなどのインフラが草原に存在しないことなどがその要因であるらしいこ とが見えてきた。 どれも難しい問題ではあるが、ひとつひとつ真摯に取り組んでいくことにした。 草原が減りゆく中で遊牧だけで生活することの厳しさについては、私自身が経験して良く 知っていることだった。 これには所謂保護区の設定が最も有効的な手段であるように思われた。 私は普段遊牧民居留地区(仮称)制定後の都市計画と動植物保護計画とその課題について工 学的・生態学的に考察していたので、それを活かす時が遂に来たなと感慨深く思った。 但し、同時にこれは政治の問題と連結していた。 現政権は遊牧民復旧主義の反対者たちであるから、この政治的問題をクリアしなければな らなかった。 私はM氏やQ氏の父であるP氏の力を借りながら、切り崩し作戦を行なうことにした。 情報を集めてみると、遊牧民復旧主義の反対者は、元の遊牧生活に戻ることで、M国の経 済成長が妨げられるかもしれないということに対して拒絶反応を示しているらしかった。 保護区を明確に設定すれば、彼らの進める開発とはバッティングすることはないし、私た ちの目指す新たな遊牧民のスタイルは言わば現代文化の良い所を採り入れようとする考え 方であったから、その点でも相容れないと言うことはなかった。 M氏やP氏はその点を遊牧民復旧主義の反対者に訴え、徐々に味方を増やしていった。 さらにM氏は亡命中のK元大統領の行方を探り当て、連絡を取り合った。 K元大統領もまた独自の切り崩し作戦を展開しようとしていたのだった。 遊牧民復旧主義の反対者は先に述べた通り、開発至上主義的な考えを持っていた。 彼らは開発を進める為に、あらゆる手を取ろうとしていた。 それがある意味で仇となった。 彼らの中には開発業者から当たり前のように金品を受け取り、入札談合や業者に都合の良 い法の制定などを実施している者もいた。 K元大統領はあらゆるメディアを通じて彼らの悪事を外部告発し、世界に彼らの非を訴え た。 これは実に強力な打撃を現政権に与えた。 クーデターを起こしてから2年、不満を爆発させた民衆たちによって現政権は崩壊させら れた。 K元大統領はM国に帰国し、民衆たちに歓迎される中、再び大統領の座に就いた。 K大統領は私の遊牧民居留地区(仮称)制定後の都市計画と動植物保護計画に大いに賛同し、 これらを重点政策として推し進めた。 かくして遊牧民の生活するフィールドとしての草原の縮小は食い止められ、遊牧民の減少 にも歯止めがかかった。 自然災害の劇甚化により、被災すると遊牧民として立ち直れなくなるという問題もある意 味で私の専門分野であった。 私は普段温暖化に伴う災害の激甚化が遊牧民居留地区(仮)に及ぼす影響について数理的・ 物理的に考察していたので、それを活かす時が遂に来たなと感慨深く思った。 G国で生じる主な自然災害としては、水害、雪害、森林火災、砂嵐、干ばつ、砂漠化など が挙げられた。 水害、雪害、砂嵐などの気象災害については、G国の気象観測システムの整備が不可欠で あった。 警報を出したり、予報を行なう為には、気象数値モデルだけがあってもどうにもならな い。 観測データがあって初めてそれが実現されるのである。 G国は日本に比べて国土面積が広い上に、レーダーなどの気象観測装置や日本のアメダス に相当する観測網の整備が大幅に遅れていた。 これらが改善されれば、相当な防災・減災が望める筈である。 予算的な問題はあるものの、日本や他の先進国の協力を得ながら、徐々にこれらを整備し ていった。 森林火災はG国にとって悩ましい問題であった。 他の災害同様、根本的にこれを生じさせないようにすることはほとんど不可能であり、事 後の防災・減災の対応が極めて重要となる。 近年は人工衛星を用いて森林火災を監視するといった応用的研究が日本や他の先進国で進 められていた。 人工衛星の開発にはそれなりの費用がかかるが、最近は廉価な小型衛星の打ち上げなども 進められている。 そこで小型の人工衛星を投入し、森林火災の監視を行なう体制を構築することとした。 森林火災が発生していないときには、これらを砂漠化や干ばつの長期的監視に用いること にした。 更にK大統領に自然災害の劇甚化とその対策について説明し、遊牧民で罹災した者に対し て一定の補助金を提供する仕組みとして「遊牧民災害復興基金」の設置を提案した。 K大統領はその必要性を理解し、これを受理した。 これらの取り組みにより、G国の災害対応レベルは格段に高まり、遊牧民を続けるリスク は大いに軽減されることとなった。 水道・電気・ガス・ネットなどのインフラが草原に存在しない問題はQ氏の専門分野であ った。 G国は広大な国土を持っているものの、人口は日本よりもはるかに少なく、インフラの効 率的な整備という意味では最も難しい状況にあると言えた。 しかも遊牧民は常に移動し続けるので、ある家にピンポイントで水道管や送電線を引くと いうことが困難であった。 Q氏はそれらの点を踏まえ、長年インフラの無線化の研究に取り組んでいた。 ここで重要になるのは、個々の遊牧民の集団とともにインフラ設備が移動可能であるとい うことであった。 電気については、太陽光、風力、バイオマスなどを統合した「可搬型発電装置」を開発す ることとした。 日本を含む先進国でクリーンエネルギーの市場規模は指数関数的に拡大していた。 発電装置の開発に協力すると名乗りを挙げた企業は十指で数えきれないほどであった。 水道については、塩水や川の水を飲み水に変えることが出来る自衛隊の浄水セットを改良 することとした。 具体的には浄水セットを小型化し、人間や馬で運べる大きさのものを開発した。 小型化は日本の十八番であり、日本の中小企業がその開発に協力してくれた。 ガスについては、ガスステーションネットワークの整備を進めた。 無人のガスステーションを一定の間隔で設置し、それらを出来る限りパイプラインでつな ぎ、自動的にガスを供給できるシステムを構築した。 ネットについては、複数の仕組みを実験的に整備することにした。 先ず衛星電話を利用した通信の仕組みを整備した。 但しこれは金額的、通信量的に限界がある。 通常の無線LANでは無線アクセスポイント・子機間の通信が行なわれるが、更に利用範囲 を拡大する為、子機・子機間の通信をフル活用してインターネットへ接続する仕組みを 整備した。これも子機間の距離が遠すぎる場合には接続できないという欠点があった。 そこで各遊牧民の集団でのみ使えるインターネットからはオフライン状態にあるネット ワーク、言わば各遊牧民部族固有のイントラネットの整備を進めた。 オフライン状態にあるネットワークデータベースを時々インターネットに接続すること で、必要な情報の更新を行なう。 情報の即時性などにおいて多少の不自由はあるものの、この仕組みであれば、草原の遊 牧民でもネットを利用することは出来る。 少なくともネット環境がゼロの状態だった遊牧民にとってみれば、大きな進歩だと言え よう。 こうして遊牧民たちのインフラ状況は大きく改善され、再び遊牧民に戻る人々が現れた。 私がG国に来て間もなく10年になろうとしていた。 遊牧民の新たなスタイルの確立という私たちの夢は、ようやく目に見える具体的な形を なしてきた。 少なくとも遊牧民の世界で、時代が動いたのだ、と私は感じていた。 それと同時に、私の中では日本に帰り、日本でも遊牧民の新たなスタイルを広めていき たいという思いが膨らみ始めていた。 その日、私はQ氏と夜明けまで酒を飲み交わしていた。 その頃には私も通訳なしでG国語を流暢に話せるようになっていた。 東の空が白み始めた頃、私は意を決してQ氏に告げた。 「Q、私はG国を離れようと思う。日本でも遊牧民の新たなスタイルを実践していきたい と思っている。君にはいろいろなことを学ばせてもらった。感謝してもしきれない。そ してG国における私たちの事業は未だ半ばにあると思うが、その半ばでこの国を立ち去る 私をどうか許してくれ」 Qは既に覚悟をしていたようで、さほど驚くこともなく、柔らかい口調で語った。 「Aがそう言う日がいつか来るだろうと思っていたよ。むしろ遅すぎたくらいかもしれな い。感謝したいのはむしろ私の方だ。私の方がより多くのものをもらった。ちょうどAの 曽祖父が私の祖父からいろいろなものをもらったようにね。寂しくなるが、これは仕方の ないことだ。どうか日本でも私たちの夢を育てていってほしい」 「またいつかG国に来る。その時は日本酒を抱えて、君の下にやって来るよ」 Qは寂しげに笑った。 それからQは胸元から蹄鉄の首飾りを取り出した。 そして私の手をとると、首飾りをちょうど包むように私と握手をした。 「これは本来君の手にあるものだ。私たちが夢の為に闘った証として、受け取ってくれ」 私は反論しかけたが、Qの強い眼差しを見て、素直に受け取ることにした。 私たちは暫くの間、徐々に茜色に染まってゆく東の水平線を見ていた。 「夜明けだな」 「ああ、この草原に夜明けが来た」 朝方の寒さすら忘れて、私たちは太陽が姿を見せるのを待ち続けたのだった。 ・・・ 5.エピローグ 私は帰国後、遊牧民の新たなスタイルの確立に身を捧げた。 私のG国での取り組みは、メディアを通じて日本でも広く知られていた。 多くの企業が私の研究・開発に積極的に協力してくれたし、新たに遊牧民になりたいとい う人々が私の下に殺到した。 彼らを一人前の遊牧民にすることは並大抵のことではなかったが、じっくりと時間をかけ て彼らに私の知りうることを伝えていった。 そして恥ずかしながら、私は齢50にして、新たに遊牧民になった女性と結婚した。 2男2女に恵まれ、今は8歳になる孫娘もいる。 最近、一通のエアメールが私の元に届いた。 それはQからの手紙だった。 30数年ぶりに見る彼の文字がとても懐かしく思えた。 『G国は再び遊牧民国家としての誇りを取り戻した。改めてG国を代表して、貴方に感謝申 し上げる次第である。G国は今年建国百周年を迎えた。その記念行事として、貴方を功労 者として表彰したいと考えている。どうかG国に来て頂けないだろうか。私も数年後には 生きているか分からない。最期に貴方にもう一度会えれば幸せである』 私も年を取り、大分足腰が弱り、馬に乗ることも容易ではなくなった。 体が元気な状態でG国に行けるとしたら、今年か来年が最後になるだろう。 そして何よりも、私も戦友のQと死ぬ前に会いたい。 私は家族や他の遊牧民たちと相談した。 そして私の長男夫婦と8歳の孫娘に伴われて、再びG国へと飛ぶことにした。 G国へ初めて向かう飛行機の中で、私は雲の間から「開発の津波」を見た。 私はそのことを思い出し、おそるおそるG国へ向かう飛行機の窓から外を見た。 雲の間から見えたのは、平坦な草原だった。 更に目を凝らすと、その草原の中に複数の黒い点が連なって見える。 それは馬の集団、いや馬に乗った遊牧民たちの姿だった。 G国の平坦で乾いた大地を全力で駆けている姿だった。 Qが言ったように、G国は再び遊牧民国家としての誇りを取り戻したのだ。 年を取り、忘れかけていた遊牧民の血が私の中で再び沸き起こる思いがした。 私が感慨に耽っていると、突然横から孫娘がひょっこりと顔を出してきた。 その首には小さな蹄鉄の首飾りがかかっている。 「おじいちゃん、何見てるの」 私は孫娘の手を優しく握りながら言った。 「じいちゃんの夢だよ、見終わった後も幸せが続いていく方のね」 〜完〜 ---- 登場人物 A : 遊牧の公僕 孫娘 F : Aの同期。最年少で部長になった。 H : G務省の偉い人 J : G務省G国大使館職員。Aの通詞 K : G国大統領 L : エリート「遊牧民」 M : Kの側近 長老 O : A の曽祖父 P : 長老の子 Q : P の子。長老の孫 参考 URL  http://neoearthlife.com/live-in-a-tent-697.html  http://ameblo.jp/mongol/entry-10437514275.html  http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/monitor/15m_hokoku/mongolia/mongolia_06_main.html