大気の組成の謎
- 地球と惑星の比較から -


宇宙理学専攻 惑星物理学研究室 倉本 圭

大気の組成比べ

私達にとって,空気は水とともに当り前の存在である. 空気すなわち地球大気の組成は主に窒素 N2 (約 80 %) と 酸素 O2 (約 20 %) からなる.しかしこのような組成は 他の惑星の大気組成と非常に異なっている.

以下に示す表は,地球とその両隣に位置する金星と火星,そして ガス惑星の代表である木星の大気組成を示したものである. 存在量の多い成分3つを順に示している.

各惑星の大気組成 (混合比は分子数の割合を示す)
地球 金星 火星 木星
N2 (78 %) CO2 (96 %) CO2 (95 %) H2 (93 %)
O2 (21 %) N2 (3.5 %) N2 (2.7 %) He (7%)
Ar (0.9 %) SO2 (0.015 %) Ar (1.6 %) CH4 (0.3 %)

CO2 の少ない地球大気

この表をもとに,まず地球型惑星の大気組成を比較してみよう. 容易に気がつくことは,金星と火星は大気組成が良く似ており ほとんど CO2 からできていることであろう. 一方,地球大気には CO2 はわずかしか含まれていない.

地球では光合成生物の働きによって CO2 と H2O から炭水化物と O2 が 生みだされていることは良く知られている. では仮に炭水化物と O2 を再化合させ, CO2 にもどしたと仮定してみよう. しかしそれでも地球大気に含まれる CO2 量は O2 が現在占めている割合に等しいレベルにしかならない. 地球には大気から CO2 を取り除く光合成とは別の働きがあるらしい.

地球大気から CO2 を取り除く重要な働きをしていると考えられているのが, 大気・陸・海をめぐる水の循環である. 大気に含まれている CO2 は炭酸として雨水に溶けこむ. 炭酸を含む雨が陸地に降ると, 陸地の岩石が一部溶かし出される. 雨水は溶かし出した成分とともに河川から海へと流れ込む. 海に流入した水は再び蒸発して雨となるが,岩石から溶かし出された成分は 蒸発しないために海に蓄積してゆく. やがてその濃度が一定値以上に達すると, 炭酸カルシウムなどの炭酸塩として海底に沈澱する. こうして気体だった CO2 が固体の岩石に生まれ変わるのである. 現在ではサンゴなどの殻を作る生物が炭酸塩の沈澱を促すのに重要な役割を果たして いる.

中国の桂林や日本の秋吉台など石灰岩の地層は, 岩に閉じ込められた CO2 が私達の目に触れる 姿となったものである. 地球上に存在する炭酸塩の総量を調べてみると, 気体の CO2 量に換算して数十気圧分 に相当する. もしも水循環がなかったら,地球の大気は金星や火星同様 CO2 に満ちた大気になっていたに違いない.

大気中の CO2 の固定が進むと, いつか大気から CO2 が完全に失われてしまうと考えるかもしれない. 温室効果ガスである CO2 が大気から無くなれば, 地球は冷たくなってしまう. しかし地球には大気に CO2 を戻す仕組みも備わっている. 海底の炭酸塩はプレート運動によって地球内部にひきずり込まれ, 火山ガスとして大気に戻るのである.

水循環は気温が高い程活発になる. したがって大気中の CO2 の量が増えて温室効果が強くなると, 大気から CO2 がどんどん取り除かれるようになる. 一方,大気中の CO2 の量が減ると気温は低下し, 水循環も弱くなって CO2 は大気から取り除かれにくくなる. 火山ガスの放出は常に起こっているので,結局大気中の CO2 量は 気温がほぼ一定に保たれるように調節される. 天文学の理論から太陽の光度は45億年前には現在よりも 30 % ほど弱く, 徐々に現在の強さになってきたと考えられている. しかし地質学的な証拠から, 地球の表面気温はこの40億年間比較的一定であったことが分かっている. この理由は,ここで述べた 水と CO2 の循環による 気温調節の仕組みが働いてきたことによるものと理解されている.

ちなみに現代は人間活動がこの循環過程に無視できない影響を及ぼしている. 化石燃料の消費による CO2 の放出があまりに急なために CO2 の除去が追い付かず, 地球大気中のCO2は増え続けている.

CO2 が取り除かれなかった金星

それでは金星と火星で CO2 が大気の主成分である理由は 何だろうか.まず金星から見てゆくことにしよう.

金星は地球にサイズや密度が良く似ており,双子の惑星とも 言われるが,地表は摂氏400度以上の高温の世界であり,大気組成も 含めて表面の様子は大きく異なっている. 金星は地球よりも太陽に近く,地球の約2倍も強い太陽放射を浴びている. そのため水はすべて蒸発してしまい, 地球のような水循環が起きなかったと考えられる. 実際,地球で炭酸塩として閉じ込められた CO2 を 仮想的に大気に戻してやると,現在の金星の大気に近い大気組成になる.

ところがここで新たな問題が生ずる.水が全て蒸発したとすると 大量の水蒸気が金星大気に含まれていて良さそうである. 地球の海水を全て蒸発させたとすると約 300 気圧分にもなり, これが金星に当てはまるとすると, 水蒸気が CO2 を凌いで第一の主成分になってしまう. しかし実際の金星には水蒸気はごく微量しか存在しない.

現在のところ金星の水は太陽紫外線の働きで H と O に分解され, 宇宙空間に逃げてしまったとする考えが有力である. しかし O は比較的重い元素なので, それほど容易には宇宙空間に逃げられない. そうだとすると,O は金星内部に閉じ込められたとも考えられるが, 詳しいことは分かっていない. また H についても, それほど大量に逃げ出せたのか実ははっきりしていない. これらは金星研究の基本的な問題として残されており, 観測と理論の両面から研究が続けられている.

謎の深まる火星

火星も金星と同様 CO2 を主成分とする大気組成を持つ. 火星は地球よりも太陽から離れた位置にあり,単位面積あたりの 太陽放射は地球での値の半分程度しかない. したがって火星はあまりに寒冷なために水循環が起こらず, そのために CO2 が大気から取り除かれなかったと考えることが できそうである. 実際,現在の火星の地表は非常に冷たく,液体の水は存在できない.

しかしこの考え方は本当に正しいのだろうか. むしろ最近の火星探査によって,ますます謎は深まったと言っても良い. NASA の Mars Global Surveyer (MGS) は, 火星の表面地形の詳細な観測を行っている探査機である. MGS の観測によって,地球の海底や湖底にみられる堆積地形に類似した地形が 広い範囲に発見された. これは火星にはかつて液体の水からなる海や湖が存在し, 水循環が生じていた強い証拠と言える.

もしそうなら,火星の CO2 も地球同様に炭酸塩として 大気から取り除かれたと考えられる. しかし現在の大気組成には,その明らかな形跡は残っていない. また,液体の水が存在できるには, 理論的には現在よりも 100 倍以上も濃い大気が必要である. そうだとすると,それは一体どこに失われたのだろうか. また,かつて海を作っていた水はどこに行ってしまったのだろう.

火星には地球と同様に極冠が存在しており, 一定量の H2O と CO2 を蓄えている. しかし,その体積は過去の厚い大気と海を作るには小さすぎる. H2O と CO2 がどこか他に移動したとすれば, 宇宙空間か地下のどちらかであろう. 宇宙空間や地下への大気成分の移動は, いま研究が盛んに行われているテーマである. 日本の火星探査機「のぞみ」は火星から大気が逃げ出すメカニズムについて 詳しく調べる計画になっており,内外から注目されている. 当初は 1999 年に火星に到着するはずだったが, 予定軌道から外れる事故があり,現在は 2003 年の火星到着を目指して 航行中である.

MGSの発見した火星の層状地形.
水底で作られた堆積層と考えられる.
日本の惑星探査機「のぞみ」.
執筆者の研究室も計画に参加している.

初期の大気

最後に大気組成の比較に木星を加えよう. 木星のようなガス惑星は, 質量が大きいためにその強い重力によって原始太陽系星雲ガスを取り込んで そのまま大気にしてしまったと考えられている. ここで原始太陽系星雲とは誕生期の太陽を円盤状に取り囲んでいた ガス星雲のことを言い, 太陽系の惑星や小天体はこのガス星雲に含まれていた固体成分が 合体を繰り返して形成されたと考えられている.

木星大気の組成は原始太陽系星雲ガスの組成を反映して H2 を主体とする. そのため化学的に極めて還元的な環境になっている. 例えば炭素は CH4,窒素は NH3 として存在している. これに対し現在の地球型惑星の大気組成は酸化的である. これはどうしてなのだろうか.

その大きな理由の一つに,地球型惑星は木星型惑星に比べると重力が小さく, H原子や H2 分子 などの軽い成分は宇宙空間に逃げやすいことが挙げられる. 惑星大気を作るいろいろな分子は太陽の紫外線によって分解され, ふたたび新たな分子に組み変わることを繰り返している. そうしているうちに CH4 や NH3 は水素原子が外れてしまい, CO2 や N2 などに変化してゆく. C と結び付く酸素の供給源としては H2O が重要である.

地球型惑星の初期の大気組成がどのくらい還元的だったのか, もし還元的だったとしてそれがどの位続いたのかについては いろいろな説があり,まだはっきりしていない. しかしこの問題は生命の起源と進化を考える上で 重要であることを指摘しておきたい. 生命の材料物質が生まれた場として, 原始大気は有力な候補の一つである. 原始の地球を模した大気に放電,放射線照射,紫外線照射などを行うと, アミノ酸などの生命の材料物質が生じる. そしてこれら生命前駆物質の生成率は,大気の組成が還元的なほど高い. また大気の組成は生物の代謝とも関係している. 現在,多くの生物が呼吸によってエネルギーを獲得して いるのは大気に酸素が豊富に含まれているためである. 過去の生命体がどのような物質代謝によってエネルギーを得ていたのかは, 過去の大気の組成に依存している.

最近火星から飛来したと考えられるいん石に, 生命の痕跡らしいものが発見されている. 火星には地球では失われた 40 億年以上前の地質が保存されている. 実際,生命の痕跡らしいものが見つかったいん石は, 45 億年前に固化したものであることが分かっている. 今後火星を詳しく調べることで,火星の過去だけでなく 太古の地球環境についても新しい手がかりが得られるものと期待される.

惑星大気は,私達の暮らす環境の歴史と成立ち, 宇宙における特殊性と普遍性を解き明かす上で重要な研究対象の位置を 占めている. その起源と進化の解明に向けて惑星探査,系外惑星系の観測,地上実験, 数値シミュレーション, 理論研究など多角的なアプローチが続けられている. 今後も新しい発見やアイデアが私達を驚かせ,また自然界の作り の精妙さをあらためて認識させてくれるに違いない.

宇宙理学専攻
惑星物理学研究室
執筆者HP

2002.6.16
2006.4.28