これを日記と呼んでいいものか

手裏剣

現在修士1年の冬,就活真っ只中である.
就活は意外と面白い.
説明会で話す社員の方々はみんな人当たりが良いし 先日参加した会社説明会で,自己分析(就活は意外と面白いが,こういう就活語はどうしても好きになれない)として,
「自分の選択を振り返って,なぜその選択をしたのか?を深掘りする」
ことを推奨された.
自分がした比較的大きな選択を公開できる範囲であげると まあこんなところだろうか.
全てについて詳細な記述をすると膨大な量になってしまうので,とりあえず文理選択を振り返る.

自分は高校1年生の終わりに文理選択をした.
10年以上前のことなので(自分で書いていて恐ろしい),明確には覚えていない.
中学生の頃から文系よりは理系という考えを持っていたような気はする.理科好きだったし.

ただ一つ言えるのは,文系科目,特に歴史が苦手でそもそも文系は選択肢になかった,ということである.

高校1年生の頃,友人と世界史の定期試験の得点で勝負することになった.
前回の試験が振るわなかったのもあって,かなり気合を入れて勝負に臨んだ.
試験の一ヶ月前から教科書の試験範囲に該当するページを毎日音読するなどして,試験当日には教科書にとどまらず資料集のコラム欄まで暗唱できるほど仕上がっていた.
勝負をする友人のみならず,クラス中の人間が恐れ慄いていたと思う.

定期試験明け最初の授業で返却された解答用紙には赤ペンで 60 と書いてあった.
目を疑ったが人違いや採点ミスではなかった.
教科書を文字通り丸暗記して6割しか取れないなんてあり得るのか?
逆に物凄い才能なのではないだろうか.
未だに信じることができていない.
俺の呪文詠唱を見て勝負の前に白旗を振っていた友人は80点くらい取っていた.

そんなことがあったので文系という選択肢は無くなった.
つまり消極的に理系を選んだことになる.
理系になりたい!とも一応思っていた気はするが,文系は無理という気持ちの方が強かったのは間違いない.

あとは文系はダサい,文系は逃げ,という空気が周りにあったような気もしている.
俺が通っていた高校は1クラス40人が8クラスで1学年320人いたが,そのうち文系に進むのは2クラス相当の80人だった.
これは人数制限があるとかではなく,毎年自然と80人程度に収まっていたと思う.
自分の代は偶然にも男女比が半々だったので,文理の偏りは男女の偏り由来のものではない(やはりというべきか,文系クラスは女子が多めだったけど).
なのでやっぱり文系はダサいみたいな空気が学校全体にあったのだろう.
かくいう自分も数学と物理だけが真の学問だと信じていた時期があった.
今思うとひどい話ではあるが,そんな空気の中で文系を積極的に選んだ人たちには尊敬の念しかない.

あとは親が医者という生徒が多かったのもあるか.
親が医者の生徒は必ず医学部を志すので(ここに本人の意思が入る余地はない).

書いていて思い出したが,自分は医者にだけはなりたくなかった.
これは小さい頃から祖母に医者になることをこれでもかと勧められた反動である.
自分は幼少期の頃イクラが好きだった.
自分の食の好みを知った祖母の家に行くと必ずイクラの醤油漬けを振る舞ってくれたし,実家にも大量のイクラを送ってくれた.
とても嬉しかったのだが,あまりにも食べ過ぎたせいである時体が拒絶するようになってしまった.
祖母のゴリ押しが逆効果を生んでしまったのである.
祖母に医者になることを勧められた時に反射的に拒否してしまったのは,この事件のせいだったのかもしれない.

イクラの話はさておき,自分は昔からいわゆる王道の選択をすることを避ける傾向にあったというか,幼い頃から逆張りし続けてきたと思う.

小さい頃ウルトラマンが好きだったが,ウルトラマンより怪獣のことを応援していた.
怪獣の方がデザインが凝っていてカッコいいと思っていた.ほぼ必ず負けるけど.
しかも怪獣 (確かゼットン) が勝ったら勝ったで不安にはなっていた.

他には折り紙が好きだったのだが(公民館で母親がPTAの出し物のマツケンサンバの練習をしていた時,別室で折り紙の手裏剣をひたすら作っていた),折り紙セットを買うと必ず金の折り紙と銀の折り紙が一枚ずつ入っていた.
光沢感があって,通常色の折り紙とは触り心地から違うレアものだ.
金の折り紙より銀の折り紙の方が好きだった.
色覚的な好みの問題と片付けてしまえばそれまでだが,これも自分の中の逆張り精神に関係することだと思う.
金メダルは1位で銀メダルは2位.
自分は何かと2位になることが多く,1位を取れたことが全くなかった.
賢い子と言われて育ったがクラスには百マス計算を自分では到達できない速さで解く子がいたし,運動神経も悪くはなかったが運動会のクラス対抗リレーでは補欠だった.
自分の中での逆張りとは,1位になれない自分を認めるための手段だったのかもしれない.
そう考えると,キングギドラやジャミラ,ツインテールのようなウルトラ怪獣を応援していたのもその多様なあり方に引かれたからなのかもしれない.
勝たなくたっていい,色んな怪獣がいるからウルトラマンは輝くし,僕の目には君達も輝いて見えるよ,と.
しかし逆張りが多様なあり方を否定するどころか肯定するというのは面白い話である.

あとは従兄弟のお下がりでポケットモンスター金・銀を両方もらった時も,銀を最初にプレイした.
これは単純にルギアの方がホウオウよりカッコ良かったからである.

小学生の頃から逆張りをし続けている人というのは相当少ないのではないだろうか.
逆張りというのは歪んだ性格が産むものと捉えられがちだが,自分の場合は歪みではなくある種の生存機構として逆張りを獲得したという点に特徴がある.

長々と書いたが,これは一応就活対策の過程を記録するために書いてきた.
しかし,自分は今まで逆張りして生きてきたんです,なんてことを就職面接でこんこんと説明したら,大企業はいけすかないから逆張りでうちの会社受けてるってこと!?と思われそうだな.


最終更新:2025年1月26日
© 2025 Yusuke Nakano